☆私は、ある種の人から見ると、いい加減に文章を書きなぐっているようでいて、割りと慎重な物書きで、
映画
『山本五十六』(クリック!)の感想では、このような「前提条件」を付している。
<・・・原作が半藤一利とのことで、海軍善玉史観に彩られていたが、まあ、「いかなる戦争も反対」と言った条件反射左翼に、戦争の異なる視点を提供する点でいいテキストになろう。・・・>
<・・・ただ、この「作品」、山本五十六だけが神格化されているが・・・>
一つ目の引用においては半藤一利が非常に問題点のある「歴史評論家」であることを提示し、二つ目の引用などでは、あくまでも、この「作品」内だけでの「常識」があることを括弧付けで強調している。
他のエントリーでは、こうも書いている。
<・・・映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を見た人は思っただろう・・・、「作品」中、人格者であり非常に有能なる人物として描かれる山本五十六をして、その<コミュニケーションの不全>が、勝てたやも知れぬ決戦に敗北を喫する結果になったことを!・・・>
山本五十六を下げるつもりはないが、山本五十六を美化するために、作中の他者をあまりにも貶めているとは感じていた。
なんか、このことについて、ちゃんと書いておかなくてはなぁ、とは思っていたら、『正論(3月号)』で、その違和感の答えを得た。
《潮匡人 『虚構と捏造の映画「山本五十六」》
この文章 短いので要約するのが難しい、潮氏の主張の意を汲むと、全文転載が効果ありと考える。
この方は、私と面識のある保守派中堅どころの先生方と親しいらしいのだが、私は知らなくて、おそらく、私のような軟派な男を嫌悪するタイプとお見受けし、全文掲載に怒りそうだが、それでも、僕、やっちゃいます。
<昨年末、久しぶりに映画館で封切りを見た。この原稿を書くために。出来がよければ、批判を控えようと考えていたが、映画は、口述筆記の原作本より酷かった。
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―― 太平洋戦争70年目の真実」。原作は半藤一利著『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文藝春秋)。原作者は映画の監修も務める。彼の歴史認識については以前本誌で詳細した(拙著『司馬史観と太平洋戦争』『日本を惑わすリベラル教徒たち』参照)。ここでは映画化された論点に絞ろう。
原作者同様、映画も歴史を善悪二分法で描く。山本五十六に加え、米内光政と井上成美が「良識派三羽ガラス」として描かれる。「聯合艦隊作戦参謀・三宅義男」も善玉として登場するが、かかる人物は存在しない。実在した三和義男参謀がモデルだろうが、なぜか名前を変えている。
他方、悪玉は「東京日報」主幹である。
当時かかる新聞社は存在しない。名前から類推するに、毎日新聞の前身「東京日日新聞」がモデルなのか。だが当時、戦意高揚を煽った新聞は東京日日だけではない。罪は「朝日新聞」のほうが重い。架空の新聞社を設定したのは、現存する毎日や朝日への配慮からなのか。
映画は、虚実を織り交ぜながらも、「良識派」以外の軍令部や第一航空艦隊の上層部には遠慮しない。案の定、陸軍も悪玉史観で描かれた。左遷されていた山本を海軍次官に据えた永野修身も“悪玉"だ。山本同様、米国に駐在し、ハーバード大学に留学した人物とは思えない描き方である。彼が「A級戦犯」として訴追されたせいか。だとすれば、文字通り「東京裁判史観」であろう。
同様に、第一航空艦隊の南雲忠一も悪玉だ。なかでも最悪なのが「第一航空艦隊参謀長」である。山本長官の方針に逆らう、徹頭徹尾、無能な参謀として描かれた。
あまりにも酷い描き方に、制作サイドも躊躇したのか、パンフレットも、公式サイトも「第一航空艦隊参謀長」と記すだけで、実名は挙げない。だが専門家ならずとも、ネットで検索すれば、それが草鹿龍之介であると誰にも分かる。
以前からの本誌読者は御存知のとおり、草鹿は私の祖母の兄である。映画を見て腸が煮えくりかえった。二度と見たくない。ここで厳重に抗議する。
これまで原作者の草鹿評は史実に反すると繰り返し指弾してきたが、馬耳東風である。最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する(昨年十二月二十二日号)。
映画は(他の場面同様)架空の作戦会議まで設定し、草鹿を貶めた。原作本も昭和十六年九月、海軍大学校の図上演習で「長官の不動の決意を知って、反対論の筆頭、南雲忠一中将や参謀長草鹿龍之介少将以下全員が了解し、さすがにこれ以降反対論を口にするものは一人もいなくなりました」と書く(?)が、これも史実に反する。
確かに当初、草鹿参謀長は「国家の興亡をこの一戦に賭けるのは、あまりにも投機的すぎる」と真珠湾攻撃に反対した。実際、大西瀧治朗少将と旗艦「長門」に山本長官を訪ね、大反対した。長官は「僕がブリッジや将棋が好きだからといって、そう投機的、投機的というなよ」と軽く応じ、最後に二人だけでこう会話した。
「草鹿君、君のいうことはよくわかった。しかし、真珠湾攻撃は今日、最高指揮官たる私の信念である。今後はどうか私の信念を実現することに全力を尽くしてくれ。そして、その計画は全部君に一任する。なお、南雲長官にも君からその旨伝えてくれ」
「今後、反対論は一切申しあげません。全力を尽くして長官のお考えの実現を努力いたします」
だが、今後、捏造された「太平洋戦争70年目の真実」とやらが定着していくのであろう。映画の最後に小椋桂作詞の歌が流れ、歴史の中に真実を学べ」と説く。
隗より始めよ。 >
◇
私の司馬遼太郎「坂の上の雲」好きは有名だ。
かの作品には、少年ジャンプのバトルマンガを読むかのような血の滾りを覚えた。
そして、幾つかの司馬作品を読んでいく。
やはり、燃える。
しかし、その中の歴史上の人物についての、他の著者の論文などを読んでいくと、司馬が、かなり偏った歴史の見方をしていることが分かっていく。
「坂の上の雲」からしてそうだ。
以下を参照のこと^^
《[司馬遼太郎の名誉毀損と歴史・軍事誤認識(積ん読本を読む)]》(クリック!)
このエントリーでは、半藤が、「南雲中将-第一航空艦隊参謀長」ラインを愚かな指令系統に貶めたのと同じように、
司馬が、「坂の上の雲」・日露戦争においての「乃木希典大将-伊地知中将」ラインを愚かな指令系統に貶めたのと同様である。
架空の世界が舞台のジャンプマンガならば「絶対悪者」を設定するも良いだろう。
いや、最近のジャンプマンガは、悪にも一理が描かれているが・・・。
だが、司馬は実在の人物で、それをやっていた。
司馬は特に、<ノモンハン事件>を、日本の<負の歴史>のターニングポイントとして嫌悪していた。
私は、それがとても気になった。
そして、こちらのブログ
『わかりやすい「戦争」』(クリック!)で<ノモンハン事件>を考え始めた。
時に、ソ連崩壊の後の極秘資料が流出し始め、<ノモンハン事件>での、多大なソ連の被害が判明してきた。
日本の損害の比ではなかった・・・。
ブログは、今は停滞しているが、これは私のライフワークの一つとなるので、気長に待ってて欲しい。
昨日も、<ノモンハン事件>の最新論文の載っている『軍事史学(通巻180号)』などを取り寄せ、準備は怠りない。
さて、司馬は、<ノモンハン事件>を書かずに、死去した。
そして、その仕事は、司馬の盟友であった半藤一利に引き継がれ、『ノモンハンの夏』として結実する。
読むと、「読み物」として非常に面白い。
だが、「史実」ではない。
辻政信大佐は、奇矯な面も多いが、軍人としての才能も、大きな魅力もあった。
そもそも、この時代の男は、みんな、面白かった^^
半藤は、その男の行動に代表される「史実」を、「この男ならばこうする」「こうあらねばならない」という色眼鏡で、過去からの、時代の移り変わりの中で変化した思想価値観の偏見で持って断罪していた。
書いた当時の情報不足もあったのだろうが、それでも、微妙に主張をスライドして現在も間違いを改めない。
そんな「ハゲ(半藤)」を私は信じない・・・。
潮匡人の主張の中で、良識派として描かれている三和義男参謀の名前が改変されているのは、「ハゲ」に怒りをもっている「良識的な関係者」が許可しなかったのだろう。
そして、「(半藤が)最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する」の主張は、これが、いわゆる「ハゲの主張スライド」である。
これは、「俺は間違ってないよ。潮の主張は聞いたよ。だから、こうして主張を修正しておいたよ」と言う意味なのである。
潮氏も、私の鋭さを分かると思うが、このハゲ(半藤)の主張は、今までの主張と少し変化しているに違いないのだ^^;
それで、潮氏の抗議をかわしたと思っているのだ・・・。
まあ、そこを一つ譲歩したら、ハゲ(半藤)の全主張が崩れるだろうから、ハゲ(半藤)は改めることはないと思う。
年齢的に、ハゲ(半藤)は退場することも遅くはなかろう。
そしたら、そのデマの数々を、潮氏は「上書き」すれば良いと思いますよ^^
酷いことを言っているように思えて、ハゲ(半藤)のやっていることこそが、死に匹敵する凄まじく酷いことであるのは被害者こそが分かろう・・・。
◇
実は、私、数ヶ月前に、西山太吉氏の講演会を拝聴した。
かなり勉強になったが、この左翼闘士の頂点をして、その、左翼の限界をまざまざと思い知らされた。
《[左翼の講演会に行ったyo!(前編)]》(クリック!)
《[左翼の講演会に行ったyo!(後編)]》(クリック!)
私が言いたいのは、要は、全くの代案なき破壊工作は、無責任の垂れ流しだよということだ・・・。
そして、その西山太吉の「小便垂れ流し」行為を美化したドラマが、今、テレビで放送されていて、それにナベツネが噛みついたそうだ。
「産経抄(2月11日)」より。
<読売新聞の渡辺恒雄主筆がなにやらご立腹である。巨人のコーチ人事に容喙(ようかい)したとして彼を「コンプライアンス違反だ」となじったかつての部下、清武英利・前読売巨人軍代表との裁判が気になるのか、と思ったらさにあらず。
▼沖縄返還に伴う日米の密約文書をめぐって昭和47年、西山太吉・元毎日新聞記者が逮捕された事件を扱ったドラマ「運命の人」(TBS系)に腹を立てているのだ。怒りの心情をサンデー毎日に寄稿しているが、ドラマよりも面白い。
▼西山氏は、米国が払うべき補償金を日本が肩代わりするとの秘密文書を「情を通じて」外務省の女性事務官から入手。資料を現衆院議長の横路孝弘氏に渡し、国会の場で公にするが、不手際で情報源がばれてしまった。記者と事務官は国家公務員法違反で逮捕され、最終的に2人とも有罪になる。
▼ドラマは、山崎豊子の同名小説をなぞっており、渡辺氏をモデルにした山部一雄記者を演技派の大森南朋が演じている。山部は社の壁を越え、逮捕された記者を助けようとするおいしい役どころなのだが…。
▼ご本人にとっては、田中角栄元首相がモデルの田淵角造から接待され、現金をもらう「下等なたかり記者」扱いされたのに我慢ならぬらしい。確かに渡辺氏は、田中氏とさほど親しくなく、怒るのも無理はない。西山氏が彼より数段、格好良く描かれているのも気に入らぬのかもしれないが。
▼密約といえば、後年明らかになる有事の核持ち込みに関する密約がより重要だが、一連の密約なしに沖縄返還は実現しただろうか。一向に進まぬ普天間飛行場問題をみるにつけ、佐藤栄作元首相の決断の重さと西山氏ら反対者への激しい敵意を改めて思い知る。>
いやはや、実在の人物を描くのって、どう描いても文句言う人はいるので、特に、山崎豊子の「勧善懲悪」の「フィクション」で描かれたら怒る人も多いよ。
余談だが、ナベツネは色々言われるけど、その文章は、かなり読みやすいよ^^
で、山崎豊子の作品だが、私は、映画
『沈まぬ太陽』の感想でもこう書いている。
ホント、私は慎重な文章書きだわ^^
<だから、「物語のここが優れている」「ここの役者の演技が秀逸」などと、客観的に、[創作]として接せられなくて、論じにくいのである。>
◇
世の中、「物語」と「史実」の区別をつけられぬ人は多い。
ノンフィクションめかしたフィクションをノンフィクションと見てしまうわけだ。
まあ、その区別をつけられないように読ますのも書き手の手腕だが・・・。
・・・このテーマで、まだまだ書けるのだが、ちょいと出掛けてきます^^
(2012/02/12)