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Channel: 『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭
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[映画『月光ノ仮面』を観た(すまん、超短信だ)]

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☆最近、落語を聴くことに凝っているので、予備知識なく見たこの作品が、落語の「粗忽長屋」をベースにしていると知って、ちょいと嬉しくなった^^

 コメディかと思いきや、見ようによっては文芸作品っぽくて、すっとぼけた板尾創路らしく、なかなか面白かった。

 戦死したと思われていた元落語家の男が、記憶をなくし、戦後二年を経た寄席に戻ってきたことから始まる物語。

 その落語家・森乃家うさぎ(板尾)は、出征前は真打目前であり、恋人(石原さとみ)もいた。

 戦地で怪我をし、顔を包帯でグルグル巻いて戻ってきたうさぎを、師匠は復帰の算段を始め、恋人は情交を交わすのだった・・・。

 が、そこに、本当のうさぎ(浅野忠信)が戻ってくる。

 では、今まで、うさぎと思っていた人物は・・・、と言う物語。

 話の興味のおおよそは、ひたすらに、石原さとみ演じる弥生の、うさぎと思われていた人物や、本当のうさぎへの、微妙な戸惑いや欲求や非情さが描かれ、妙なエロスが全編を覆う。

   

 この人、アイドル的な演技をさせると、私にはいまいちと言うか、個性が感じられないのだが、今回のような役柄をやらせると、なんか、こちらに訴えかける魅力が数十倍になるね^^

 しかし、クライマックスでは、監督・脚本の板尾創路がやりたかったのだろう派手なオチが開陳される。

 ただ、私には、それが、どういう意味を持つのかが、あんまりわからなかった・・・。

 PS.とことん喋らないと、周囲が勝手に盛ってくれると言うことがわかりました^^

                                                      (2012/01/31)

[近況報告 (139・幸せだにゃア)]

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☆昨夜はたて込んでいて、エントリーする暇がなかった。

 昨日の日付で、簡単に更新しておく。

 仕事を終え、彼女とちょっと会い、服の上から、ちょっとだけおっぱいを揉みつつ、その後、一緒に本屋に行った。

 綾辻行人の「館」シリーズの新作が出ていたので購入。

奇面館の殺人 (講談社ノベルス)綾辻 行人講談社

 この作者だけは、「館」シリーズで、圧倒的な本格ミステリー世界をがっちりと構築してくれるので嬉しい限りだ。

 彼女は、分厚いファッション誌を買っていた。

   ◇

 帰宅すると、夕食に餃子が用意されていた。

 ちょうど、先ほど ラジオを聴いていたら、餃子特集で、「餃子に焼肉のたれをつけると、結構いける」と言っていたので、さっそくにやってみると、確かにうまい^^

   ◇

 この間、靖国神社に行ってきたとき、東北の友人の若鷲さんに、靖国みやげのお神酒とお菓子を購入していて、それと、若鷲さんの娘さん(QPちゃん、こりすちゃん)に、女の子の間で流行っているシールを同封して送ったら、「家族で喜んでいます^^」と言うメールが届いた。

 私の愛するQPちゃんの写真が添付されている。

 小学3年生のQPちゃんは、もう昔の赤ちゃんではなく、元々、目鼻立ちがくっきりしているのだが、更に可愛く、大きくなってきている。

 凄い美人に成長するんだろうなぁ^^

 ・・・私は、甥っ子(小2)と結婚させる計画を密かに練っている^^

                                                      (2012/02/01)

[日本人的]

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☆自衛隊と言う軍事組織は、考えるに不思議で、日本的なシステムだと思う。

 基本、「専守防衛」を掲げ、ディフェンスだけをし続ける軍隊なのだから。

 そもそも、日本人は、「仕掛ける」「ちょっかいを出す」「因縁を吹っかける」・・・、てなメンタリティの民族ではないので、自衛隊の存在には、妙に得心がいくものはある。

 先の大戦、その前段階の大陸進出においては、大局的に考えると、二つの見方があろう。

 一つは、列強による大陸分割に際し、「我が国も一口乗ろうじゃないか」と考えた側面。

 それと、エネルギー資源の確保への横槍に代表される、欧米の不当な干渉に対して、国境の外に「防衛」ラインを広げたと言う側面だ。

 後者の流れならば、「守る戦い」こそを「日本人的」とする考え方にあながち間違いはない。

   ◇

 ノモンハン事件などでも、

 後に非難されるのだが、

 日本の空軍は、越境して、ソ連軍の飛行基地を攻撃したりした。

 戦争のセオリーでは、それは当然のことだが、

 想像力のない、凝り固まった思考回路の者には、非難の対象となってしまう・・・。

   ◇

 余談だが、私も「日本人的」な男で、自分から他人にちょっかいを出すようなことは、けしてしない。

 おとなしく生活している。

 だが、稀に、そんな私にちょっかいを出してくる奴がいる。

 大概のことならやり過ごすが、ある一定の限界を超えると、私は激怒する。

 特に昨今は、理においても、力においても、裏づけが取れる怒りしか持たない(持てない)ので、負けることはない。

 相手が、更に強情を張るようならば、私は無制限にバトルフィールドを広げていっても、一向に構わない^^

 なんたって、私ゃ・・・(以下略^^;)。

 そして、いったん激怒したら、私は、日本人らしからぬ、相手が「死に体」になっても石を投げ続けるのをやめない質(たち)だ。

 これは、多くの保守派に、私がたびたび厳重注意されることなのだが(みんな、相手に逃げ道をつくるのが礼儀だ、と言う)、

 私としては、「このバカは、とどめを刺しておかないと、すぐに復活するぞ!」と考えるときに、そうしているだけだ・・・。

   ◇

 さて、一昨日の「産経抄」だ。

 《危ない、危ない。すんでのところで、米国首都のお膝元、バージニア州の子供たちが、韓国政府の言い分通りの授業を受けるところだった。州内の公立学校で使われる教科書に、日本海を「東海」と併記するよう求める法案が、州議会で否決されたものの、票差はわずか1票だったという。
▼日曜日付の小紙1面の記事を読んで、いやな記憶がよみがえってきた人も少なくないはずだ。5年前の夏、米下院の本会議で採択された、慰安婦問題についての対日非難決議案である。多くの誤りを含み、何より日本国民を侮辱する内容だった。
 ▼このとき法案を主導した民主党のマイク・ホンダ下院議員は、中国系反日団体から支援を受け、中国系実業家から献金を受け取っていた。今回の教科書をめぐる法案を提出したのも、韓国系団体の働きかけを受けた議員だった。
 ▼やはり韓国系米国人らが別の州では、日本人学校に対して日本の公民の教科書の使用中止を求めている。日本の国際的地位を貶(おとし)める企(たくら)みはまだまだ続きそうだ。頼みの綱となる日系人は、米国社会で台頭するアジア系のなかで人口がほとんど増えていないという。応援団を期待するのは難しい。
 ▼彼らにとって日本が、かつて敵国だったという問題も残っている。以前、米国史上最強といわれた日系部隊について書いたことがある。そのなかで日米開戦前に東条英機首相が、日系社会に対して米国に忠誠を尽くして当然、と手紙で伝えた事実を紹介した。
 ▼そんなお人よしの国で、外国人に参政権を認めようとする動きがある。外国で政治家をあやつり、世論を誘導するのが当然と考える国々が、何を仕掛けてくるのか。想像するだに恐ろしい。
 ▼そんなお人よしの国で、外国人に参政権を認めようとする動きがある。外国で政治家をあやつり、世論を誘導するのが当然と考える国々が、何を仕掛けてくるのか。想像するだに恐ろしい。》

 韓国人は、このような意味不明の「嫌がらせ」を延々と続けている・・・。

 いや、意味不明ではないな、自国のアイデンティティの確立を、このような形(他者を貶める)でしか表わせない民族なのだ。

 そこには、世界史上での歴史の経緯などは頭になく、ただ、世界中で嫌われている朝鮮人の、「我欲の極み」というゴリ押しだけである・・・。

 このうっとおしいハエみたいな存在には、「日本人的」であることを忘れ、越境して攻撃することも大事かと・・・。

 

                                                (2012/02/02)

[映画『ミケランジェロの暗号』を観た(短信)]

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☆我ながら、一日を存分に使っているゾ^^v

  19時まで残業して、その足で、昨年、私の生活圏内では上映されていなかった作品が多摩センターでやっていると知り、いささか仕事で疲れていたのだが、なんか、見ておかないと損しそうな雰囲気がプンプンする作品だったので赴いた。

  眠気も吹っ飛ぶ、格調高くも「面白い作品」だった。

  大戦前夜のドイツ、画廊で成功したユダヤ人家族が、収容所に捕らえられても、ミケランジェロの名画をどこかに隠し持っているという「切り札」をフルに活用し、家族や恋人とともに国外に脱出しようとする物語。

 ホロコースト背景の作品の深刻さはなく、話の流れ的には、ご都合主義がそこここに見える、ある種のコンゲームの様相を呈しているが、

  私たちの知識の中でナチスの怖さは植えつけられているので、物語のいくつかのシーンで、異常に心臓の鼓動を高ぶらされることになった。

  特筆なのが、主人公であるユダヤ家族の息子・ビィクトルに対する、親友ともいえた元使用人の息子ルディを、ナチスの親衛隊将校とし、主人公との対立軸として配しているのが斬新だった。

  名画捜索の中で、事故に遭い、ヴィクトルがルディのSSの制服を着用し、立場を逆転させるのが、ジョン・ウーの『フェイス/オフ』を思い出させた。

  無理やりな展開だが、押し切られちゃうリアリティだ。

  てゆーか、私、この作品を見て、その展開や演出のエンターテイメント性に、香港や韓国映画、その長所に似たものを非常に感じさせられた。

 それは、自分の家族を不遇に追い込んだルディに対しての、ヴィクトルの奇妙な友情が、展開の随所に残っている様などから感じられよう。

  まあ、私としては、手塚治虫の『未来人カオス』も思い出させられたんだけどね^^

 結末は誰にでも予想できるが、その、見る者の心にスッポリとはまるラストシーンたるや、とてつもなく爽快だ!

   PS.ああ、そうか、これは「王子と乞食」の亜種とも言えるな!^^;                                                                                                   

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[恥じらいの節分鬼(今までで一番バカ!!!)]

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☆今日は、甥っ子や姪っ子と節分をやるにあたって、

私は「スタフラニスキー・システム」に則って鬼になりきろうとしていたのだが、

「スシロー」で<恵方巻>を買って帰宅したら、悲しいかな、豆が用意されていなかった。

 「スシロー」の<恵方巻>はメチャうまかった。

 美味しく食べるために、作法には従わず、ゆっくりと食べました^^

 しかし、なんか満たされぬ思いがあり、「鬼」を演じることにした・・・。

 先ずは、

     
        『ニョッ鬼(き)』・・・ヘソが見えてます。

 続いて、

      
        『コマネ鬼(き)』

 そして、

     
        『南斗水鳥鬼(き)』・・・「フォォォオオ・・・」

                                    

 更には、

      
        『鬼(き)ナバウアー』

 お次は、

     
        『ブラッ鬼(き)・エンジェルズ』

BLACK ANGELS 1 (集英社文庫―コミック版) 平松 伸二 集英社

 

 とどめは、

ジョジョの奇妙な冒険 4 (ジャンプ・コミックス) 荒木 飛呂彦 集英社



     
        『ジョジョの鬼妙な冒険』

   ◇

 いやぁ〜、今回のエントリーは、多くの人に夢と希望を与えると思いますよ^^v

                                                       (2012/02/03)

[映画『ペントハウス』を観た(超短信)]

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☆これは、楽しい作品だった^^

 見る前に感じていたようなコメディ作品ではなく、わりと物語に感情移入してしまうような、味のある登場人物の織り成す軟質の娯楽復讐劇であった。

 ・・・ニューヨークの超短信マンション、じゃなかった・・・、超高級マンション<ザ・タワー>の最上階・ペントハウスには、ウォール街の大立者のアーサー・ショウが住んでいて、その立ち居振る舞いは、マンション従業員の信頼を得るに充分だった。

 だが、その内情は、けして穏やかではなく、従業員たちが託した老後の資金や全財産を、自分の為に散財し、なおも、自分の為に隠し持っていた。

 それはショウの汚職事件で判明し、それに怒ったマネージャー・ジョシュ(ベン・スティラー)は、同僚らと、保釈中のショウのペントハウスに直談判しに行き、ショウの大事にしていて飾っていたフェラーリ車を破壊してしまう。

 ジョシュらは職を失い、そして、ショウは無罪放免になる流れとなっていく。

 FBIの女性捜査官(←ハスキーボイスが魅力的)から、どうやら、ショウがペントハウスのどこかに、蓄財していた金を隠し持っているらしいことを聞いたジョシュらは、同じくクビになりつつも、何かしらのとりえを持つメンバーと組んで、完全なるセキュリティにあるペントハウスでの強奪作戦を開始する。

 物語は至ってまじめに進んでいくのだが、どうしても盗みの熟練者を必要とし、ジョシュがいつも通勤中に悪たれをつかれる黒人の男・スライドを仲間に引き入れる。

 さすがに、やっぱ、スライド役のエディ・マーフィーは面白くて、幼少時代、ジョシュと馴染みであったことを思い出していく時の会話のテンポの良さなど、そのリアルさもあって非常に笑った。

 また、メンバーの一人に、直接的に、ショウからの被害に遭ってはいないが、自分の証券マンとしての失敗で、<ザ・タワー>を追われた男(マシュー・ブロデリック←メチャ懐かしい)がいて、

ジョシュが、その力を借りようと探したら、その男はモーテルにいて、ジョシュが「何でこんなところにいるんだ?」と聞いたら、「男娼になろうと思って・・・」と答えたシーンは、とてもツボだった。

 クスクスと長々 笑ってしまった^^;

 さて、強奪作戦だが、思ったより、その往路は簡単に進む。

 しかし、復路が厳しい。

 私は、『ダイ・ハード』はもちろんのこと、『カリオストロの城』『グレムリン2』など、建物を縦横無尽に動き回り、空間を大事に扱う作品が大好きなのだが、

この作品も、映画としてのバランスを崩すことなく、かなりハードなアクションをしてくれていた。

 超高層アクションとしては、近作の『MI:4』のドバイの超高層ビルでのトム・クルーズのアクションに負けていなかった。

 物語の冒頭で、屋上から、ビルの外壁をなめて、地上の通りに高速で移動する描写があって、こちらの高所恐怖症を呼び覚ましてくれていたが、

 それが、後半の高層マンション外壁アクションを効果的に見せてくれていた。

 マンション従業員メンバーの一人一人の個性や役割も含め、とても楽しめる作品だ^^

                                                        (2012/02/03)

[南京攻略戦の大隊指揮官が真相を語るサイトの紹介(再掲 2007/01/23)]

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☆遅くまで残業だったので、再掲でエントリーします^^

   ◇

 どうぞ、こちらをお読み下さい。

 とても、勉強になります。

 ≪ 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る
    ― 謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
      「南京大虐殺」はなかった

  森王 琢(もりおう みがく)
 ※平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。
                   http://www.history.gr.jp/~nanking/moriou.html  ≫

 最近、仕事に余裕が出来たので、作業の合間に、かような文献を携帯電話のインターネットで読みふけっています。

 こんな箇所が素敵です。

『・・・又別の戦場である所を占領した時の事です。
 住民は全部逃げて無人でしたが、ある兵士が、
 「英児が一人取り残されております」
 と報告しました。
 行ってみるとかわいい英児が篭(かご)の中で無心に笑っております。
 私達が明朝出発すれば逃げている住民は戻って来るでしょうが、今晩一晩はこの子にお乳を飲ませてやらねばなりません。
 幸いなことに私の中隊に、入隊前に中国で行商をしていた、中国語の非常に上手な八木という初年兵がおりました。
 彼は今マレーシアに住んでいますが、その兵士を付けて将校斥候を近くの部落に出しまして、よく事情を説明してお乳の出る女を探して来い、と命じました。
 幸いに一人の女を連れて来ましたので、八木に通訳をさせまして、
 「私が隊長である。これこれの訳でこの赤ん坊がかわいそうであるから、今晩一晩この子を抱いてお乳をやってくれ」
 と、申しますと、女性も納得致しまして、従ってくれました。
 そうして私達はその翌朝、さらに進撃したのであります。・・・』

 森王琢隊長の若き頃の写真も見られますが、雄々しくも、「ニヒル」です^^

 また、この方は、経験を語るだけでなく、「南京大虐殺」と言う幻想を生み出した背景についても、実に研究なさっている。

 南京事件についての「入門編」として見事に機能します。

 読み進めていくと、

 「虐殺あった」派の、偏見・独断・虚偽・捏造・妄想・陰謀を内包した醜き姿が垣間見られていきます。

 何一つとして証拠がないのに、人を貶めていくことに良心が咎めぬ人々の姿が浮き彫りにされていきます。

 どうぞ、読んでみてください。

                                                        (2007/01/23)

[映画『ベルセルク 黄金時代篇I 覇王の卵』を観た]

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☆このブログを以前から読んでくれている方なら分かろうが、私が、この20年以上描きつがれている人気作を読んだのは半年ほど前に過ぎない。

 故に、テレビアニメ版も知らないので、動いているガッツを観るのは初めてだ^^

 あの巨大な剣を自在に振り回す姿に感動!

 この映画シリーズは、長大な原作の、これまた長大な映画化プロジェクトの第一作で、物語の、もう、ほんの触りに過ぎない。

 観終えて、物足りなさが募った。

 だが、『ベルセルク』をたらしめている「らしさ」を大事にする作り手の姿勢は、慌てずに、丹念にエピソードを…、描写を積み上げていくことだとちゃんと認識していることはわかり、堅実であり、完成度も高い。

 最初の大きな感動は、きっと、この過去編3部作の終幕のときなのだろう。

 原作での、今回のエピソードは、先ず、作中現在のガッツの完成された「使徒とのバトル」を見せられた後で語られる、過去の話なので、読者は楽しく過去編を読むのだが、

初めて、この『ベルセルク』の映画版を見せられた方にとっては、いきなりの過去編に、作品が個々の観客に与える感慨も、多種多様なのだろうな、とつくづく思うのだ。

 初めて見た方にとっては、少々退屈な点もあるのだろうな、と。

 現在において、テレビアニメにもなった作品を、再び、映画で、しかも、シリーズでやるとなっては、余程、気合の入った作品作りをしないと、多くのファンから総スカンを食らうぞ! などと思ったのだが、

 冒頭の攻城戦からして、モブシーンの兵士集団たちそれぞれの動きなど、素晴らしいものがあった。

 ガッツの個性発揮はまだまだだが、グリフィスの魅力は充分に描けていたと思う。

 傭兵集団の統率者としてのグリフィスと言うのは、そもそも、その心理は不明だが、美しく、また、どうとでも取れる表情の出し方も演出されていますな^^

 それは、クライマックスでの、誤って子供を殺害してしまったガッツの「呆けた様な表情」と対となるものである。

 ガッツとゾッドの戦いなどに代表されるのだが、カメラアングルが自在で、対峙する二人の周囲をグリングリン回っているところなど、私などは「凄いなぁ」「アニメも凄ぇ進化しているんだナァ」などと感心させられた。

   ◇

 ・・・ともあれ、物語の序盤でしかなくて、まだまだ論評を語れる段階でもない。

                                                      (2012/02/05)

[低所得者が、なんで太るのか?]

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☆私はカンボジアに何度も行ったのだが、当然、あちらでの顔見知りもいる。

 「モーニー」と言うタクシードライバーがいて、いつも、遺跡案内やナイトスポット巡りをしてもらっていた。

 一年ほどの間が空いて、カンボジアを訪れたとき、モーニーが、一気に「恰幅が良くなった」ことがあった。

 つまり、太ってしまったのだ^^;

「どうした?」と聞くと、

「金がなくて、悩んで、酒を飲んでしまい、太ってしまった」とのこと。

 だったら、酒を飲まないでお金を節約しろよ、などと私は思うのだ。

 が、私は、何故か、この話が数年間 心に残っていて、いつしか、その問題について想像力を巡らせると、「卵が先か、鶏が先か」みたいな堂々巡りになってしまうとまで理解した。

 私も、お金がないときは、「衣食住」では、食欲を満たすことを優先する。

 ここで言う<衣>とは、「毎日の着まわしのローテーションの服がもう一着欲しい」レベルのことであり、ここで言う<住>とは、「持ち家の外壁にひびが入ったので修繕したい」レベルである。

 そして、ここがポイントなのだが、その欲求は、経済的に別に困っていないとき以上に、量を得ようとする。

 生存本能の為せるものなのか、より栄養を摂取しようとする。

 その帰結が肥満である。

 ・・・ちょいと話を戻すが、この、「貧乏人の肥満」とは、以下のように表わせる。

 極端な例であることはことわっておきます^^;



 つまり、貧困にある者は、エンゲル係数は高く、そして、何故か、家計の消費支出に占める食費の数値さえも、裕福な者を超えてしまうのだ。

 金額だけならば、貧困の者の方が、裕福な者よりも高価な食生活を送っているような現象もある。

 だが、それは、栄養に偏る傾向がある。

 と、こんな風に語ってみたのは、以下のニュースからの連想だ。

   《所得低いほど生活習慣に問題あり 国民健康・栄養調査 喫煙率は初めて2割切る (2012.2.1 12:06)》

 <世帯所得が低いほど、朝食を欠かしたり、運動習慣がなかったりするなど、生活習慣に問題がある人の割合が高くなる傾向があることが31日、厚生労働省の平成22年国民健康・栄養調査で分かった。

 生活習慣に問題があると、脳卒中や高血圧症、糖尿病といった生活習慣病のリスクが高まる。厚労省は「所得が低いほどバランスのいい食事がとれず、健康への配慮ができていないのでは」と分析しており、25年度から始まる「次期健康づくり計画」で格差縮小を図る施策を打ち出す方針。

 調査は22年11月に実施。生活習慣と所得の関係は、世帯所得を200万円未満▽200万円以上600万円未満▽600万円以上に分けて調べた。

 それによると、成人の習慣的な喫煙者の割合は男女ともに世帯所得が低いほど高く、肥満(BMI=体格指数25以上)の人や運動習慣がない人の割合は女性で、習慣的に朝食を食べない人の割合は男性で、それぞれ高くなった。野菜の摂取量も、男女とも世帯所得が低いほど少なかった。・・・>

 また、以下のような続報もあり、その県民性の違いにちょいとニヤリとさせられる。

   《肥満・喫煙・野菜摂取量…生活習慣にも“お国柄”? 労省調べ (12/02/05 21:43)》

 <塩味が好きなのは東北と内陸部、都市圏の住民ほどよく歩く−。厚生労働省が発表した平成22年国民健康・栄養調査では、初めて生活習慣の都道府県別傾向を分析。これまでも地域によって生活習慣が大きく違うことは知られていたが、喫煙率や習慣的な飲酒、肥満などの割合が高いグループと低いグループで、おおむね10ポイント前後の差が出るなど、あらためて“県民性”の違いが明らかになった。
 厚労省は今回、18〜22年の5年分の国民健康・栄養調査結果を基に、喫煙や飲酒、1日の歩数といった生活習慣を分析。ただ「データ数にばらつきがあり、誤差があるため、単一の都道府県ごとの比較はできない」といい、上位25%のグループ(上位群)と下位25%のグループ(下位群)の平均値を比較した。
 それによると、男性の1日の食塩摂取量は全国平均11.8グラム。上位群の平均は12.7グラム、下位群は11グラムだった。男女とも上位群には青森や福島などの東北地方のほか、山梨、栃木、長野といった内陸部が入った。
 山梨県は、県の調査でも以前から食塩摂取量が全国に比べ高い結果が出ているという。県の担当者は「魚の干物や漬物など、特に塩分が多い食事の摂取量が多いわけではないのだが…」と首をかしげ、「濃い味が好みなのだろうか。今後分析する予定」と話す。
 地域の産業が生活習慣に影響を与えている可能性もある。葉タバコ生産が盛んな青森県は男性の喫煙者の割合が上位群。また、1日の歩数は、東京や兵庫など大都市圏が上位群に入る一方、鳥取県や和歌山県など地方で車社会が進む地域は下位群に多く見られた。
 長野県と沖縄県は長寿県で知られるが、傾向には大きな違いが出た。長野県は野菜摂取量が男女とも上位群で、男性の肥満者の割合が下位群。対して、沖縄県は野菜摂取量が男女とも下位群で、男性の肥満者の割合が上位群だった。
 マーケティング会社経営者で県民性研究でも知られている矢野新一さん(62)によると、沖縄県の男性は飲酒好きで、高カロリーのつまみを好んで食べる傾向にあるという。矢野さんは「方言でなんとかなるさ、という意味を表す『なんくるないさ−』という精神の通り、気にせずに食べてしまうからではないか」と指摘した上で、「地域の気候や風土、県民性が生活習慣に反映されていることが調査にも表れている」と分析した。>

 上記の記事中の、内陸県の食塩摂取量の高さは、内陸部ゆえに、かつて、海産物の保存に塩を使っていたことに由来しよう・・・。

                                                   (2012/02/06)

[『ミシュ蘭・ランチガイド(その32・地粉とバーボン)』]

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☆仕事が早く終わり、誘われていた飲み会に顔を出し、またも、エロい話を連発して盛り上げ、帰宅しながら自己嫌悪に陥るのだった・・・。

   ◇

 昨日のバイト現場は、聖蹟桜ヶ丘で、作業は順調に進んだ。

 私は仕事中に酒をかっくらってしまう、困った癖があるのだが、

 昨日は、これをやってしまった。

     

 基本的に、私はバーボン好きなのだが、どうも、この「ジン・ビーム」は苦手だ。

 ストレートで飲むと、味が舌にキンキンするんだよね。

 だから、昔から、ワイルド・ターキーやハーパーのほうを好んでいる。

   ◇

 作業が順調だったので、うどんを食う。

 「小平うどん」の<肉汁うどん>を食らう。

   
     麺400g肉汁うどん(650円)+たまねぎ天ぷら(100円)

 「地粉」と言う小麦粉を使っており、麺にほんのりと色がついている。

 麺はモコモコと食べ応えがあって、スープには具がたっぷり!

 うまい!

 「武蔵野うどん」と言うジャンルがあることを初めて知って、今度、家族やら彼女を連れてきてやろうと思った。

 だが、彼女曰く、とっくに知っていて、「大好物」で、とっくのとうに、頻繁に行っているのだそうだ^^;

                                                    (2012/02/06)

[「H5N1」と放射線の恐怖と石原慎太郎]

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☆私の家には地デジが通っていないので、テレビが見れないわけだが、

 ワイドショーネタになるような、幼児や赤ちゃんが犠牲になるような事件の報道を見ないで済むのは助かっている。

 あの、琴音ちゃんの事件などは、まあ、誰もがわかっていたことだが、最初から母親の言動が怪しかった。

 子供殺しは、極刑にすべきだと思うが、死刑にしても、死んでしまったものは戻らんのだよなぁ・・・。

 山口の母子殺害事件も、もうすぐ最終の判決が出るようだ。

 あの殺人者も死刑でいいだろう。

   ◇

 話は全く変わる。

 2月1日付の産経新聞の一面のコラム<【寒蛙と六鼠(かんがえるとむちゅう)】長辻象平 「致死ウイルスの足音」>が興味深かった。

 本文を読みたい方は、上のタイトルをクリックして下さい。

 さて、コラムは「H5N1」と言う、人間に感染する可能性もある強毒性の鳥インフルエンザのウィルスについて書いている。

 このウィルスが、人と人の間での伝染性を獲得すると、世界的なパンデミックとなる。

 だが、このウィルスは、研究者の間では人工合成もされていて、伝染性を獲得するメカニズムも解析されているのだそうだ。

 その論文は発表されかけたが、「テロに利用される」との懸念から、アメリカ当局によって待ったがかけられている。

 おって、1/20に、世界の科学者39人が、「H5N1」に関する研究を60日間停止すると言う声明を発表する。

 抗議の意味ではないようだ。

 このウィルスが、テロに利用されるのを恐れているからだ。

 そして、コラムは「テロへの警戒と、人での大流行を防ぐ研究のバランスをどうとるか」と話を進めていく。

 ここまで読んで、私は、「ああ、原子力研究のもつれと同じだ・・・」と思った。

 すると、文章の後半に、やはり、原子力研究のジレンマへの言及があった。

 ・・・私は、原子力研究を…、原子力の平和利用を…、つまり、原子力発電をけしてやめてはいけないと考えている。

 恐怖感に駆られつつも、したり顔で、「引き返さなくてはならないこともある」と脱原発を唱えるバカもいるが、そういうことをほざく者は、自分が…、と言うか、人類に限界があり、ひたすらに、諦めることを正しいと言ってるのと同じだ。

 「諦めざるを得ない」と「諦める」は、その意味が全く違う。

 そう、原子力発電は、今、まさに「風評被害」を受けている。

 あれだけの大事故があったとされても、ただの一人も死者が出ていない、にもかかわらず、「絶対恐怖」のレッテルを根拠なく貼られてしまった。

 かくして、原子力開発は、その研究をする事さえも「恐怖」の範疇に入れられ、

 今後、数十年の「停滞」を余儀なくされよう。

 しばらくは、「諦めざるを得ない」。

 だが、研究だけは続けなくてはならない。

 研究を続けなくては、今後、人類は永遠に原子力の恐怖を「克服」できなくなる。

 「H5N1」ウィルスが、テロ(恐怖)に利用されようとも、それを意味のないことにする「ワクチン」の開発をするための研究だけは続けなくてはいけないようにだ。

   ◇

 何やら、石原慎太郎が新党を作ろうと頑張っているが、私には、石原慎太郎にはバカなトコがあるし、第三局の中心にいる橋下弁護士も、私から見ると、非常に微妙だ。

 自民党の議員の石原慎太郎の息子・伸晃は、「オヤジは利用されているのかも知れない・・・」と言っているそうだが、

 石原慎太郎自身も、多分に、橋下・平沼赳夫らを利用していると思われるので、それはまあ、相互作用だ。

 その慎太郎が、やはり、産経の一面で、いいコトを書いていた。

 てゆーか、私が必死こいて主張し続けていることを、美しい流れで語ってくれている。

 やっぱ、文章 上手いね。

   《【日本よ】 石原慎太郎 「原発に関するセンチメントの愚」(2012.2.6)》

 <・・・(前半略)・・・福島の原発事故以来かまびすしい原発廃止論の論拠なるものの多くの部分が放射線への恐怖というセンチメント(情念)に発していることの危うさだ。恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ。軽量の放射能に長期に晒(さら)される経験は人類にとって未曽有のものだけに、かつての原爆被爆のトラウマを背負って倍加される恐怖は頷けるが、しかしこうした際にこそ人間として備えた理性でものごとを判断する必要があろうに。理性的判断とはものごとを複合的に捉えてということだ。

 ある期間を想定しその間我々がいかなる生活水準を求めるのか、それを保証するエネルギーを複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、平和の内での豊穣な生活を求めながら、かつての原爆体験を背に原子力そのものを否定することがさながらある種の理念を実現するようなセンチメンタルな錯覚は結果として己の首を絞めることにもなりかねない。

 人間の進化進歩は他の動物は及ばない人間のみによるさまざまな技術の開発改良によってもたらされた。その過程で失敗もありその超克があった。それは文明の原理で原子力もそれを証すものだ。そもそも太陽系宇宙にあっては地球を含む生命体は太陽の与える放射線によっても育まれてきたのだ。それを人為的に活用する術を人間は編み出してきた。その成果を一度の事故で否定し放棄していいのか、そうした行為は「人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものだ。人間が猿に戻ると言うこと−」と吉本隆明氏も指摘している。

 人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為でしかありはしない。

 日本と並んで原子力の活用で他に抜きんじているフランスと比べれば、世界最大の火山脈の上にあるというどの国に比べてももろく危険な日本の国土の地勢学的条件を斟酌せずにことを進めてきた原発当事者たちの杜撰(ずさん)さこそが欠陥であって、それをもって原子力そのものを否定してしまうのは無知に近い野蛮なものでしかありはしない。

 豊かな生活を支えるエネルギー量に関する確たる計量も代案もなしに、人知の所産を頭から否定してかかる姿勢は社会全体にとって危険なものでしかない。>

   ◇

 う〜む、隅から隅まで、私は首肯する^^

 また、上記の主張の前半には、「・・・この世で恋愛は茶飯のことだから周囲はそれを常識の枠で捉え眺めて過ごそうとするが、ある人間にとってはそのセンチメントは枠からはみだして当人自身にも抑制がきかなくなってくる。・・・」などと言う表現もあって、うわぁ、うまい! と感嘆してしまうのだ。

 人類は、「恐怖」と寄り添い、「克服」に至らなくてはならない。

                                                       (2012/02/07)

[映画『永遠の僕たち』を観た(スマン、短信だ)]

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☆これは、激烈な傑作であった。

 残業を午後八時までした後、家と逆方向の多摩センターまでレイトショーを観に行き、心に、淡々と、だが大きな感動を、この作品は与えてくれた。

   ◇

 見知らぬ者の葬式に参列し、雰囲気をそれとなく観察することを趣味としている、「死」に異常な興味を持つ少年イーノックと、

重度のガンに冒され、つまり、「死」を内包している少女アナベルの「失恋」の物語。

 二人の恋愛が、イーノックの過去(両親を失った交通事故の際の臨死体験時)の経験から知り合うようになった、元神風特攻隊員の幽霊ヒロシを絡ませ、主人公の二人の「家族」を眺めつつ、丁寧に描かれる。

 イーノックの不謹慎な趣味と、アナベルの、その悪趣味へのノリが、

 私に、「ああ、この作品は、『禁じられた遊び』思春期ヴァージョンだ」と思わせるのだった。

 最終的に、アナベルは死ぬ。

 それは、イーノックが趣味にしていた、「アスファルトの地面に横たわり、あたかも事故現場の被害者のシルエットの如く、チョークで、自分の身体を縁取る」行為を、二人でしてみたとき、

イーノックは、その線からいつしかはみ出してしまうのに、アナベルは、ずーっとチョーク線の枠に収まっていることから分かるし、

アナベルが、枠からはみ出るのは、イーノックにキスしようとした時だ。

 恋愛こそが、唯一、アナベルを「死」から…、「死の恐怖」から遠ざけた。

 アナベル役のミア・ワシコウスカは、聡明なイメージで、全編、その笑顔が最高だった。

 未来のない二人だが、キスだけが、おそらく、やわらかくて、お互いが生きていることの証となるのだろう。

 ヒロシ役の加瀬亮は、若き日本軍人を好意的に描いてくれているガス・ヴァン・サント監督のもと、奥ゆかしくも青い青年を見事に演じていた。

 クライマックスで、それまでイーノックにしか見ることの出来なかったヒロシが、今際のアナベルにも見ることが出来た「奇跡」に、私は感無量の思いが起こった。

 ヒロシは、アナベルの死後の旅に同行してくれるのだと言う・・・。

 イーノックの奇行の原因には、両親の死があり、自分が昏睡状態にあり、両親との最後の別れが出来なかったこともある。

 だが、アナベルの死で、初めて、自分自身の問題で、愛する者と形式を経た別れをする。

 別れの言葉を、皆の前で語ろうとするイーノック(ヘンリー・ホッパー)。

 だが、頭の中にアナベルとの思い出が溢れてきて、言葉が出ない。

 ただ、幸せだったので、思わず笑顔がこぼれてしまうのだった。

 照れくさそうにはにかんだ笑顔・・・。

 失恋に至ったけど、その思い出は「永遠」なのだな。

                                                     (2012/02/08)

[映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観た]

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☆昨夜観た『永遠の僕たち』に続いて、今宵も傑作を楽しめました。

 試写状が届き、喜び勇んでの公開日前鑑賞です^^

 そして、二日連続の「近親者の悲しい死を、ちょっと変わった生き方の主人公が受け入れ、未来に向かって克服していく物語」だった。

 また、死にゆく者も、主人公ほどではないけれど、それぞれの主人公を真っ向から受けとめる余裕を持った人格の持ち主である点も似ていた。

 ・・・この作品では、ニューヨークに住む主人公・オスカーが、<911テロ>で父親を失い、

 その喪失感から立ち直れない中、父親の遺品の数々の中から、一つの<鍵>を見つけ、

 そこに、死んだ父親から自分へのメッセージの存在を想い、その鍵の嵌まるべき鍵穴を、町中 捜し求めるストーリー。

 先ず、冒頭、主人公の少年(トーマス・ホーン)の、あまりにもの美少年っぷりにノックアウトされつつ、

 こんな美しい子を主役にしたら、それが「諸刃の剣」となり、作品の完成度に傷がついてしまうんじゃないか、と危惧したのだが、

 細かな描写の数々もすこぶる面白く、すぐに展開に没頭させられた。

 「鍵」の入った小封筒には「ブラック」と書かれており、オスカーは、即座にニューヨークに住む全ブラックさんを訪問し始めることを決意する。

 最初に訪れたブラックさんからして、夫との別離の真っ最中で、そのいきなりのドラマチックな場を見せられたことで、私は心を揺り動かされ、「この先、オスカーは何百人のブラックさんを尋ねるのに、その初っ端から、こんなにも盛り上げちゃってイイのかよ」とワクワクさせられつつ、そのワクワク感は必ずしも思っていたものとしては満たされないのだが、それとは異なったポイントで、鑑賞中ずっと、私をワクワクさせるのであった。

 時間前後のモンタージュ作劇も見事で、父親を演じたトム・ハンクスの、アスペルガー症候群的に頭の回転の速い息子への、多くの可能性を見据えた情操教育も垣間見せられる。

 また、<911テロ>時の、父と子の「関係」も、小刻みな演出で、クライマックスに向けて盛り上げる。

 母親役はサンドラ・ブロックで、息子を心配しつつ、自分自身も立ち直れずにいる苦悩を見事に演じていた。

 おばあちゃん役の人もかなり良いのだが、謎の老人役としてマックス・フォン・シドーが、口のきけない筆談老人を演じていて、作品に重みとユーモアを加えてくれていた。

 一つだけネタバレだが、この老人こそが、オスカーの父親の父親で、つまりオスカーの実のおじいちゃんなのだが、父親役のトム・ハンクスと妙に顔が似ていて、作中の血縁のリアルさを感じさせてくれた^^

 さて、予告編でも展開はよめた。

 ちなみに、予告編では<U2>の曲が使われており、私は、それが「左翼マスコミの報道番組」のオープニングに使われていたのを思い出させられ、どうも気に入らなかった^^(ピーター・ウェアー監督の作品でも使われていたなぁ)。

 ・・・プロローグで、父親が息子に謎掛けした「NY市の第六行政区」の存在だが、それは、オスカーの「ブラックさん探訪」を通して、最後に判明する。

 つまり、こういうことだ。

 多くの人を訪ね歩き、知り合い、経験として得た人々との触れ合い・繋がりこそが・・・、

 オスカーの旅路の、広大な街を歩きとおした、信念の通った一本の筋道こそが・・・、

 そう! それこそが、俺たちの捜し求めていた「ひとつなぎの大秘宝・ワンピース」なのだ、と!!!(←話がいつの間にかズレてる^^;)

   PS.昨夜の『永遠の僕たち』鑑賞では彼女がハラハラと泣き、
      今夜の鑑賞では、高ニの姪っ子が、グズグズと鼻を鳴らし、後半の20分くらい泣いていました。

                                                     (2012/02/09)

[近況報告 (140・フワッとギラギラ)]

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☆AKBのメンバーの母親が淫行で逮捕されていたそうで、ネットで話題になっている。

   《AKB48高橋みなみの母親逮捕、ネットは炎上状態に(2012年02月07日17時35分)》

 私は、そのメンバーの顔が、あまりにも険しく、目が好戦的にギラギラしていたので、いつも気になっていたのだが、そういう家庭環境があったのだと、理由の一端が分かり、少し納得がいった・・・。

   ◇

 タイトル写真は、火曜日、バイトの終わり際に現われた彼女が「おみやげに^^」とくれたものだ。

     <王様からのご褒美 王様のジャージープリンロール>・・・1260円

 もしかして、バレンタインの前倒しか? と、思ったのだが、来週の火曜日も会う予定なので、チョコはチョコでくれるのだろう。

「美味しそうだから買った」とのこと。

「一緒に食うか?」と言うと、「自分の分も買ったからいい( ̄ー ̄)ニヤリッ」とのこと。

 帰宅すると、家には、甥っ子も姪っ子もいなかったので、母親と二人で平らげた。

 二人では、ちょいと多そうに思えて、フワリと柔らかいので、パクパクッと食べれてしまった。

 最近は少食の母親も、「こりゃ、うまい」と食べていた^^

 柔らかいカステラロール中央のミルクプリンが、斬新な舌触りを形成していた。

 ・・・なお、彼女は、成人しましたよ^^

 いや、エロい意味じゃなくて・・・。

                                                     (2012/02/10)

[近況報告 (141・遠況報告)]

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☆ここのところ、仕事を終えてレイトショーを誰かと見に行くような毎日が続き、非常にバテている。

 今日から公開の『ドラゴンタトゥーの女』を見たくてたまらないのだが、三時間の上映時間は、翌日に仕事がある身には辛い。

 今日はさすがに早く寝ようと、定時で仕事が終わったので、さっさと帰宅し、いつもの如く、酒をかっくらっていい気分だ、と言うか、飲み過ぎて、風呂に入ったら汗をかいて、ようやく頭が冷めてきた。

 なんか、とりとめないことを書き散らしてみよう^^

 帰宅して、母親がそぼろご飯を作っていたので、それを食らいながら、缶ハイボールを飲む。

 居間なので、甥っ子と姪っ子が、<Wii>で「Wiiフィット」をやっていた。

Wiiフィット (「バランスWiiボード」同梱)クリエーター情報なし任天堂

 甥っ子は、日に日にスコアを伸ばしている。

 やっぱ、若い子は伸びるなぁ^^

 それを横目に、先日、古本屋で安く購入したマンガ『バンビーノ!』を読む。

バンビ~ノ! (1) (ビッグコミックス)せきや てつじ小学館

 イタリアンレストランを舞台にした、そこで奮闘する若者の物語。

 面白い。

 この作者、私、全く知らないんだけど、絵も展開も描写も、うまいなぁ(数年前にドラマになったよね?)。

 そっち系の裏方の仕事をしている弟に読ませたら面白いと思うのだが、弟は、そういうのを微妙に拒絶する^^;

 「いい女」がいっぱい出てくるのもいい^^

 最近思うのが、「いい女」ってのは「ウルトラマン」に似ているってことだ。

 まあ、俺みたいなロリコンには関係ない話さ・・・(←なぜにニヒル?)。

 で、とあるエピソードの中で、主人公が「ドルチェ」に挑戦する話があり、飴細工を作る描写があった。

 それを読んでいたら、20年前のニュージーランド(NZ)での生活を思い出した。

 私は、NZの一年間の滞在の前半を、アヤコちゃんという子と、もう一人の名前を忘れちゃった女の子とフラット生活をしていたのだが、

 そのアヤコちゃんが、なかなかのプレイガールで、NZの柔道チャンピオンやら、スイス人(だったかな?)のパティシエと浮世を流していた。

 で、なんかムカついた私は、アヤコちゃんに、「全く、マークだがマーカスだか知らないが、まーた、男を作りやがって!」などと声を荒げると、

「うわー!^^; なんで、ミド蘭、マークの本名がマーカスだって分かったのぉ!^^」などと、話が噛み合わないことこの上ない^^;

 で、そのマークは、ニュージーランドのオークランドで行われたデザートの品評会みたいのに参加したことがあった。

 で、偶然にも、一緒に住んでいた、もう一人の名前を忘れちゃった女の子の、ドイツ人の彼氏ギャリーもデザートのコックで、その品評会に参加していた。

 そのギャリーとは、私も割と交流があったので、結果を聞くと、「マークの野郎は入賞した。悔しいがなかなか良かった。でも、俺のも凄かったんだぜ」と写真を見せてくれた。

 それが、飴細工をお城のように伸ばしたゴージャスなものだった。

 が、私はそれを見て、「見た目はなかなかだが、飴にゃあ、それほどの食欲は湧かないよ・・・^^;」と思った。

   ◇

 ニュージーランド時代の前半・・・、私はまだまだ海外生活を心からエンジョイできてなかったけど、多くの仲間と楽しかったなぁ^^

 でも、私は、それと同等に、非常に孤独を愛していた、

 一人が大好きなのだ。

 カフェで、出涸らしの様なクソ不味いコーヒーを飲みながら、読書や文章を書いていたりした。

 今とあまり変わらない生活か。

 時間は無限にあった^^

   ◇

 後に、私は日本で女子高生とつきあうのだが、その子の卒業の年、年越しを泊まりに来ていた彼女と、真夜中に、初詣で近くの神社に行った。

 さて、神社で祈るときに、その子は、「私たち二人のことは、ミド蘭が祈ってね。私は違うことを祈るから」と言うのだ。

「じゃあ、カオリは何を祈るんだよ?」と聞くと、

「私は、専門学校で友達が出来ますようにって祈るの」と答えた。

 私は、その子の、お参りのお願いを一つに絞る思考回路もおかしいと思ったし、そこまで友達を必要とする気持ちもわからなかった。

 小動物のような可愛い子だったので、他者への依存度(庇護欲求)は高かったのだろうか。

 その子は、服部栄養専門学校に入りました^^

   ◇

 私は、いざという時でも「自立」が出来る女が好きなのだが、

 今までつきあった女の全てが、どんなに期待していても、最終的には自立心がなかった。

 そうなると、私は、ちょいと相手に幻滅してしまうのだ。

 ・・・私が『ハリー・ポッター』のルーナ・ラブグッドを好むのは、彼女が孤独を苦にしておらず「自立」しているからだ。

     

   ◇

 この話、面白いので、まだまだ続けてみます^^

 私も、昔のことをこうして記録しておかないと忘れてしまうので!!!^^v

                                                     (2012/02/10)

[歴史改ざん(五十六・草鹿龍之介・半藤・司馬・乃木・伊地知幸介・辻政信・西山太吉・ナベツネ]

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☆私は、ある種の人から見ると、いい加減に文章を書きなぐっているようでいて、割りと慎重な物書きで、

 映画『山本五十六』(クリック!)の感想では、このような「前提条件」を付している。

 <・・・原作が半藤一利とのことで、海軍善玉史観に彩られていたが、まあ、「いかなる戦争も反対」と言った条件反射左翼に、戦争の異なる視点を提供する点でいいテキストになろう。・・・>

 <・・・ただ、この「作品」、山本五十六だけが神格化されているが・・・>

 一つ目の引用においては半藤一利が非常に問題点のある「歴史評論家」であることを提示し、二つ目の引用などでは、あくまでも、この「作品」内だけでの「常識」があることを括弧付けで強調している。

 他のエントリーでは、こうも書いている。

 <・・・映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を見た人は思っただろう・・・、「作品」中、人格者であり非常に有能なる人物として描かれる山本五十六をして、その<コミュニケーションの不全>が、勝てたやも知れぬ決戦に敗北を喫する結果になったことを!・・・>

 山本五十六を下げるつもりはないが、山本五十六を美化するために、作中の他者をあまりにも貶めているとは感じていた。

 なんか、このことについて、ちゃんと書いておかなくてはなぁ、とは思っていたら、『正論(3月号)』で、その違和感の答えを得た。

   《潮匡人 『虚構と捏造の映画「山本五十六」》

 この文章 短いので要約するのが難しい、潮氏の主張の意を汲むと、全文転載が効果ありと考える。

 この方は、私と面識のある保守派中堅どころの先生方と親しいらしいのだが、私は知らなくて、おそらく、私のような軟派な男を嫌悪するタイプとお見受けし、全文掲載に怒りそうだが、それでも、僕、やっちゃいます。

 <昨年末、久しぶりに映画館で封切りを見た。この原稿を書くために。出来がよければ、批判を控えようと考えていたが、映画は、口述筆記の原作本より酷かった。
 「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―― 太平洋戦争70年目の真実」。原作は半藤一利著『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文藝春秋)。原作者は映画の監修も務める。彼の歴史認識については以前本誌で詳細した(拙著『司馬史観と太平洋戦争』『日本を惑わすリベラル教徒たち』参照)。ここでは映画化された論点に絞ろう。
 原作者同様、映画も歴史を善悪二分法で描く。山本五十六に加え、米内光政と井上成美が「良識派三羽ガラス」として描かれる。「聯合艦隊作戦参謀・三宅義男」も善玉として登場するが、かかる人物は存在しない。実在した三和義男参謀がモデルだろうが、なぜか名前を変えている。
 他方、悪玉は「東京日報」主幹である。
 当時かかる新聞社は存在しない。名前から類推するに、毎日新聞の前身「東京日日新聞」がモデルなのか。だが当時、戦意高揚を煽った新聞は東京日日だけではない。罪は「朝日新聞」のほうが重い。架空の新聞社を設定したのは、現存する毎日や朝日への配慮からなのか。
 映画は、虚実を織り交ぜながらも、「良識派」以外の軍令部や第一航空艦隊の上層部には遠慮しない。案の定、陸軍も悪玉史観で描かれた。左遷されていた山本を海軍次官に据えた永野修身も“悪玉"だ。山本同様、米国に駐在し、ハーバード大学に留学した人物とは思えない描き方である。彼が「A級戦犯」として訴追されたせいか。だとすれば、文字通り「東京裁判史観」であろう。
 同様に、第一航空艦隊の南雲忠一も悪玉だ。なかでも最悪なのが「第一航空艦隊参謀長」である。山本長官の方針に逆らう、徹頭徹尾、無能な参謀として描かれた。
 あまりにも酷い描き方に、制作サイドも躊躇したのか、パンフレットも、公式サイトも「第一航空艦隊参謀長」と記すだけで、実名は挙げない。だが専門家ならずとも、ネットで検索すれば、それが草鹿龍之介であると誰にも分かる。
 以前からの本誌読者は御存知のとおり、草鹿は私の祖母の兄である。映画を見て腸が煮えくりかえった。二度と見たくない。ここで厳重に抗議する。
 これまで原作者の草鹿評は史実に反すると繰り返し指弾してきたが、馬耳東風である。最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する(昨年十二月二十二日号)。
 映画は(他の場面同様)架空の作戦会議まで設定し、草鹿を貶めた。原作本も昭和十六年九月、海軍大学校の図上演習で「長官の不動の決意を知って、反対論の筆頭、南雲忠一中将や参謀長草鹿龍之介少将以下全員が了解し、さすがにこれ以降反対論を口にするものは一人もいなくなりました」と書く(?)が、これも史実に反する。
 確かに当初、草鹿参謀長は「国家の興亡をこの一戦に賭けるのは、あまりにも投機的すぎる」と真珠湾攻撃に反対した。実際、大西瀧治朗少将と旗艦「長門」に山本長官を訪ね、大反対した。長官は「僕がブリッジや将棋が好きだからといって、そう投機的、投機的というなよ」と軽く応じ、最後に二人だけでこう会話した。
「草鹿君、君のいうことはよくわかった。しかし、真珠湾攻撃は今日、最高指揮官たる私の信念である。今後はどうか私の信念を実現することに全力を尽くしてくれ。そして、その計画は全部君に一任する。なお、南雲長官にも君からその旨伝えてくれ」
「今後、反対論は一切申しあげません。全力を尽くして長官のお考えの実現を努力いたします」
 だが、今後、捏造された「太平洋戦争70年目の真実」とやらが定着していくのであろう。映画の最後に小椋桂作詞の歌が流れ、歴史の中に真実を学べ」と説く。
 隗より始めよ。     >

   ◇

 私の司馬遼太郎「坂の上の雲」好きは有名だ。

 かの作品には、少年ジャンプのバトルマンガを読むかのような血の滾りを覚えた。

 そして、幾つかの司馬作品を読んでいく。

 やはり、燃える。

 しかし、その中の歴史上の人物についての、他の著者の論文などを読んでいくと、司馬が、かなり偏った歴史の見方をしていることが分かっていく。

 「坂の上の雲」からしてそうだ。

 以下を参照のこと^^

   《[司馬遼太郎の名誉毀損と歴史・軍事誤認識(積ん読本を読む)]》(クリック!)

 このエントリーでは、半藤が、「南雲中将-第一航空艦隊参謀長」ラインを愚かな指令系統に貶めたのと同じように、

 司馬が、「坂の上の雲」・日露戦争においての「乃木希典大将-伊地知中将」ラインを愚かな指令系統に貶めたのと同様である。

 架空の世界が舞台のジャンプマンガならば「絶対悪者」を設定するも良いだろう。

 いや、最近のジャンプマンガは、悪にも一理が描かれているが・・・。

 だが、司馬は実在の人物で、それをやっていた。

 司馬は特に、<ノモンハン事件>を、日本の<負の歴史>のターニングポイントとして嫌悪していた。

 私は、それがとても気になった。

 そして、こちらのブログ『わかりやすい「戦争」』(クリック!)で<ノモンハン事件>を考え始めた。

 時に、ソ連崩壊の後の極秘資料が流出し始め、<ノモンハン事件>での、多大なソ連の被害が判明してきた。

 日本の損害の比ではなかった・・・。

 ブログは、今は停滞しているが、これは私のライフワークの一つとなるので、気長に待ってて欲しい。

 昨日も、<ノモンハン事件>の最新論文の載っている『軍事史学(通巻180号)』などを取り寄せ、準備は怠りない。

 さて、司馬は、<ノモンハン事件>を書かずに、死去した。

 そして、その仕事は、司馬の盟友であった半藤一利に引き継がれ、『ノモンハンの夏』として結実する。

 読むと、「読み物」として非常に面白い。

 だが、「史実」ではない。

 辻政信大佐は、奇矯な面も多いが、軍人としての才能も、大きな魅力もあった。

 そもそも、この時代の男は、みんな、面白かった^^

 半藤は、その男の行動に代表される「史実」を、「この男ならばこうする」「こうあらねばならない」という色眼鏡で、過去からの、時代の移り変わりの中で変化した思想価値観の偏見で持って断罪していた。

 書いた当時の情報不足もあったのだろうが、それでも、微妙に主張をスライドして現在も間違いを改めない。

 そんな「ハゲ(半藤)」を私は信じない・・・。

 潮匡人の主張の中で、良識派として描かれている三和義男参謀の名前が改変されているのは、「ハゲ」に怒りをもっている「良識的な関係者」が許可しなかったのだろう。

 そして、「(半藤が)最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する」の主張は、これが、いわゆる「ハゲの主張スライド」である。

 これは、「俺は間違ってないよ。潮の主張は聞いたよ。だから、こうして主張を修正しておいたよ」と言う意味なのである。

 潮氏も、私の鋭さを分かると思うが、このハゲ(半藤)の主張は、今までの主張と少し変化しているに違いないのだ^^;

 それで、潮氏の抗議をかわしたと思っているのだ・・・。

 まあ、そこを一つ譲歩したら、ハゲ(半藤)の全主張が崩れるだろうから、ハゲ(半藤)は改めることはないと思う。

 年齢的に、ハゲ(半藤)は退場することも遅くはなかろう。

 そしたら、そのデマの数々を、潮氏は「上書き」すれば良いと思いますよ^^

 酷いことを言っているように思えて、ハゲ(半藤)のやっていることこそが、死に匹敵する凄まじく酷いことであるのは被害者こそが分かろう・・・。

   ◇

 実は、私、数ヶ月前に、西山太吉氏の講演会を拝聴した。

 かなり勉強になったが、この左翼闘士の頂点をして、その、左翼の限界をまざまざと思い知らされた。

   《[左翼の講演会に行ったyo!(前編)]》(クリック!)

   《[左翼の講演会に行ったyo!(後編)]》(クリック!)

 私が言いたいのは、要は、全くの代案なき破壊工作は、無責任の垂れ流しだよということだ・・・。

 そして、その西山太吉の「小便垂れ流し」行為を美化したドラマが、今、テレビで放送されていて、それにナベツネが噛みついたそうだ。

 「産経抄(2月11日)」より。

 <読売新聞の渡辺恒雄主筆がなにやらご立腹である。巨人のコーチ人事に容喙(ようかい)したとして彼を「コンプライアンス違反だ」となじったかつての部下、清武英利・前読売巨人軍代表との裁判が気になるのか、と思ったらさにあらず。
 ▼沖縄返還に伴う日米の密約文書をめぐって昭和47年、西山太吉・元毎日新聞記者が逮捕された事件を扱ったドラマ「運命の人」(TBS系)に腹を立てているのだ。怒りの心情をサンデー毎日に寄稿しているが、ドラマよりも面白い。
 ▼西山氏は、米国が払うべき補償金を日本が肩代わりするとの秘密文書を「情を通じて」外務省の女性事務官から入手。資料を現衆院議長の横路孝弘氏に渡し、国会の場で公にするが、不手際で情報源がばれてしまった。記者と事務官は国家公務員法違反で逮捕され、最終的に2人とも有罪になる。
 ▼ドラマは、山崎豊子の同名小説をなぞっており、渡辺氏をモデルにした山部一雄記者を演技派の大森南朋が演じている。山部は社の壁を越え、逮捕された記者を助けようとするおいしい役どころなのだが…。
 ▼ご本人にとっては、田中角栄元首相がモデルの田淵角造から接待され、現金をもらう「下等なたかり記者」扱いされたのに我慢ならぬらしい。確かに渡辺氏は、田中氏とさほど親しくなく、怒るのも無理はない。西山氏が彼より数段、格好良く描かれているのも気に入らぬのかもしれないが。
 ▼密約といえば、後年明らかになる有事の核持ち込みに関する密約がより重要だが、一連の密約なしに沖縄返還は実現しただろうか。一向に進まぬ普天間飛行場問題をみるにつけ、佐藤栄作元首相の決断の重さと西山氏ら反対者への激しい敵意を改めて思い知る。>

 いやはや、実在の人物を描くのって、どう描いても文句言う人はいるので、特に、山崎豊子の「勧善懲悪」の「フィクション」で描かれたら怒る人も多いよ。

 余談だが、ナベツネは色々言われるけど、その文章は、かなり読みやすいよ^^

 で、山崎豊子の作品だが、私は、映画『沈まぬ太陽』の感想でもこう書いている。

 ホント、私は慎重な文章書きだわ^^

 <だから、「物語のここが優れている」「ここの役者の演技が秀逸」などと、客観的に、[創作]として接せられなくて、論じにくいのである。>

   ◇

 世の中、「物語」と「史実」の区別をつけられぬ人は多い。

 ノンフィクションめかしたフィクションをノンフィクションと見てしまうわけだ。

 まあ、その区別をつけられないように読ますのも書き手の手腕だが・・・。

 ・・・このテーマで、まだまだ書けるのだが、ちょいと出掛けてきます^^

                                                     (2012/02/12)

[映画『ドラゴン・タトゥーの女』を観た]

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☆スウェーデン映画のリメイク作だそうだが、それらの作品は都内でしかやっていなかったので、多摩地区で保護観察下にあり、後見人に虐待されている私には観に行くことが出来なかった(←こういうこと書くと本気にするバカがいるんだよなぁ^^;)。

 ・・・のだが、この作品はハリウッド産の全国公開なので、近くのシネコンで午前中からビール片手に見てきましたよ。

 いやねぇ、オリジナルを知っている人には不評だけど、私には最高でしたよ^^

 私は、そもそも、リスベットみたいな女が大好きなんだよ。

 ちょっと『ベティブルー』のベティ(ベアトリス・ダル)みたいでしょ?

 私は、こんな女と絶望へひた走りたいと、いつも、思っているのですよ。

 でも、リスベットは、物語全編を見終えると、外見(パンキーで可愛い)や行動こそは奇矯だけど、その求めていることは普通の「女の子」なんだよね。

 少女のように小さくて、他者と長時間 目を合わす情緒を保てない。

 向こう見ずさと天才的なハッカー技術で標的に突っ込んでいくが、その腕力は小娘のものでしかない。

 人並みに幸せを求めているけど、それが打ち砕かれると、我慢する。

 いとおしいものだ。

 この子(ルーニー・マーラ)、『ソーシャルネットワーク』で、全く別タイプのヒロインを演じていて、今回の役で見違えたけど、その瞳と顔の輪郭で鮮明に分かりました^^

 『ソーシャルネットワーク』では、重要な役柄なれど、それ程に時間露出の長い役ではないのに、こんなに体当たりな演技を出来る女優と見抜いたフィンチャー監督の眼力は凄い。

   ・・・『ソーシャル・ネットワーク』のエリカ

   ・・・リスベット

   ◇

 ・・・権力に潰され、落ちぶれかけていた雑誌記者ミハエル(ダニエル・クレイグ。いい感じで落ち着いたね^^)は、北方の町の富豪から、40年前に一族を襲った少女失踪事件の謎の解決を、敗北を喫した政治家へのリベンジ情報と引き換えに引き受ける。

 正直、私、猟奇事件は嫌いなので、この作品のそういった側面は嫌いなのだが、

 40年前の、人々のかなたの記憶を掘り起こそうとするミハエルを取り囲む状況は、胸がワクワクするシチュエーションだ。

 密室島からの少女失踪のミステリーの雰囲気もいい。

 全くとりつくしまのないような固定化された記憶の中での謎も良くて、徐々に徐々に掘り下げていく過程も心地よい。

 三時間近い作品で、内容は、一族の人々を紐解くには短いが(なかなか名前と一族での位置が覚えられない^^)、ニ時間ほどでまとめられなくもない。

 が、残りの一時間ほどをリスベットの、ミハエルに招聘されるまでの生活にあてており、そこがリスベットの人となりを見ている者に強烈に印象づけるのにあてているので、後半の「天才ハッカー探偵」としてのリスベットの活躍が爽快だ。

 格好いいし、可愛い。

 この子を「知りたい知りたい」と思っていると、いつの間にやらエンディングを迎えていた。

 この後、オリジナル版もレンタルしてきて見たいと思うが、原作が三部作ということで、それを成し遂げて欲しい。

 リスベットに平安を・・・。

                                                   (2012/02/12)

[文章指南(1・初歩から)]

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☆・・・やべぇ、また安請け合いしちまった^^;

   ◇

 とある娘っ子から話し掛けられ、陽気に話していたら、彼女は早稲田大学文学部に在籍しているが、今は休学していて、何よりもレポートの書き方が分からなくて困っているというのだ。

 ちなみに、私がワーキングホリデーに行くに際し休学したときは、30万ほどの金がかかった記憶があるのだが、現在の早稲田は、休学の在籍の費用に5万ほどしか掛からないようだ。

 もちろん、早稲田に合格しているのだから、彼女は、ある一定の優れた知能を持っているのだろうが、話しているうちに、「もしかして、根本的に、この子は、文章を書く経験を経ていないで成長してきたのかもしれない」と思えた。

 それと言うのも、私は、六大学でも下層の法政だが、歴史・伝統ある大学というのは、わりと(特に文学系)、レポート提出に厳正な規定はなく、読む教授の心に、一箇所でも「おっ!」と思わせたら、「可」の成績を頂けると思うのだ。

 これが、三流大学ならば、却って厳正な採点がされるのだろうが、ある一定のレベルの入試を経る大学の学生ならば、教授から学生への客観的な信頼もあり、自主性が重んじられ、余程に酷いレポート様式でなければ、採点も、教授の満足度で決まる。

 だから、その子が、そこまでレポート執筆を苦手とするのならば、初歩的なトコで躓いているのではないか、と思った。

 ・・・正直、私だって、理路整然とした文章は書けない。

 しかし、これは何度も言っているが(^^;)、私は大学で、「君には文章表現の天与の才がある!」と言われた男である。

 読む者が、「何を書いているのかサッパリ分からん」と思うような文章は書いていないつもりだ。

 その、早稲田休学の娘とは、映画の話もしたのだが、なんと! おそらく知り合いでは誰も見ていないと思われていた『マジック・ツリーハウス』を、彼女も見ていたのだ!

 故に、こんな安請け合いをしてしまったのだ・・・。

「次はいつ会える? ん? 明後日か。よし、じゃあ、明後日までにレポートをどういう風に記せばいいか、書いてきてあげるよ。うん、そうだな、じゃあ、お題は『マジック・ツリーハウス』にしよう^^v」

 言ってすぐに、私は、後悔した。

     [また、ええかっこしいしてしまった…}orz

 ・・・でも、書かねばならぬ。

   ◇

 ここでは、文学系の提出レポートについて書きます。

 文学系のレポートの課題・・・、仮に、「映画『マジック・ツリーハウス』の、独創的な特徴を報告せよ」とします。

 以下は、高尚に言えば「映画評論」ですが、基本的には「映画感想文」です。

 でも、文学系のレポートに限っては、「感想文にちょいと手を加えた雰囲気」で、レポートとして成り立ちます。

 本来のレポート・論文は、個人的な体験などはご法度なのですが、文学系では許されます^^

 ただ、けして忘れてはならないのが、課題の「独創的な特徴」提示です。

 それを具体例の羅列でもって証明しなくてはならない。

 だが、文学は科学ではないので、物理的な証明は必要なく、自分の文章で、理屈で、相手を納得させればいいだけです。

 では、私の書いた<「映画感想文」プラス>を読んでみましょう^^

 なお、以下の文中のナンバリングは、後からの解説の為のものです。

   ◇   ◇

   [映画『マジック・ツリーハウス』を観た]

 <☆甥っ子と姪っ子を連れて行った。
 レイトショーでなく、午後七時からの回だったのだが、お客さんが、私たち3人だけだった^^;(1)
 原作は、小学生低学年向きの世界的な人気ベストセラーで、シリーズは50作にも及ぶと言う。(2)
 主人公は、小学5年くらいの「本の虫」のジャックと、小1ぐらいの、好奇心旺盛でアクティブな妹アニーだ。
 その二人が、時空を飛ぶツリーハウスで、古今東西を巡り、魔法のメダルを探し集める物語。(3)
 今回は、二人と、ナビゲイターと言うかマスコットのネズミ・ピーナッツが、
 恐竜時代・中世・ポンペイ最後の日・海賊の島を冒険する。(4)
 冒険といっても、幼い二人なので、ほとんど、その世界を「眺める」レベルに毛が生えた程度なのだが、それぞれのパートのクライマックスでは活劇もある。(5)
 子供向けだと思うと、なかなかにせっぱ詰まった状況になり、見ている大人の私でも、「この危機、どうやってくぐり抜けるんだろう」と、俄然 興味を引くのだった。(6)
 ティラノサウルスは、思った以上に執拗に二人をつけ回すし、
 スパイと誤解されて中世の城の中を逃げる二人の背景は、なかなかリアルで興味深い、
 ベスビオ火山の噴火は、かなりの大スペクタクルだし、
 海賊船での活劇は、二人が「等身大の子供」であるが故に、ヒヤヒヤさせられた。(7)
 先ほど、二人の旅は「眺める」レベルと書いたが、子供が見たら「おおっ!^^」と思うような歴史や文化・科学や自然の断片が垣間見られる。(8)
 プテラノドンに触った二人が、「体毛がビロードのようだ」とか、
 中世の騎士の宴では、孔雀が食されていたとか、
 ローマ帝国での、石窯で焼いているパン屋の描写などには「へーッ!^^」の思いがつのる^^(9)
 どうしても最近のアニメの絵柄の大半は、総じてジブリ風なのだが、この作品は、かなり独特の描線で、
 ジャックの眼鏡の上側を略していたり、人物たちの閉じた口の中程も線が消えていたりしている。(10)
 アニーの幼い体型なども、小さくデフォルメされていて、わりと可愛くて独創的だ。
 そして、その声をあてた芦田愛菜、小学一年生だそうだが、非常にうまい。
 可愛い声質でありつつ、巧みな言い回しで、本職に負けていないのが衝撃的だった。
 対して、ジャックは北川景子があてたそうで、かなり上手いのだが、「ああ、北川景子だ^^」と言う個性が感じられず、誰でも良かったような気がした。(11)
 子供向けだったので、私には、もうちょい刺激が欲しかったが、甥っ子と姪っ子はかなり楽しんでいた^^(12)
 物語の途中、ポンペイの町を襲った悲劇に、ジャックがナーバスになったり、海賊に捕まったアニーがグーで殴られたり、処刑されそうになるのは、作品バランス的に、なかなかシビアな展開ではあった。(13)
                               (2012/01/11)>

   ◇   ◇

 短い文章であるが、この中には、私の求める、「読む者への報告と論理」、つまり「レポート」が組み込まれています。

 てゆーか、私はいつも、どんな文章でも「小説」として書いているんですけどね・・・。

 では、細かく分割して考えていきますが、ひとこと言っておくのが、各項目を100行位づつ書いていけば、ちょっとした論文として完成します^^ ってこと。

 論文としての要素は全て入っておりますが、論文としての文章構築はされておりません。

 私の美学は、それを崩すところにあります^^

 何故って? それは、私が物語指向であるからです。

 レポートであろうとも、物語でなくちゃネ^^v

   ◇

   (1)・・・特別な体験。

   (2)・・・作品背景。

   (3)・・・作品の大枠。

   (4)・・・作品の大筋。

   (5)・・・作品傾向(批判)。

   (6)・・・作品傾向(感心)。

   (7)・・・課題への答案の序章。

   (8)・・・結論。

   (9)・・・結論を補強する具体例の数々。

   (10)・・・作品の演出テクニック。

   (11)・・・演じ手の印象。

   (12)・・・他者の感じ方。

   (13)・・・私の素朴な感想。

 こうして、解析すると、我ながら、なかなか良く書けていますね^^;

 究極的には、論文も小説も、上記の項目の「順番」でしかありません。

 ・・・本当は、(8)の結論を、最初と最後にも、表現を変えて置いたほうがいいのかも知れませんが、私の流儀ではない。

 それから、いちお、言っておきますと、この文章は、(8)と(9)がなかったら、感想文でしかありません。

 (8)と(9)があるから、その文章上の「起伏」が、「映画評論もどき」足り得るのです^^v

   ◇

 これだけじゃ済まないが、今夜は眠いので、おやすみなさい・・・zzz

                                                     (2012/02/13)

[手塚治虫の『七色いんこ』について]

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☆手塚治虫は優れた作品を幾つも生んだが、私が「私だけの好きな作品」を選ぶとしたら『七色いんこ』を挙げる。

七色いんこ (1) (少年チャンピオン・コミックス)手塚 治虫秋田書店

 ちなみに、タイトル写真は、「七色いんこ」みたいな「レディー・ガガ」^^

 代役専門で舞台役者を請け負いながら、幕間に金持ち客の金品を失敬する役者泥棒・七色いんこと彼を追う女刑事・千里万里子の物語(「ウィキペディア」より)。

 毎回毎回、古今の演劇がお題となり、話が進む。

 『ブラックジャック』と同じ読み切り連載だったのだが、私は、普段の七色いんこの軽快さと、描かれる各種名作演劇作品の深みに惹かれ、少年チャンピオンコミックス(秋田書店)の全7巻は繰り返し読んでいた。

 ・・・本日、ブックオフに行き、100円コーナーにめぼしいマンガはないかなぁ、と眺めていたら、手塚治虫漫画全集(講談社)の『七色いんこ』の4〜7巻があった。

七色いんこ(6) (手塚治虫漫画全集 (346))手塚 治虫講談社

「おっ、状態がきれいだなぁ」とパラパラ捲る。

 すると、明らかに見たことのないエピソードが散見された。

 手塚治虫は、『ブラックジャック』や『三つ目がとおる』の中の、自分の気に入らない(その完成度に不満足な)作品などは、コミックスに収録していなかった。

 『プライム・ローズ』や『ゴブリン公爵』などは、作品ごとコミックス化されず、手塚治虫の死後、ようやく単体書籍化された。

 『ミッドナイト』の幻の最終話も、死後発売された文庫版にやっと載せられた。

 だが、手塚治虫が気に入らなかったからと言って、作品の魅力は読者が決める面もあり、『どろろ』などは大人気だ。

 そして、『七色いんこ』にも、そんな未収録作品があるとは知らんかった。

 でも、自分が知らない七色いんこに、手塚治虫の死後20年以上を経て会えるとは、非常に嬉しいことだった。

 調べると、本来、『七色いんこ』は全47話だそうだ。

 で、今、少年チャンピオンコミックス版全7巻のエピソードを数えると38話しかない。

 つまり、後9話あるわけだ。

 今回、私は、手塚治虫漫画全集版の『七色いんこ』の4〜7巻を購入し、ちゃんとは見てないが、未見だったエピソードが4話ほどあった。

 て、ことは・・・、手塚治虫漫画全集版の1〜3巻には、後5話、未見のエピソードがあるわけだ。

 よし!

 明日から、古本屋巡りを地道に進めよう!!!^^v

                                                      (2012/02/14)

[映画『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』を観た]

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☆遅ればせながら、甥っ子を連れて見に行きました!

 私は、「スーパー戦隊」物は、『太陽戦隊サンバルカン(1981)』辺りで卒業していて、

 だが、四半世紀以上振りの、まさかの「ギャバン復活」を知り、いてもたってもいられなかったのだ。

 ちなみに、「サンバルカン」と、その前作の『電磁戦隊デンジマン(1980)』は、私が中学校の頃、夕方に再放送がされており、その主題歌の「♪どこかで誰かが叫んでる 助けを求めて叫んでる 急げ! デンジマン! デンジスパークだ!」を「♪どこかで女が犯されてる 助けを求めて叫んでる 急げ! デンジマン! 仲間に加われー!」と、中二病的な替え歌で喜んでいました・・・^^;

 それから、この二作には、悪役として、しかも、女の悪役として<へドリアン女王(曽我町子)>が連続して登板していて、その作品をまたいだ登場に、私は作品世界の広がりを感じたものだった。

 それが、今回の作品世界垣根越えの「ゴーカイジャーvsギャバン」と言うマッチングを生んだ原初とも思っている。

 で、その頃、『宇宙刑事ギャバン(1982)』が初放送されていた。

 正直、この作品は、私の五歳下の弟にとってのタイムリー・ヒーローであった。

 当時の私は、頭の中では「女体(にょたい)」のことばかり考えている、マスタベーション覚えたての中坊であったが、弟の夢中になる「ギャバン」を横目にしながら、敵の作る異世界「マクー空間」のビジュアルが「斬新だなぁ」などと思ったし、当時、公開された『レイダース/失われたアーク(1981)』での、インディ・ジョーンズが洞窟通路内で、大きな石の玉に追いかけられるシーンがそのままパクられていたので、「節操ないけど、面白いなぁ」などと感心していた。

 後で語るが、ギャバンにはアシスタント役の女がいて、それを、当時の自分の感性から見ても「いい女」系の叶和貴子が演じていて、ちょっと驚きだったが、当時の私には、叶和貴子は「いい女」過ぎて身近じゃなかった。

 だが、「宇宙刑事」シリーズの三作目の「シャイダー」が放映された頃になると、私もちょっぴし大人になり、女の好みに対し、無限の可能性を持てるようになり、ヒーローのアシスタントキャラにはそぐわない森永奈緒美が、ミスマッチでマッチしており、「♪銃をとったら、アニーにおまかせ!」と言うテーマソングとともにパンチラアクションをしてくれていたので、「俺もおまかせしてぇー!^^」と非常にエロく感じていた。

 今回の映画だが、数ヶ月前から、職場でも話題になっていた。

 それほど、「ギャバンの復活」は、アラフォーの男子にはトピックであった。

 また、「宇宙刑事」シリーズのギャバンが、「スーパー戦隊」シリーズの最新グループと交わると言うのも、なんちゅうか、横のつながりでも、縦のつながりでもなく、「斜め」っていて気になった。

 また、公開されていたギャバンの外観のメタル具合が「ツヤあり」過ぎるのも気になった。

 杞憂であった。

 物語すぐに、宇宙刑事ギャバンから逃げる海賊戦隊ゴーカイジャーのシーンから始まり、艦隊戦から肉弾戦へと移るのだが、スピーディーなアクションの中、ギャバンの「ツヤありメタル姿」が映える映える^^

 だが、「蒸着」を解いた後のギャバン(大葉健二)の「いぶし銀」の濃ゆい姿にはまいったまいった^^;

 30年前も、大概 ワイルドだったのだが、更に、「漆を何層にも重ね塗りしたかのようなワイルデスト(ワイルドの最上級^^;)振り」には圧倒された。

 アクションにも淀みなし。

 その姿に、私、いきなり、ジーンときた。

「お前、なにもんだ?!」とゴーカイジャーに問われ、普通の決めポーズの四倍くらいの身振り手振りアクションの果てに、「宇宙刑事ギャバン!!」と叫ぶに至り、「すげぇ」と呟くことしか私には出来なかった・・・^^

 さて、対するゴーカイジャーだが、『ワンピース』ブームに便乗した「海賊戦隊」であることは分かるが、空を飛ぶ帆船タイプのメカは、『アクマイザー3』『光子帆船スターライト』以来で見てて楽しい。

 また、メンバーの5人+αだが、二人の女の子も含めて、みんな今風のモテ顔だ。

 特に、レッド役の男は、けしてギャバンの個性に負けておらず、活きがいい^^

 生意気なのだが、過去、幼少時に、ギャバンと邂逅を果たしており、その時の恩を忘れられない純情さも持っている。

 

 腰までの丈のローブっぽいコートの着こなしが格好いい。

 ゴーカイジャーを、刑事として捕らえたギャバンだが、ゴーカイジャーに罪を着せたのは宇宙警察組織の腐敗だったと知り、ゴーカイジャーを解放しつつ、その出来事を宇宙警察の司令に追求すると捕らえられ、「マクー空間」にある<マクー監獄>に収監されてしまう。

 それを知ったレッドは、救出に向かいたいのだが、「マクー空間」への進入方法が分からない。

 そこにふらりと来たのが、同じく大葉健二が演じた戦隊物の『バトルフィーバーJ』の<バトルケニア>と、『電磁戦隊デンジマン』の<デンジブルー>で、こりゃ、もう「大葉健二・ザ・ワールド」で、そこまでやらなくちゃならない必然がないのだが、たまらなく面白い^^

 かくして、「Wケンジ」の助言で、ゴーカイジャーは「マクー空間」へ。

 マクー監獄への突入には、既存の建物をうまく使った「異界の監獄」の雰囲気を醸しつつ、突入。

 そして、館内の牢屋には、これまでの「戦隊」シリーズの悪役たち(色っぽい女敵方含む)がランダムに捕らえられていて、小芝居を見せてくれる^^;

 シリーズのファンには、たまらないだろうな^^

 甥っ子は、「あれ? この人たち、知ってるぞ!」と驚いていた。

 私も、知りゃしないのだが、元から知っているつもりで、その懐かし感覚を楽しむのだった。

 これは、完全に、『ワンピース』の<インペルダウン>編での、それまでの敵役の面々の復活と同じ展開である。

 こういうのは楽しい。

 また、ゴーカイジャーは、過去のヒーローに変化できるらしく、「戦隊物」過去作から、バンバン ヒーローが現われた。

 『ジャッカー電撃隊』の<ビッグ1>まで登場するんだから、楽しい。

 おっと、ゴーカイジャーの変化とは関係ないが、「スーパー戦隊」シリーズの、次の主役たちまで登場し、戦ってしまう大盤振る舞いには感動しきりだった・・・。

 また、監獄館内に進入したゴーカイジャーを戸惑わせるために、各階に「マクー都市」を出現させるのだが、その、各階のビジュアルが、石畳の町であったらい、海であったり、林であったり、採石場であったりと、センス・オブ・ワンダーに溢れていて、その中でのメンバーのアクションがかなり白熱していた。

 特に、レッドvs偽ギャバンのバトルは、長いのに飽きずに見てしまった。

 そして、その脱出シーンは、本格ミステリ的な意表を衝いた「突き抜け具合(底抜け具合か^^;)」で、非常に愉快痛快で感心させられた。

 そして、ギャバン救出後の、最終決戦でのバトルも、面白かった。

 最後の変身をするのだが、ギャバンのバトルスーツ蒸着後、すぐに、その「0.05秒の蒸着プロセスを見てみよう」と解説ナレーションが入る。

 ツボを心得ているぅ〜。

 おまけに、本来のテレビ版では、そんな描写はないだろう、ゴーカイジャーの「0.18秒の変身シーン」のプロセスまでも見せてもらえ、実に痒いところに手が届く演出であった。

 惜しむらくは、クライマックス、ゴーカイジャーの空飛ぶ帆船が、いきなり、次のシーンで巨大ロボットに変化していた描写カット不足と、

 ギャバンの宇宙船のデッキに叶和貴子がいなかったことだ。

 多分、叶和貴子などは、いまだに美しいはずなのであるが・・・^^v

                                                   (2012/02/15)
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