☆凄いや!
アニメは、もう『ヱヴァ』だけで充分だと思っていたら、『まどか☆マギカ』で驚かされ、『アシュラ』で「これもありだな」と思い、ここにきて、またも凄いのを観せられた・・・。
大概、『009』級のビッグタイトルだと、古くから知っている人の心の中には、「俺だったら、こうする!」みたいな構想があるもんだと考える(そんな考えで、私は、いきあたりばったりだが、小説「JOJO」を、このブログで書いている^^)。
私にも「俺009」があった。
そもそも、私、「009」は大好きで、サンデーコミックス(秋田書店)版も定期的に読み返すし、『超銀河伝説』も映画館で見たし(パンフもいまだに持っている)、そのテレビ放映では、クライマックスで犠牲になったハインリッヒの復活シーンがカットされていたのも覚えているし、こんなエントリーも残している。
[『サイボーグ009』の映画と萬画(2009/01/09)]・・・クリック!
だが、今回の作品は、私の「俺009」をはるかに凌駕するイマジネーションに溢れていた。
果たして、石ノ森章太郎タッチかと言われると異なるのだろうが、その原形は残している作画のレベルは、現在のアニメでは最高位に位置すると思う。
3D効果も抜群で、奥からの継ぎ目(段階)のない滑らかな立体感覚であった。
それぞれのキャラが、それぞれ自立して動いている様が現代的で、原作晩期の、キャラ別短編連作のハードボイルドでアダルトな雰囲気を思い出す。
アダルトといえば、「003」ことフランソワだろう。
「009」の島村ジョーに下着姿で縋りつき、濃厚なキスをむさぼるシーンはエロかった。
エロくて良かったが、本来のフランソワとは違うなぁ…、顔はローラみたいだったし、それはそれでいいんだけど、フランソワは、メーテルや和登サンと同じ、「永遠の美しき女」のイメージでもあるからなぁ。
また、ギルモア博士の、全能ならざる故の「胡散臭さ」なども(特に初期の、00チームの「ブラックゴーストからの離脱篇」の時の、目の黒い頃の博士ね)、うまく作品に抽出されていた。
原作版も、わりと初期の頃から、ベトナム戦争に突入せざるを得なくなったり、晩期のアダルトタッチと言い、現実の社会情勢への照らし合わせが行なわれているが、
今回の作品も、アメリカの陰謀論や軍産複合体などと言う言葉が出てきて、石ノ森スピリッツに溢れていた。
アクションシーンも、これでもかとリアルな空気感だ。
00チームが、現代兵器に対し、必ずしも無敵でないのが、いいね。
兵器の重厚さに対し、それぞれの00メンバーの能力の発現も、物語に則し、非常に効果的に配されている。
かっこいいハゲの007(グレート)は、スパイ稼業ゆえ、アダルティーに地味に、
006(張々湖)は、非常に有能なギルモアのエージェント的な活躍をし(その中華料理屋の登録商標の訴訟でギルモアと争っているそうだが^^;)、その能力は、全てを焼き尽くす。
ジェロニモは、インパルスさえも伴なうパワーを発揮し、そのとき、身体にアメリカインディアンのタトゥーを浮かび上がらせる。
001(イワン)は、無敵で不気味でちっこくて可愛い。
004の能力は機能的だし、なんか暗い過去から解き放たれて、喋る喋る^^;
今回は、しかし、DIOの「ザ・ワールド」的に活躍する009と、時を経て、いつしか009らと袂を分かっていた002(ジェット)の物語といえた。
私は、成層圏を舞台にしたクライマックスでは、あの『地下帝国ヨミ編』の語り草のラストシーンが再現されるのかと思っていたよ^^;
ただ、今回の物語、008(ピュンマ)が、その能力を全く発揮する機会が無かったのが、別に008に思い入れはないが、残念かなと・・・(続編は海洋物かな?)。
と、思いきや、そつがない、なんと、作品の作り手は、アフリカの遺跡から発見された「天使の化石遺体」を物語に絡め、
石ノ森が目指してやまなかった「最終章・天使篇」を醸してもくれるのだった。
この「天使」のシークエンスだけは、ちょっと話が理解しにくく、観終えて後も、15%ほど疑問が残る。
が、そこは、観る者に委ねているのだろうし、幻想的かつ哲学的な命題の提示は、石ノ森のポエティカルな面をうまく出していた。
そして、エンディングの「ポエティカル」だが、そこは、009が刹那の「万能」を持ち、「奇跡」を起こすのだが、これは、映画『超銀河伝説』での、宇宙誕生の真理「ボルテックス」と同じだな。
オリジナルの意思を継ぎ、更に、その上を目指したこの作品、是非、皆さん、見てくれ!
かっちょいいぞ!!!^^v
(2012/10/27)
アニメは、もう『ヱヴァ』だけで充分だと思っていたら、『まどか☆マギカ』で驚かされ、『アシュラ』で「これもありだな」と思い、ここにきて、またも凄いのを観せられた・・・。
大概、『009』級のビッグタイトルだと、古くから知っている人の心の中には、「俺だったら、こうする!」みたいな構想があるもんだと考える(そんな考えで、私は、いきあたりばったりだが、小説「JOJO」を、このブログで書いている^^)。
私にも「俺009」があった。
そもそも、私、「009」は大好きで、サンデーコミックス(秋田書店)版も定期的に読み返すし、『超銀河伝説』も映画館で見たし(パンフもいまだに持っている)、そのテレビ放映では、クライマックスで犠牲になったハインリッヒの復活シーンがカットされていたのも覚えているし、こんなエントリーも残している。
[『サイボーグ009』の映画と萬画(2009/01/09)]・・・クリック!
だが、今回の作品は、私の「俺009」をはるかに凌駕するイマジネーションに溢れていた。
果たして、石ノ森章太郎タッチかと言われると異なるのだろうが、その原形は残している作画のレベルは、現在のアニメでは最高位に位置すると思う。
3D効果も抜群で、奥からの継ぎ目(段階)のない滑らかな立体感覚であった。
それぞれのキャラが、それぞれ自立して動いている様が現代的で、原作晩期の、キャラ別短編連作のハードボイルドでアダルトな雰囲気を思い出す。
アダルトといえば、「003」ことフランソワだろう。
「009」の島村ジョーに下着姿で縋りつき、濃厚なキスをむさぼるシーンはエロかった。
エロくて良かったが、本来のフランソワとは違うなぁ…、顔はローラみたいだったし、それはそれでいいんだけど、フランソワは、メーテルや和登サンと同じ、「永遠の美しき女」のイメージでもあるからなぁ。
また、ギルモア博士の、全能ならざる故の「胡散臭さ」なども(特に初期の、00チームの「ブラックゴーストからの離脱篇」の時の、目の黒い頃の博士ね)、うまく作品に抽出されていた。
原作版も、わりと初期の頃から、ベトナム戦争に突入せざるを得なくなったり、晩期のアダルトタッチと言い、現実の社会情勢への照らし合わせが行なわれているが、
今回の作品も、アメリカの陰謀論や軍産複合体などと言う言葉が出てきて、石ノ森スピリッツに溢れていた。
アクションシーンも、これでもかとリアルな空気感だ。
00チームが、現代兵器に対し、必ずしも無敵でないのが、いいね。
兵器の重厚さに対し、それぞれの00メンバーの能力の発現も、物語に則し、非常に効果的に配されている。
かっこいいハゲの007(グレート)は、スパイ稼業ゆえ、アダルティーに地味に、
006(張々湖)は、非常に有能なギルモアのエージェント的な活躍をし(その中華料理屋の登録商標の訴訟でギルモアと争っているそうだが^^;)、その能力は、全てを焼き尽くす。
ジェロニモは、インパルスさえも伴なうパワーを発揮し、そのとき、身体にアメリカインディアンのタトゥーを浮かび上がらせる。
001(イワン)は、無敵で不気味でちっこくて可愛い。
004の能力は機能的だし、なんか暗い過去から解き放たれて、喋る喋る^^;
今回は、しかし、DIOの「ザ・ワールド」的に活躍する009と、時を経て、いつしか009らと袂を分かっていた002(ジェット)の物語といえた。
私は、成層圏を舞台にしたクライマックスでは、あの『地下帝国ヨミ編』の語り草のラストシーンが再現されるのかと思っていたよ^^;
ただ、今回の物語、008(ピュンマ)が、その能力を全く発揮する機会が無かったのが、別に008に思い入れはないが、残念かなと・・・(続編は海洋物かな?)。
と、思いきや、そつがない、なんと、作品の作り手は、アフリカの遺跡から発見された「天使の化石遺体」を物語に絡め、
石ノ森が目指してやまなかった「最終章・天使篇」を醸してもくれるのだった。
この「天使」のシークエンスだけは、ちょっと話が理解しにくく、観終えて後も、15%ほど疑問が残る。
が、そこは、観る者に委ねているのだろうし、幻想的かつ哲学的な命題の提示は、石ノ森のポエティカルな面をうまく出していた。
そして、エンディングの「ポエティカル」だが、そこは、009が刹那の「万能」を持ち、「奇跡」を起こすのだが、これは、映画『超銀河伝説』での、宇宙誕生の真理「ボルテックス」と同じだな。
オリジナルの意思を継ぎ、更に、その上を目指したこの作品、是非、皆さん、見てくれ!
かっちょいいぞ!!!^^v
(2012/10/27)