☆・・・シリーズの「3」で、保守派とは何か? について一つ書いている。
今、二つ目も書いておかなくてはならない。
超ザックリと記す。
あくまでも、これは私の考え。
でも、正しいよ^^v
よく、保守は、左翼と対するものだと語られる。
違うのである。
左翼の反対語は、右翼、である。
ただ、戦前から戦中の「右翼がち」な世相に、国民が倦み、戦後は、占領軍の政策もあり、右翼が縮こまってしまった現実はある。
・・・保守派とは「真ん中」に存在する考え方(思想・思考)なのである。
車のメーターみたいのを想像して欲しい。
半円の右が「右翼(広義の革新主義)」で、左が「左翼(狭義の保守原理主義)」、真ん中が「保守」だ。
私は、「保守」は「バランス」だと考えている。
浅はかに行き過ぎた革新・進歩主義も、暴力的に凝り固まった原理主義・野蛮さも、偏っているものは許さない! と言うことだ。
現在の日本の<右派左派メーター>の表示はこんな感じだ。
戦後、占領軍の、イメージ上の<軍国日本恐怖症(ヒステリー)>によって、多くの左翼的な政策が為された。
アメリカは、日本占領下、あんなにも嫌悪している「極左(共産党)」の日本への大きな影響力も、結局は許している。
日本のメーターは、左に振り切れた。
日本の歴史も、戦後 半世紀が経ち、それが常態となっている。
私は、それが<戦後レジーム>と言うものだと思っている。
それを打破しようとしている安倍元総理の立ち位置からして、かなり左よりである(?)。
?はもはや、世界でも類を見ない境地に達している。
?のレベルは本来、ソ連・中国・カンボジアならば、国内で大虐殺が行なわれているが如きターミナルレベルだ。
?でさえも、世界的には常識はずれのレベルである。
世界中のいかなる国も、主権を侵される段階には、当然の如く挙国体制になれる。
現在、この期に及んで、中国や韓国に同調するような国民のいるキチガイ国は日本だけである・・・。
・・・本来、攘夷派の如く危険なテロさえ犯しかねない「右翼」も、日本では「ちょいワル思想」に弱体化している。
却って、?や?のレベルの「左派」の方が、反動で、常識を逸脱したテロ行為を犯すに至っている(図の〈?〉)。
私は、民主党の、中国や韓国との関係悪化は、図の〈?〉の結果だと思っている。
左翼がそっくり返って右翼のようなことをやらかしたのだ。
また、例えば、昨日のニュースだけど、なんかオスプレイ反対派が、オスプレイの飛行経路で凧揚げをして抗議しているのだそうだ^^;
いやはや、それってテロじゃん!
あんたらの妄想思考回路の中では、オスプレイは事故ばっか起こしているんだべ?
それを更に助長してどうすんだよ。
墜落したら、子供が死ぬぞ!!
・・・で、私が言いたいのは、保守派というのは、「後ろからも前からも、右からも左からも、攻撃に晒される思想だ」と言うこと。
さて、今回のシリーズで問題としている<全国生活指導研究協議会(全生研)>の教育だが、後に、『滝山コミューン一九七四』を紐解く中で詳しく書くが、
「個人の個性を消し去り、共同体を主体として動かす手法」なのである。
ここでは、落ちこぼれに対しての言及はないが、例えば、将来の可能性を求め、中学受験を目指し、放課後や休日の時間を学習塾に費やすような生徒は、「共同体のはみ出し者」とされ、阻害の対象なのである。
子供の多くの可能性の連鎖は、そこで断絶させられる。
そして、反対のベクトルである、
前回から問題にしているマンガ『暗殺教室』の、「5%の落ちこぼれ生徒を、他の95%の生徒の優越感を煽る存在としてのみ有用とする冷酷な理事長の教育」があるが、
この両者は、保守的な教育を攻める、「左翼的」なものと、その裏焼きの「反動左翼的」なものなんだよ、と言いたかった。
私が言いたいのは、保守派というのは、「後ろからも前からも、右からも左からも、攻撃に晒される思想だ」と言うこと。
それが保守派の宿命だ・・・。
ここで、ひとこと言っておくのが、<全国生活指導研究協議会(全生研)>の教育パターンでは、
共同体を維持・継続するために、学力も「共同化」するため、生徒達の学力が低く設定されていることがある。
それは何のためかと言うと、本来は、ソビエトの・・・、共産主義のリーダーが、民衆をまとめる・先導する・洗脳するに都合がいいからである。
日本は共産主義国でないのだが、そのソビエト産の「裏のある教育法」が、裏の意味を知って知らずか、輸入され、生真面目に日教組教師達に学ばれ、教育の場で実践されていくのだった。
余談だが、私は、昨今のドラッカーブームに影響され、職場にドラッカー的な熱血を持ち込む奴も、たまーに見かけて、ちょっと、全生研パターンに似ているので辟易させられもする^^;
また、そもそも、『滝山コミューン一九七四』で示されたような極端なはまり具合でもなかったが、私が小学生の時も、その片りんはあった。
その内 書くが、私は「いい知れぬ違和感」には断固として反攻する子供であった。
「エンガチョ強制禁止事件」と言うのがあって、私は「これを認めたら、言葉では説明できないが、大変なことになる」と、クラスメイトがどんどん脱落する中、私一人だけが、何時間も、ずーっと教室で「やだ!」と立ち続けたことがあった。
最後に先生が、「中村君一人でエンガチョ出来ないじゃないですか!」と言ってきたので、
「それでもヤダ!」と言って帰宅して、翌日、裏切った仲間に、「俺だけはエンガチョをしていいんだ!^^」と、<エンガチョタッチ>をして回ったりした。
そういった時のことを思い出すにつけ、私は、やや事例が不器用だが、根っから保守派なんだなと思ったものだ。
・・・話を戻す。
また、『暗殺教室』には、冷酷な理事長と言うリーダーがいて、
児童の自主性を掲げた全生研の、『滝山コミューン一九七四』で示された実状には、片山先生と言う先導役がいる。
生徒・児童たちが主役でなく、ちゃんと「指導する黒幕」もいるのである。
保守派は、右翼扱いされることが多いので、その台頭にファシズムへの危惧を言われることがある。
しかし、実際は、よっぽど、いまだに、北朝鮮や共産主義を信奉している日教組どものほうがファシズム志向である。
左翼には、そういった、世間の認識を曇らせるプロパガンダ技術がある。
言動と行動がねじくれている。
ただ、<全国生活指導研究協議会(全生研)>のやり方と言うのは、あからさまに、(これまでの)日教組のお題目と異なっている。
あたかも、保守的な教育は個性を破壊するエリートの為だけの教育だ! などと攻撃して、生徒一人一人の「♪世界に一つだけの花」を実らせよう! みたいなシュプレヒコールを唱え続けていたが、
彼らの教育と、その目指すものを垣間見ると、「全体支配のために都合のいい個性の尊重」でしかないのが分かる。
言動と行動がねじくれている。
保守派のように「全体と個性の等価」は、日教組にはない。
「ゆとり教育」なども、本来は、当時の政権が左翼的に妥協した形で始めたものである。
しかし、それさえも、攻撃の対象となる。
左翼は、言動と行動がねじくれている。
保守派は、何にしても中心は四方八方から攻撃される。
・・・こんなものかな?
私が、シリーズ「7」で、反対のベクトルである<全生研>の教育法と、マンガ「暗殺教室」の中に出てきた冷酷な理事長の教育手法を同列に語った意味を理解してもらえたでしょうか?
保守派は、偏った思考の、全方向からの攻撃を受け、個々の具体例においては正しいが、抽象概念をぶつけられた時には矛盾のような反論をせざるを得ない、と言うことだ!
滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)原 武史講談社
暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)松井 優征集英社
(まだまだ続くゾ! 2012/10/05)
今、二つ目も書いておかなくてはならない。
超ザックリと記す。
あくまでも、これは私の考え。
でも、正しいよ^^v
よく、保守は、左翼と対するものだと語られる。
違うのである。
左翼の反対語は、右翼、である。
ただ、戦前から戦中の「右翼がち」な世相に、国民が倦み、戦後は、占領軍の政策もあり、右翼が縮こまってしまった現実はある。
・・・保守派とは「真ん中」に存在する考え方(思想・思考)なのである。
車のメーターみたいのを想像して欲しい。
半円の右が「右翼(広義の革新主義)」で、左が「左翼(狭義の保守原理主義)」、真ん中が「保守」だ。
私は、「保守」は「バランス」だと考えている。
浅はかに行き過ぎた革新・進歩主義も、暴力的に凝り固まった原理主義・野蛮さも、偏っているものは許さない! と言うことだ。
現在の日本の<右派左派メーター>の表示はこんな感じだ。
戦後、占領軍の、イメージ上の<軍国日本恐怖症(ヒステリー)>によって、多くの左翼的な政策が為された。
アメリカは、日本占領下、あんなにも嫌悪している「極左(共産党)」の日本への大きな影響力も、結局は許している。
日本のメーターは、左に振り切れた。
日本の歴史も、戦後 半世紀が経ち、それが常態となっている。
私は、それが<戦後レジーム>と言うものだと思っている。
それを打破しようとしている安倍元総理の立ち位置からして、かなり左よりである(?)。
?はもはや、世界でも類を見ない境地に達している。
?のレベルは本来、ソ連・中国・カンボジアならば、国内で大虐殺が行なわれているが如きターミナルレベルだ。
?でさえも、世界的には常識はずれのレベルである。
世界中のいかなる国も、主権を侵される段階には、当然の如く挙国体制になれる。
現在、この期に及んで、中国や韓国に同調するような国民のいるキチガイ国は日本だけである・・・。
・・・本来、攘夷派の如く危険なテロさえ犯しかねない「右翼」も、日本では「ちょいワル思想」に弱体化している。
却って、?や?のレベルの「左派」の方が、反動で、常識を逸脱したテロ行為を犯すに至っている(図の〈?〉)。
私は、民主党の、中国や韓国との関係悪化は、図の〈?〉の結果だと思っている。
左翼がそっくり返って右翼のようなことをやらかしたのだ。
また、例えば、昨日のニュースだけど、なんかオスプレイ反対派が、オスプレイの飛行経路で凧揚げをして抗議しているのだそうだ^^;
いやはや、それってテロじゃん!
あんたらの妄想思考回路の中では、オスプレイは事故ばっか起こしているんだべ?
それを更に助長してどうすんだよ。
墜落したら、子供が死ぬぞ!!
・・・で、私が言いたいのは、保守派というのは、「後ろからも前からも、右からも左からも、攻撃に晒される思想だ」と言うこと。
さて、今回のシリーズで問題としている<全国生活指導研究協議会(全生研)>の教育だが、後に、『滝山コミューン一九七四』を紐解く中で詳しく書くが、
「個人の個性を消し去り、共同体を主体として動かす手法」なのである。
ここでは、落ちこぼれに対しての言及はないが、例えば、将来の可能性を求め、中学受験を目指し、放課後や休日の時間を学習塾に費やすような生徒は、「共同体のはみ出し者」とされ、阻害の対象なのである。
子供の多くの可能性の連鎖は、そこで断絶させられる。
そして、反対のベクトルである、
前回から問題にしているマンガ『暗殺教室』の、「5%の落ちこぼれ生徒を、他の95%の生徒の優越感を煽る存在としてのみ有用とする冷酷な理事長の教育」があるが、
この両者は、保守的な教育を攻める、「左翼的」なものと、その裏焼きの「反動左翼的」なものなんだよ、と言いたかった。
私が言いたいのは、保守派というのは、「後ろからも前からも、右からも左からも、攻撃に晒される思想だ」と言うこと。
それが保守派の宿命だ・・・。
ここで、ひとこと言っておくのが、<全国生活指導研究協議会(全生研)>の教育パターンでは、
共同体を維持・継続するために、学力も「共同化」するため、生徒達の学力が低く設定されていることがある。
それは何のためかと言うと、本来は、ソビエトの・・・、共産主義のリーダーが、民衆をまとめる・先導する・洗脳するに都合がいいからである。
日本は共産主義国でないのだが、そのソビエト産の「裏のある教育法」が、裏の意味を知って知らずか、輸入され、生真面目に日教組教師達に学ばれ、教育の場で実践されていくのだった。
余談だが、私は、昨今のドラッカーブームに影響され、職場にドラッカー的な熱血を持ち込む奴も、たまーに見かけて、ちょっと、全生研パターンに似ているので辟易させられもする^^;
また、そもそも、『滝山コミューン一九七四』で示されたような極端なはまり具合でもなかったが、私が小学生の時も、その片りんはあった。
その内 書くが、私は「いい知れぬ違和感」には断固として反攻する子供であった。
「エンガチョ強制禁止事件」と言うのがあって、私は「これを認めたら、言葉では説明できないが、大変なことになる」と、クラスメイトがどんどん脱落する中、私一人だけが、何時間も、ずーっと教室で「やだ!」と立ち続けたことがあった。
最後に先生が、「中村君一人でエンガチョ出来ないじゃないですか!」と言ってきたので、
「それでもヤダ!」と言って帰宅して、翌日、裏切った仲間に、「俺だけはエンガチョをしていいんだ!^^」と、<エンガチョタッチ>をして回ったりした。
そういった時のことを思い出すにつけ、私は、やや事例が不器用だが、根っから保守派なんだなと思ったものだ。
・・・話を戻す。
また、『暗殺教室』には、冷酷な理事長と言うリーダーがいて、
児童の自主性を掲げた全生研の、『滝山コミューン一九七四』で示された実状には、片山先生と言う先導役がいる。
生徒・児童たちが主役でなく、ちゃんと「指導する黒幕」もいるのである。
保守派は、右翼扱いされることが多いので、その台頭にファシズムへの危惧を言われることがある。
しかし、実際は、よっぽど、いまだに、北朝鮮や共産主義を信奉している日教組どものほうがファシズム志向である。
左翼には、そういった、世間の認識を曇らせるプロパガンダ技術がある。
言動と行動がねじくれている。
ただ、<全国生活指導研究協議会(全生研)>のやり方と言うのは、あからさまに、(これまでの)日教組のお題目と異なっている。
あたかも、保守的な教育は個性を破壊するエリートの為だけの教育だ! などと攻撃して、生徒一人一人の「♪世界に一つだけの花」を実らせよう! みたいなシュプレヒコールを唱え続けていたが、
彼らの教育と、その目指すものを垣間見ると、「全体支配のために都合のいい個性の尊重」でしかないのが分かる。
言動と行動がねじくれている。
保守派のように「全体と個性の等価」は、日教組にはない。
「ゆとり教育」なども、本来は、当時の政権が左翼的に妥協した形で始めたものである。
しかし、それさえも、攻撃の対象となる。
左翼は、言動と行動がねじくれている。
保守派は、何にしても中心は四方八方から攻撃される。
・・・こんなものかな?
私が、シリーズ「7」で、反対のベクトルである<全生研>の教育法と、マンガ「暗殺教室」の中に出てきた冷酷な理事長の教育手法を同列に語った意味を理解してもらえたでしょうか?
保守派は、偏った思考の、全方向からの攻撃を受け、個々の具体例においては正しいが、抽象概念をぶつけられた時には矛盾のような反論をせざるを得ない、と言うことだ!
滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)原 武史講談社
暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)松井 優征集英社
(まだまだ続くゾ! 2012/10/05)