☆今朝の産経新聞に『撃論(オークラ出版)』の最新第7号の広告が載っていた。
中央に、ちょいワル風の八木秀次先生の写真とともに記事のタイトルがでっかく載っている。
≪「いじめ」の元凶は、赤い共産党マニュアルだ≫
いい扱いだ^^
で、仕事の帰り道に購入する。
でも、私、今回は、あえて、その記事を読まないで、とりあえず、自分の感じ方で語っていきます。
私の文章が嫌いで、でも、この問題に興味がある方は、購入してくれ!
撃論 第七号クリエーター情報なしオークラ出版
◇
「少年ジャンプ」で、比較的 新しく連載のはじまった作品に「暗殺教室(松井優征著)」がある。
この作者、ヒット作「魔人探偵 脳噛ネウロ」で燃え尽きたと思っていたのだが、
やっぱ才能のある人なんだな、意表をついた設定のマンガで復活した。
・・・ある日、宇宙人が、超科学兵器でもって月を削り取ってしまうのだ。
宇宙人にとっては地球も簡単に破壊できるものであった。
しかし、宇宙人は、条件(ルール)を出した。
「自分を、とある学校のクラス(落ちこぼれクラス)の教師にして、その生徒達が一年の間に、自分を暗殺することが出来たら、地球は救われるぞ」と言うものだった。
まだ話は序盤で、その宇宙人「殺(ころ)せんせー」は授業をはじめ、担任教師としての活動を行なう中で、
生徒達が暗殺を仕掛ける、
また、「少年A」の如き殺人少年が暗殺を仕掛ける、
更に、副担任としてプロの殺し屋が赴任してきて暗殺を仕掛ける・・・、
・・・のだが、「殺(ころ)せんせー」はその能力・マッハ20のスピードで暗殺をかいくぐりつつも、通常の担任としての仕事を続けるのだ。
そして、次第に、暗殺と言う目標について考えることで、生徒達が、次第に、生きがいを得て成長していくと言う、物語的に非常に面白い展開になっている。
ちょうど、今週の月曜日発売の「少年ジャンプ」の最新号では、
地球破壊・宇宙人暗殺は別にして、舞台となる学校の問題として、落ちこぼれクラス「END」の「E組」が生き生きと精力的に活動しはじめていることに、学校の、若き冷酷な理事長が意見をしてきた。
「殺(ころ)センセー」は、自分の決めたルールの中で、いたって教職は真面目にこなすし、学校の長である理事長には頭が上がらない。
理事長の主張は、全国生活指導研究協議会が提唱せし、「ボロ班」「クズ班」の必要性と同じである・・・。
以下、丸い頭が宇宙人「殺(ころ)せんせー」である。
この、理事長は、他の生徒を活かすために、エンドのE組は、そのまま落ちこぼれクラスでなくてはいけないと言うのだ。
そして、「殺(ころ)せんせー」は、理事長に、かつてない闘志をメラメラと燃やすのだった
暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)松井 優征集英社
◇
・・・恐ろしき、この「共時性」である。
保守派が、かつて(40年前)行なわれていた「狂気の学校方針」を問題視しはじめたのと時を同じくして、
世界最大部数のマンガ雑誌の一作品が、かような展開を見せるのだ・・・。
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
〜『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る〜 ≫
八木秀次先生の語りの続き。
・1971年に、全国生活指導研究協議会(全生研)によって、
教育の場で実行され始めた「生活指導」を評し、
「連合赤軍のようだ・・・」と言ったものがいる。
それもあたりまえ、そもそもが、ソビエトの全体主義を支えた思想の導入だった。
・アントン・マカレンコと言うソビエトの教育者の「集団主義教育理論」の実践。
(蘭による注:・・・「子どもの自発性や関心、子どもの個性への着目の傾向とは一線を画して、
集団の中での忠誠と服従、協同に重きを置いた〈「wikipedia」より〉」。)
・だが、そもそもが、肝心のソビエトでも、その教育理論は頓挫していた(1930年半ば)。
・・・スターリン時代、部下の1人が革命遺児を養っていたのだが、
ある日、その子がいじめられて帰ってきた。ただのいじめにしても何かおかしい。
スターリンの耳に入り、調査が開始される。
すると、えもいわれぬ教育現場の荒廃の様が見て取れるのだった。
そこには規範意識などはなく、生徒相互の疑心が渦巻き、
生徒達は、大事なことは教えてもらっておらず、余計なことばかりが詰め込まれていた。
レーニンからこのかた、スターリンさえ知らない間に、20年の荒んだ教育が為されていた・・・。
(蘭による注:私は、左翼を評す時、「そもそも」と言う言葉をよく使うのだが、
かれらは、根本的に何かを間違えていることが多く、その言葉を使わざるを得ない)
(蘭による注:しかし、ソビエトで1930年半ばに破棄された理論が、
1970年の日本で活用されるのである。
日本は、70年代には既に、ソビエトを超越した近代国家であり、
なんで、ソビエトから学ぼうと言う発想を捨てられないのか・・・)
・いじめ自殺事件のあった大津市は、全国生活指導研究協議会の影響が非常に大きい滋賀県ぬある。
・全生研による集団主義教育に対し、当時「集団主義教育の批判」と言う反論の書も出ていた。
集団主義教育の批判 (教育名著選集)片岡 徳雄黎明書房
◇
この後、貝塚茂樹先生の発言になるので、次回に持ち越します。
◇
少し、私の雑感を、これまた箇条書きで書いていきたい。
このシリーズを書きながら、仕事中など、思いついたことをメモし続けたら、それが溜まってしまった^^;
あまり論理的な内容じゃないが、ここに書いておいて、メモは捨てていく^^;
・「集団主義教育」は、子供内に組織を作り、上下関係を発生させる。
物事が包括的に判断できない子供に「権利」を与えることの恐ろしさ。
まあ、大人の社会でも、「権利」がないのに意見だけは通そうとする奴は多い。
仕事もまともに出来ない子供に「権利」だけを与えてはならず、
そこには「責任」を背負わせることがなくてはならない。
・無責任に育つと、それを叱っても、一時的に真剣に考えるようになるも、
集中力が養われていないので、すぐに、元に戻る。
・「木を見て森を見ない」と言う表現があるが、左翼は「枝も見ない」。
国を蔑ろにし、されど個人も蔑ろにする「市民たち」。
教室を蔑ろにし、生徒一人一人も蔑ろにする「班のメンバーたち」。
・平等にすべきでないことを平等にし、平等にすべきところを不平等にする。
学校内でのそんな指向は、生徒たちの個性を破壊する。
・丸い形である「常識」を、
異常な教師たちが、上から下から横から引っ張りあって原型をなくすような言葉を駆使するので、
子供は、何が正しいのかと言う基準を喪失させる。
・異常な教師の恣意的な、その場その場の方向性に、
子供本来の柔軟さで対応し順応していくが、その弊害は数十年後に現われる。
・英国の寄宿舎生活=人生の通過儀礼(イニシエーション)
全国生活指導研究協議会の集団主義教育=死ぬまで終わらない魂の拘束
・「♪みんなは一人のために 一人はみんなのために」てのはいい歌だけど、
それを原理主義のように教育現場で実践されたら、そこは「地獄」と化す。
・これについては詳しく書くが、私が、あいつらに嫌悪感を抱く理由が分かった。
「AKBは、その存在・売り方を含め、悪しき、集団教育理論の実践だ!」
◇
今日はこの辺で終わり!
次回で最終回ですが、この流れでのシリーズはまだまだ書きます。
(2012/09/27)
中央に、ちょいワル風の八木秀次先生の写真とともに記事のタイトルがでっかく載っている。
≪「いじめ」の元凶は、赤い共産党マニュアルだ≫
いい扱いだ^^
で、仕事の帰り道に購入する。
でも、私、今回は、あえて、その記事を読まないで、とりあえず、自分の感じ方で語っていきます。
私の文章が嫌いで、でも、この問題に興味がある方は、購入してくれ!
撃論 第七号クリエーター情報なしオークラ出版
◇
「少年ジャンプ」で、比較的 新しく連載のはじまった作品に「暗殺教室(松井優征著)」がある。
この作者、ヒット作「魔人探偵 脳噛ネウロ」で燃え尽きたと思っていたのだが、
やっぱ才能のある人なんだな、意表をついた設定のマンガで復活した。
・・・ある日、宇宙人が、超科学兵器でもって月を削り取ってしまうのだ。
宇宙人にとっては地球も簡単に破壊できるものであった。
しかし、宇宙人は、条件(ルール)を出した。
「自分を、とある学校のクラス(落ちこぼれクラス)の教師にして、その生徒達が一年の間に、自分を暗殺することが出来たら、地球は救われるぞ」と言うものだった。
まだ話は序盤で、その宇宙人「殺(ころ)せんせー」は授業をはじめ、担任教師としての活動を行なう中で、
生徒達が暗殺を仕掛ける、
また、「少年A」の如き殺人少年が暗殺を仕掛ける、
更に、副担任としてプロの殺し屋が赴任してきて暗殺を仕掛ける・・・、
・・・のだが、「殺(ころ)せんせー」はその能力・マッハ20のスピードで暗殺をかいくぐりつつも、通常の担任としての仕事を続けるのだ。
そして、次第に、暗殺と言う目標について考えることで、生徒達が、次第に、生きがいを得て成長していくと言う、物語的に非常に面白い展開になっている。
ちょうど、今週の月曜日発売の「少年ジャンプ」の最新号では、
地球破壊・宇宙人暗殺は別にして、舞台となる学校の問題として、落ちこぼれクラス「END」の「E組」が生き生きと精力的に活動しはじめていることに、学校の、若き冷酷な理事長が意見をしてきた。
「殺(ころ)センセー」は、自分の決めたルールの中で、いたって教職は真面目にこなすし、学校の長である理事長には頭が上がらない。
理事長の主張は、全国生活指導研究協議会が提唱せし、「ボロ班」「クズ班」の必要性と同じである・・・。
以下、丸い頭が宇宙人「殺(ころ)せんせー」である。
この、理事長は、他の生徒を活かすために、エンドのE組は、そのまま落ちこぼれクラスでなくてはいけないと言うのだ。
そして、「殺(ころ)せんせー」は、理事長に、かつてない闘志をメラメラと燃やすのだった
暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)松井 優征集英社
◇
・・・恐ろしき、この「共時性」である。
保守派が、かつて(40年前)行なわれていた「狂気の学校方針」を問題視しはじめたのと時を同じくして、
世界最大部数のマンガ雑誌の一作品が、かような展開を見せるのだ・・・。
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
〜『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る〜 ≫
八木秀次先生の語りの続き。
・1971年に、全国生活指導研究協議会(全生研)によって、
教育の場で実行され始めた「生活指導」を評し、
「連合赤軍のようだ・・・」と言ったものがいる。
それもあたりまえ、そもそもが、ソビエトの全体主義を支えた思想の導入だった。
・アントン・マカレンコと言うソビエトの教育者の「集団主義教育理論」の実践。
(蘭による注:・・・「子どもの自発性や関心、子どもの個性への着目の傾向とは一線を画して、
集団の中での忠誠と服従、協同に重きを置いた〈「wikipedia」より〉」。)
・だが、そもそもが、肝心のソビエトでも、その教育理論は頓挫していた(1930年半ば)。
・・・スターリン時代、部下の1人が革命遺児を養っていたのだが、
ある日、その子がいじめられて帰ってきた。ただのいじめにしても何かおかしい。
スターリンの耳に入り、調査が開始される。
すると、えもいわれぬ教育現場の荒廃の様が見て取れるのだった。
そこには規範意識などはなく、生徒相互の疑心が渦巻き、
生徒達は、大事なことは教えてもらっておらず、余計なことばかりが詰め込まれていた。
レーニンからこのかた、スターリンさえ知らない間に、20年の荒んだ教育が為されていた・・・。
(蘭による注:私は、左翼を評す時、「そもそも」と言う言葉をよく使うのだが、
かれらは、根本的に何かを間違えていることが多く、その言葉を使わざるを得ない)
(蘭による注:しかし、ソビエトで1930年半ばに破棄された理論が、
1970年の日本で活用されるのである。
日本は、70年代には既に、ソビエトを超越した近代国家であり、
なんで、ソビエトから学ぼうと言う発想を捨てられないのか・・・)
・いじめ自殺事件のあった大津市は、全国生活指導研究協議会の影響が非常に大きい滋賀県ぬある。
・全生研による集団主義教育に対し、当時「集団主義教育の批判」と言う反論の書も出ていた。
集団主義教育の批判 (教育名著選集)片岡 徳雄黎明書房
◇
この後、貝塚茂樹先生の発言になるので、次回に持ち越します。
◇
少し、私の雑感を、これまた箇条書きで書いていきたい。
このシリーズを書きながら、仕事中など、思いついたことをメモし続けたら、それが溜まってしまった^^;
あまり論理的な内容じゃないが、ここに書いておいて、メモは捨てていく^^;
・「集団主義教育」は、子供内に組織を作り、上下関係を発生させる。
物事が包括的に判断できない子供に「権利」を与えることの恐ろしさ。
まあ、大人の社会でも、「権利」がないのに意見だけは通そうとする奴は多い。
仕事もまともに出来ない子供に「権利」だけを与えてはならず、
そこには「責任」を背負わせることがなくてはならない。
・無責任に育つと、それを叱っても、一時的に真剣に考えるようになるも、
集中力が養われていないので、すぐに、元に戻る。
・「木を見て森を見ない」と言う表現があるが、左翼は「枝も見ない」。
国を蔑ろにし、されど個人も蔑ろにする「市民たち」。
教室を蔑ろにし、生徒一人一人も蔑ろにする「班のメンバーたち」。
・平等にすべきでないことを平等にし、平等にすべきところを不平等にする。
学校内でのそんな指向は、生徒たちの個性を破壊する。
・丸い形である「常識」を、
異常な教師たちが、上から下から横から引っ張りあって原型をなくすような言葉を駆使するので、
子供は、何が正しいのかと言う基準を喪失させる。
・異常な教師の恣意的な、その場その場の方向性に、
子供本来の柔軟さで対応し順応していくが、その弊害は数十年後に現われる。
・英国の寄宿舎生活=人生の通過儀礼(イニシエーション)
全国生活指導研究協議会の集団主義教育=死ぬまで終わらない魂の拘束
・「♪みんなは一人のために 一人はみんなのために」てのはいい歌だけど、
それを原理主義のように教育現場で実践されたら、そこは「地獄」と化す。
・これについては詳しく書くが、私が、あいつらに嫌悪感を抱く理由が分かった。
「AKBは、その存在・売り方を含め、悪しき、集団教育理論の実践だ!」
◇
今日はこの辺で終わり!
次回で最終回ですが、この流れでのシリーズはまだまだ書きます。
(2012/09/27)