☆実は今日は、彼女もバイトも本職もない、完全なるオフの日であった。
運が良いのか悪いのか分からないが、台風襲来の日だったし、朝から映画を一本見て、外食してきて戻ってきたら、小学6年生の姪っ子が帰宅していた。
この子は、ヤンキー物が大好きなので、再観を決めていた『愛と誠』に「行くか?」と聞くと、二つ返事で「行く!」とのこと。
規制が「PG12」なので、ちょうど、この姪っ子は解禁の歳だ^^
・・・私は、なーんか「心にフィットする作品」を見ると、その理由が気になり、何度も見てしまう傾向がある。
<ワーナーマイカル・武蔵村山>もまた、客が一桁しかいなかった^^;
◇
確かに、一度目よりは、はるかに新鮮さがなくなったが、それでも、2時間強の「やや長い」上映時間はあっという間に過ぎた。
いや、そもそも、この作品には、ちょっと冗長な点がある。
おそらく、長大な原作と折り合いをつけるギリギリのタイムラインなのだろう。
例えば、メインの登場人物は、必ず、ミュージカルで一曲持たされる。
それぞれのキャラクターには、それぞれのエピソードがあるはずだ。
しかし、それを全て語っていたら、テレビシリーズで2クールは必要とするだろう。
だから、歌い踊り、それで、その人の背負っている「物語」を力づくで理解させてくるのだ。
でも、その「冗長さ」にも「力づく」にも、必ず、フォローが入り、長所への転換が為されている。
ミュージカルシーンでは、一人の個性を表わすために、全ての曲がフルコーラス歌われ踊られる。
大体、私は、「三番まで歌うのかよ^^;」と苦笑いするも、例えば、繰り返される、岩清水を演じる斎藤工の「イッちゃった動き」や「底抜けの愛の賛歌の笑顔」、そして、そのステップや手の振りを、あたかも「東京オリンピック」の市川昆のようなアップのカメラワークで、丹念に執拗に取り上げていることで、俄然、こちらの興味を引く。
次の武井咲のミュージカルシーンにおいては、その「あえての拙さ」の、あまりにもの可愛らしさに目が離せなくなる。
これも、三番が歌いはじめられた時、「ああ、もうちょい、なんか恥ずかしい可愛さを堪能できる!」と嬉しくなった。
振り付け担当のパパイヤ鈴木、凄いわ。
ごっつい顔して、この「可愛さ」抽出には敬服する。
「純喫茶」で働かされるメイド姿の武井咲も、なんかメンバーそれぞれの動きが全然シンクロしていないのに、総体で見ると、完成していて、なんかエロいのだ。
お立ち台に上らされた武井咲の足先から「絶対領域」、ミニスカの裾へと舐めていくアングルの、イヤらしくないイヤらしさ。
何かの欠落があると、映画を構成する要素の何か一つが、常に補っているのだ。
◇
そして、舞台が花園実業になるのだが、そのあまりにもの「無法地帯」描写があり^^;
あらたなキャラクターが大挙として登場する。
ガムコ、由紀、座王権太・・・。
この作品は、ギャグの「間(ま)」「テンポ」が秀逸で、それで笑わせられるところが多い。
しかし、なんちゅうか、ガムコは、うまいのだが、たまに「間(ま)」が0.01秒ズレるときがある。
それは致命的な「シラケ」に繋がるときもある。
だが、ガムコのガムを噛むクチャクチャ音などを強調させたり、
新人の誠に因縁吹っかけるも、ちょうどクラスの中で野球をしていたバッターの打球(硬球)を、コマ落とし的なテンポで、頭にくらうなどして、絶対に、見ている者の心に楔(物語への興味)を打ち込んでくるのだ。
・・・続きは明日に書きます^^
(2012/06/19)
運が良いのか悪いのか分からないが、台風襲来の日だったし、朝から映画を一本見て、外食してきて戻ってきたら、小学6年生の姪っ子が帰宅していた。
この子は、ヤンキー物が大好きなので、再観を決めていた『愛と誠』に「行くか?」と聞くと、二つ返事で「行く!」とのこと。
規制が「PG12」なので、ちょうど、この姪っ子は解禁の歳だ^^
・・・私は、なーんか「心にフィットする作品」を見ると、その理由が気になり、何度も見てしまう傾向がある。
<ワーナーマイカル・武蔵村山>もまた、客が一桁しかいなかった^^;
◇
確かに、一度目よりは、はるかに新鮮さがなくなったが、それでも、2時間強の「やや長い」上映時間はあっという間に過ぎた。
いや、そもそも、この作品には、ちょっと冗長な点がある。
おそらく、長大な原作と折り合いをつけるギリギリのタイムラインなのだろう。
例えば、メインの登場人物は、必ず、ミュージカルで一曲持たされる。
それぞれのキャラクターには、それぞれのエピソードがあるはずだ。
しかし、それを全て語っていたら、テレビシリーズで2クールは必要とするだろう。
だから、歌い踊り、それで、その人の背負っている「物語」を力づくで理解させてくるのだ。
でも、その「冗長さ」にも「力づく」にも、必ず、フォローが入り、長所への転換が為されている。
ミュージカルシーンでは、一人の個性を表わすために、全ての曲がフルコーラス歌われ踊られる。
大体、私は、「三番まで歌うのかよ^^;」と苦笑いするも、例えば、繰り返される、岩清水を演じる斎藤工の「イッちゃった動き」や「底抜けの愛の賛歌の笑顔」、そして、そのステップや手の振りを、あたかも「東京オリンピック」の市川昆のようなアップのカメラワークで、丹念に執拗に取り上げていることで、俄然、こちらの興味を引く。
次の武井咲のミュージカルシーンにおいては、その「あえての拙さ」の、あまりにもの可愛らしさに目が離せなくなる。
これも、三番が歌いはじめられた時、「ああ、もうちょい、なんか恥ずかしい可愛さを堪能できる!」と嬉しくなった。
振り付け担当のパパイヤ鈴木、凄いわ。
ごっつい顔して、この「可愛さ」抽出には敬服する。
「純喫茶」で働かされるメイド姿の武井咲も、なんかメンバーそれぞれの動きが全然シンクロしていないのに、総体で見ると、完成していて、なんかエロいのだ。
お立ち台に上らされた武井咲の足先から「絶対領域」、ミニスカの裾へと舐めていくアングルの、イヤらしくないイヤらしさ。
何かの欠落があると、映画を構成する要素の何か一つが、常に補っているのだ。
◇
そして、舞台が花園実業になるのだが、そのあまりにもの「無法地帯」描写があり^^;
あらたなキャラクターが大挙として登場する。
ガムコ、由紀、座王権太・・・。
この作品は、ギャグの「間(ま)」「テンポ」が秀逸で、それで笑わせられるところが多い。
しかし、なんちゅうか、ガムコは、うまいのだが、たまに「間(ま)」が0.01秒ズレるときがある。
それは致命的な「シラケ」に繋がるときもある。
だが、ガムコのガムを噛むクチャクチャ音などを強調させたり、
新人の誠に因縁吹っかけるも、ちょうどクラスの中で野球をしていたバッターの打球(硬球)を、コマ落とし的なテンポで、頭にくらうなどして、絶対に、見ている者の心に楔(物語への興味)を打ち込んでくるのだ。
・・・続きは明日に書きます^^
(2012/06/19)