☆遅くまで残業だったので、再掲でエントリーします^^
◇
どうぞ、こちらをお読み下さい。
とても、勉強になります。
≪ 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る
― 謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
「南京大虐殺」はなかった
森王 琢(もりおう みがく)
※平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。
http://www.history.gr.jp/~nanking/moriou.html ≫
最近、仕事に余裕が出来たので、作業の合間に、かような文献を携帯電話のインターネットで読みふけっています。
こんな箇所が素敵です。
『・・・又別の戦場である所を占領した時の事です。
住民は全部逃げて無人でしたが、ある兵士が、
「英児が一人取り残されております」
と報告しました。
行ってみるとかわいい英児が篭(かご)の中で無心に笑っております。
私達が明朝出発すれば逃げている住民は戻って来るでしょうが、今晩一晩はこの子にお乳を飲ませてやらねばなりません。
幸いなことに私の中隊に、入隊前に中国で行商をしていた、中国語の非常に上手な八木という初年兵がおりました。
彼は今マレーシアに住んでいますが、その兵士を付けて将校斥候を近くの部落に出しまして、よく事情を説明してお乳の出る女を探して来い、と命じました。
幸いに一人の女を連れて来ましたので、八木に通訳をさせまして、
「私が隊長である。これこれの訳でこの赤ん坊がかわいそうであるから、今晩一晩この子を抱いてお乳をやってくれ」
と、申しますと、女性も納得致しまして、従ってくれました。
そうして私達はその翌朝、さらに進撃したのであります。・・・』
森王琢隊長の若き頃の写真も見られますが、雄々しくも、「ニヒル」です^^
また、この方は、経験を語るだけでなく、「南京大虐殺」と言う幻想を生み出した背景についても、実に研究なさっている。
南京事件についての「入門編」として見事に機能します。
読み進めていくと、
「虐殺あった」派の、偏見・独断・虚偽・捏造・妄想・陰謀を内包した醜き姿が垣間見られていきます。
何一つとして証拠がないのに、人を貶めていくことに良心が咎めぬ人々の姿が浮き彫りにされていきます。
どうぞ、読んでみてください。
(2007/01/23)
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どうぞ、こちらをお読み下さい。
とても、勉強になります。
≪ 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る
― 謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
「南京大虐殺」はなかった
森王 琢(もりおう みがく)
※平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。
http://www.history.gr.jp/~nanking/moriou.html ≫
最近、仕事に余裕が出来たので、作業の合間に、かような文献を携帯電話のインターネットで読みふけっています。
こんな箇所が素敵です。
『・・・又別の戦場である所を占領した時の事です。
住民は全部逃げて無人でしたが、ある兵士が、
「英児が一人取り残されております」
と報告しました。
行ってみるとかわいい英児が篭(かご)の中で無心に笑っております。
私達が明朝出発すれば逃げている住民は戻って来るでしょうが、今晩一晩はこの子にお乳を飲ませてやらねばなりません。
幸いなことに私の中隊に、入隊前に中国で行商をしていた、中国語の非常に上手な八木という初年兵がおりました。
彼は今マレーシアに住んでいますが、その兵士を付けて将校斥候を近くの部落に出しまして、よく事情を説明してお乳の出る女を探して来い、と命じました。
幸いに一人の女を連れて来ましたので、八木に通訳をさせまして、
「私が隊長である。これこれの訳でこの赤ん坊がかわいそうであるから、今晩一晩この子を抱いてお乳をやってくれ」
と、申しますと、女性も納得致しまして、従ってくれました。
そうして私達はその翌朝、さらに進撃したのであります。・・・』
森王琢隊長の若き頃の写真も見られますが、雄々しくも、「ニヒル」です^^
また、この方は、経験を語るだけでなく、「南京大虐殺」と言う幻想を生み出した背景についても、実に研究なさっている。
南京事件についての「入門編」として見事に機能します。
読み進めていくと、
「虐殺あった」派の、偏見・独断・虚偽・捏造・妄想・陰謀を内包した醜き姿が垣間見られていきます。
何一つとして証拠がないのに、人を貶めていくことに良心が咎めぬ人々の姿が浮き彫りにされていきます。
どうぞ、読んでみてください。
(2007/01/23)