☆先ず、前回の補足。
前回、水頭症は、原発事故による被曝の影響ではない、と書いた。
その不自然さについては、こちら(佐藤秀の徒然幻視録:「チェルノブイリハート」の項)の方が、そのエントリーで書いているので読んで欲しい。
要は、原発事故が起こっても起こらなくても、近似のパーセンテージで、悲しいことだが、奇形児は生まれてくる。
そして、日本などでは、事前の診断で判明すると、堕胎させられたりもするそうだ。
「チェルノブイリハート」に出てくる水頭症の赤ちゃんは、ベラルーシの、奇形児の捨て子を預かる施設の報告の中で出てくるそうで、・・・つまり、事前の診断など受ける余地のない中で、そんな子供たちが生まれているのだ。
そこの医師らは、奇形児らの出生の原因をチェルノブイリ原発事故としている。
しかし、彼らは、外科内科の医者かも知れないが、放射線の専門家ではなかろう。
おそらく、真摯に、水頭症の原因をチェルノブイリ原発事故と信じているのかも知れないが、それが事実とは限らない。
てゆーか、間違いだろう。
私は、[「嘘」考]と言うシリーズを書いているが、
そこでは、かつて戦時売春婦であった韓国の老婆が、「自分らは無理矢理に売春をやらされた」とホロホロと泣き崩れる「嘘っぱち」の事例を書いた。
[「嘘」考]シリーズでは、これからも、色んな嘘のパターンを書いていくと思うが、
ベラルーシの医師には、科学的に根拠のない原因を「真摯」に信じ込んでいる欺瞞がある。
簡単に言えば、
例えば、人間の死体があり、その横に血の滴るナイフを持った男が立っていたとする。
事実は、ナイフを持った男が、家でサカナを捌いていたら人間の悲鳴が聞こえたから出てきただけかも知れない。
ナイフについた血を科学的に調べれば、ナイフを持った男が殺人に全く関係ないことが判明するのに、それをしないで、ひたすらにナイフ男に疑いを向け続ける。
つまり、ベラルーシの医師らは、水頭症の子らの治療に努めているが、その原因をチェルノブイリ原発事故と信じて疑っておらず、なんら科学的な究明をしていないのだろう。
チェルノブイリ原発事故の所為としていたほうが、辛いけれど、楽なのだ。
・・・話し変わるが、私は、水頭症の子供を見たことがある。
7,8年前に、とあるクリスチャンの団体主催のクリスマスコンサートがあり、ル・クプルじゃないんだけど、ル・クプルみたいな男女デュオの出演で、私 暇だったので、当時の彼女と行ったときに、会場のホールで乳母車に乗せられていた。
私は赤ちゃんが好きなので、乳母車を覗き込んだら、頭のいびつに大きい赤ちゃんがいた。
・・・おそらく、そのクリスチャンの両親が、事前診断で障害が判明していたかも知れないが、「どんな子だろうと、それは神様からの授かりもの」として、生んだのかも知れない、と私は思った。
ちなみに、私は『チェルノブイリ・ハート』を見ていない。
見なくて良いと思っている。
私とて、「倒れている人間の横に、血の滴るナイフをもった少年が立っているのを見たら、そのナイフ少年を疑わざるを得ない」・・・。
「百聞は一見にしかず」だが、「一見は百聞にしかず」でもある。
見たばっかりに、真実を見抜けないこともある。
目に見えない、匂いもしない放射線である。
それに安易な「答え」が出され、安易に危険視されることこそが「危険」だ。
水頭症の赤ちゃんは悲劇である。
だが、悲劇だからといって、その原因を安易に求めてはいけない。
◇
≪本日の名言・4≫
フランクリン・D・ルーズベルト
「恐れるべきものは何もない。私たちは、ただ恐れを恐れてるだけだ」
◇
・・・すいません、眠くなったので、今夜は寝ます。
明日は、「第五福竜丸(タイトル写真)の欺瞞」について書きまする。
(2012/01/16)
前回、水頭症は、原発事故による被曝の影響ではない、と書いた。
その不自然さについては、こちら(佐藤秀の徒然幻視録:「チェルノブイリハート」の項)の方が、そのエントリーで書いているので読んで欲しい。
要は、原発事故が起こっても起こらなくても、近似のパーセンテージで、悲しいことだが、奇形児は生まれてくる。
そして、日本などでは、事前の診断で判明すると、堕胎させられたりもするそうだ。
「チェルノブイリハート」に出てくる水頭症の赤ちゃんは、ベラルーシの、奇形児の捨て子を預かる施設の報告の中で出てくるそうで、・・・つまり、事前の診断など受ける余地のない中で、そんな子供たちが生まれているのだ。
そこの医師らは、奇形児らの出生の原因をチェルノブイリ原発事故としている。
しかし、彼らは、外科内科の医者かも知れないが、放射線の専門家ではなかろう。
おそらく、真摯に、水頭症の原因をチェルノブイリ原発事故と信じているのかも知れないが、それが事実とは限らない。
てゆーか、間違いだろう。
私は、[「嘘」考]と言うシリーズを書いているが、
そこでは、かつて戦時売春婦であった韓国の老婆が、「自分らは無理矢理に売春をやらされた」とホロホロと泣き崩れる「嘘っぱち」の事例を書いた。
[「嘘」考]シリーズでは、これからも、色んな嘘のパターンを書いていくと思うが、
ベラルーシの医師には、科学的に根拠のない原因を「真摯」に信じ込んでいる欺瞞がある。
簡単に言えば、
例えば、人間の死体があり、その横に血の滴るナイフを持った男が立っていたとする。
事実は、ナイフを持った男が、家でサカナを捌いていたら人間の悲鳴が聞こえたから出てきただけかも知れない。
ナイフについた血を科学的に調べれば、ナイフを持った男が殺人に全く関係ないことが判明するのに、それをしないで、ひたすらにナイフ男に疑いを向け続ける。
つまり、ベラルーシの医師らは、水頭症の子らの治療に努めているが、その原因をチェルノブイリ原発事故と信じて疑っておらず、なんら科学的な究明をしていないのだろう。
チェルノブイリ原発事故の所為としていたほうが、辛いけれど、楽なのだ。
・・・話し変わるが、私は、水頭症の子供を見たことがある。
7,8年前に、とあるクリスチャンの団体主催のクリスマスコンサートがあり、ル・クプルじゃないんだけど、ル・クプルみたいな男女デュオの出演で、私 暇だったので、当時の彼女と行ったときに、会場のホールで乳母車に乗せられていた。
私は赤ちゃんが好きなので、乳母車を覗き込んだら、頭のいびつに大きい赤ちゃんがいた。
・・・おそらく、そのクリスチャンの両親が、事前診断で障害が判明していたかも知れないが、「どんな子だろうと、それは神様からの授かりもの」として、生んだのかも知れない、と私は思った。
ちなみに、私は『チェルノブイリ・ハート』を見ていない。
見なくて良いと思っている。
私とて、「倒れている人間の横に、血の滴るナイフをもった少年が立っているのを見たら、そのナイフ少年を疑わざるを得ない」・・・。
「百聞は一見にしかず」だが、「一見は百聞にしかず」でもある。
見たばっかりに、真実を見抜けないこともある。
目に見えない、匂いもしない放射線である。
それに安易な「答え」が出され、安易に危険視されることこそが「危険」だ。
水頭症の赤ちゃんは悲劇である。
だが、悲劇だからといって、その原因を安易に求めてはいけない。
◇
≪本日の名言・4≫
フランクリン・D・ルーズベルト
「恐れるべきものは何もない。私たちは、ただ恐れを恐れてるだけだ」
◇
・・・すいません、眠くなったので、今夜は寝ます。
明日は、「第五福竜丸(タイトル写真)の欺瞞」について書きまする。
(2012/01/16)