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Channel: 『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭
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[素晴らしい原子力発電(5・文学的に・・・/ルーズベルト/奇形の赤ちゃん/ジェンナー/乃木大将]

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☆すいません、「第五福竜丸」の話は次回です^^;

 おっと、それから、訳の分からない誹謗中傷のコメントは読まずに消していますよ。

 IPアドレスで、その手のコメントは弾かれまする。

 私が支離滅裂な文章をまともに読解していると思われちゃうと、ちょいと悔しいので、特記しておきます^^;

 面倒臭いことは、私は避けるのです。

   ◇

 さて、下からの話は繋がりますので、そう思って読んでください。

   ◇

 昨日のルーズベルトの言葉の解説をしてないので、そこから書きます。

   「恐れるべきものは何もない。私たちは、ただ恐れを恐れてるだけだ」

 含蓄のある言葉だと思う。

 もちろん、今回の原発に対しての言葉ではないが、有事に際しての言葉ではある。

 私は、浪江町に行ったとき、今までの人生でもベスト3に入るだろう恐怖を感じた。

 事故においての放射能が、なんら身体に影響を与えないことを理解していても、

 国民の大多数の無知からくる恐怖感の総体が、翻って私を恐怖に貶めた。

 それが、つまり、「恐れを恐れてる」ということなのだろう・・・。

   ◇

 こんなニュースがあった。

   《「子ども守りたい」「現地苦しめる…」日光への修学旅行、父母ら葛藤の反対署名/神奈川(2011年12月16日)》

 <東京電力福島第1原発事故の影響を心配し、小学校の来年以降の修学旅行先を栃木県日光市から変更するよう求め、相模原市の父母らが15日、署名を市教育委員会に提出した。14日にも綾瀬市で署名が提出され、横須賀、座間、海老名市でも同様の動きがある。県内と比較して空間放射線量が高いことが理由だが、行き先変更の声を上げることが現地の人たちを苦しめることにつながるのでは、という葛藤を抱えながらの行動だ。2464人分の署名を手に相模原市教委を訪れたのは、市内の保護者でつくる「こどもまもりたい」の能勢広さん(42)。「放射性セシウム134の半減期にあたる2年間は、とりあえず行かせないでほしい」。言葉を選びながら要望の趣旨を説明した。
 「市内は0・1マイクロシーベルトだが、日光は0・2から0・5という値も見られる。放射線の影響を受けやすい子どもを、わざわざ線量の高い所へ行かせたくない」。綾瀬市に2944人分を届けた「綾瀬っ子の未来を守る会」の立花陽子さん(43)は言う。小学5年生の長男と4年生の長女がおり、長男は「日光なら行かない」と話しているという。
 一方で複雑な思いも口にする。「日光の観光業は打撃を受けていると聞く。強く反対することが、さらに苦しめることにならないか」と能勢さん。立花さんも「被災地支援のため、大人がこぞって観光に行くよう促す取り組みはできないだろうか」と話す。
 声を上げづらい理由はほかにもある。相模原市ではことし市内72校中71校が日光へ向かったが、市内の母親(49)は「子どもが行きたがっているからと、声を上げない親も多かった。事前の説明会でも、中止になってしまったら困る、と反対しづらい空気があった」と振り返る。
 修学旅行シーズンは5月下旬から。「家庭ごとに行かせる、行かせないで分かれ、子どもがばらばらになることは避けたい」と立花さん。
 この日署名を受け取った相模原市教委学校教育課は「現地の子どもたちの屋外活動が制限されているわけでもなく、現時点で変更が必要な状況とは考えていない」としながら、「校長会と相談しながら、放射線の値や現地の情勢の推移を注視していきたい」と話している。
 日光市は事故から1カ月後の4月に水と大気中の放射線量を測定し、「健康に影響を及ぼす値ではない」として「観光安全宣言」を出している。>

 ・・・誠にもって腹立たしい父兄だが、その認識は多勢の認識でもあるので、悔しいが耐えるしかないか。

 だけども、現地の子供は普通に暮らしているんだぜ。

 無知と偏見と誤解に満ちた判断だと思う。

 ピントのずれた後悔の念(「日光の観光業は打撃を受けていると聞く。強く反対することが、さらに苦しめることにならないか」)もきついね・・・。

 「鬼子母神」の物語を思い出すよ。

   ◇

 さて、とある場所で、赤ちゃん好きの私が乳母車を覗き込むと水頭症の赤ちゃんだった、と言う話を前回書いた。

 その時、一緒にいた、当時の私の彼女も、知らずに乳母車を覗こうとした。

 が、私は、その、彼女の二の腕を掴み、その場から離れた。

 私は、障害を持った赤ちゃんを見たときの、彼女の心に浮かぶ「悲しさ」とか「哀れみ」とか「可哀想に思う」とかのマイナスの気持ちを感じたくなかったのだ・・・。

   ◇

 17年ほど前だ。

 弟とカンボジアに行き、市内を観光していた時、セントラルマーケットの入り口に、奇形の赤ちゃんがちょこんと座らせられていた。

 周囲に誰もいなかったが、その親は、お金が恵まれるのを待っているのだろう。

 枯葉剤の影響か分からないが、四肢がほとんど欠落していて、顔も普通でなかった。

 でも、赤ちゃんらしく動いていた。

 私の横には弟が歩いていたが、私が声を上げなかったので、おそらく、弟は、その赤ちゃんに気づかなかったようだ。

 私はホッとした。

 やはり、弟にも、マイナスの感情を味あわせたくなかった。

 ・・・まあ、しかし、後になって、弟も見ていたことが判明するのだった。

 弟も弟で、色々考えて、その時は、見なかったことにしたようだ。

   ◇

 で、さて、私が、障害児を見た時、彼女や弟には見せたくなかった気持ちを考えるに、

 それは、先ほどのニュース記事の父兄のとった行動と似ているような気がするのだ。

 何と説明しようか・・・。

 事実はある。

 障害児は、見るのを避けても、現実に存在する。

 放射能は、現在の状況においては、なんら、人体に影響のあるものではない。

 だが、それでも、それぞれのイメージで避けたくなるのだ。

 自分だけのことならばいいのである。

 だが、それは、彼女であり、弟であり、自分らの息子,娘のことであったりする・・・。

 自分の大切な存在が問題に直面するとなると、人は正常な判断が出来なくなるのかも知れない。

 放射能の恐怖がどんなに科学で克服されようとも、現在においては、精神野において、極大な恐怖であり、多くの人々が、その恐怖を拭い去れない。

 現実(科学)が精神・心理(文学)に負けているのだ。

 ・・・だが!

 それは「間違い」なのだと私は思う。

 人が、自分の大切な人を大事に思うのと同様に、他者が、自分の大切な人を大事に思っていることにも考えがいかなくては、独裁者の傲慢でしかない。

 しかも、それは、科学的な認識で間違えてもいる。

 無事に暮らす「栃木の子供(先のニュースにおいての)」を疑い、自分の子供を、偏見の安全地帯へと逃がす。

 やはり、まともな精神状態ではない。

 責めはすまい・・・、と言いたいが、責めなくては、「風評被害」は永遠に続くぞ。

   ◇

 かつて、エドワード・ジェンナーは、天然痘のワクチンを研究するにあたって、自分の息子に、天然痘を接種した(注:ワクチン開発時の牛痘接種は、息子ではなく、使用人の子に)。

          

   ◇

 乃木大将は、日露戦争において、長男と次男を亡くした。

 長男の死に対しては、妻に、「名誉の戦死を喜べ」と電報を送った。

 次男の死に対しては、「よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」と言ったという。

          

   ◇

 科学に準じたジェンナーも、公の精神に殉じた乃木大将も、並の人物ではない。

 私は、自分個人ならばいいが、果たして息子がいたとしたら、彼らのような決断は出来ない。

 自分個人ならば、どうにでも暴れるのだが・・・。

                                                     (2012/01/17)

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