☆・・・(0・プロローグ)
四谷学院のCMに出てくる東大合格の女の子。
自分を剛力彩芽似とでも勘違いしていないことを切に祈る。
勉強が出来る自信は、厳密には容姿とは無関係。
(1・ホッと一安心)
中学校の次期学習指導要領改定案で変更されるとされていた「聖徳太子」「鎖国」が、現行どおりと決まった。
マジ良かった!
歴史的事実は事実として存在しなくてはならないが、1400年前の、科学的誤認でもない、文学野の些末なことを、野暮にも改訂をすることになんの意味があるのか?
実は聖徳太子の持っている笏(しゃく)は、実は銀色なので、今後、教科書の聖徳太子像の笏は銀色に塗り潰そう、としたり顔で言ってるみたいなもので、世の中の学者なんてのは8割方が、そんな奴らばかり。
聖徳太子は、何百年に渡り日本のスーパーヒーローなんだよね、それこそが歴史(科学的結論のことではないよ、あくまでも文学野の話)。
学者ってのは、勉強ばかりしてきたので、一般常識との乖離が甚だしい。
そう言った常識を、我々 庶民は、無知あるいは、故意に、日本人のアイデンティティを貶めようと偏向している学者に教え諭さなくちゃならん。
「鎖国」にしてもそう。
「鎖国」という言葉は、現在、不本意ながらも常識のように語られるグローバリゼーションと真っ向から反対方向ゆえに、否定的に語られることも多いが、あの時代には、絶対的に必要な政策だった。
鎖国がなければ、政治的に今の日本の姿はなく、副産物としての文化・文明の熟成もなかった。
で、鎖国と言っても、幾つかの門戸は諸外国に開かれていた。
それをもって、厳密に言って鎖国とは言えない、と言うのもナンセンス。
世の中には「枠組み」「ルール」「常識」ってものが厳然とあるけど、同時に「例外」ってのもある。
鎖国時代の長崎出島に代表される門戸は、あくまでも「例外」で、それを拡大解釈し、鎖国などなかったと言うのは、あまりにもの、ものの見方のバランスの欠如と言えよう。
最近の世の中の歪みは、すべて、バランス(の取れた生活・教育・情報・法・思想etc.etc.)の欠如といえる。
(2・自分の常識で)
この文章で言いたいのは、東大合格したって、おぬしは剛力彩芽ではないし・・・。
どんなに専門に勉強してきても、そのベースになる「常識」が、それまでの「生活」「教育」で培われてこなかったら、結論は著しく破綻すると言うこと。
どんなに勉強が出来ても、それは「頭の良さ」とは、全く関係ないと言うこと。
「頭の良さ」とは、バランスある見方の帰結を、抜群のコミュニケーション能力で社会に知らしめること。
ああ、もちろん、あたいは、頭が悪いみたいだ・・・^_^;
(2017/03/22)