☆良い出来の作品ではあった。
公開からかなり遅い時期になっての鑑賞なので、その内容について詳細に語るつもりはない。
が、原作の東野圭吾については、何ゆえに、こんなにも「通俗的」かつ「大衆迎合的」な作家に変貌してしまったのかと、私は、ずーっと考え続けている。
彼の作家歴においてのターニングポイントは『秘密』だったと思う。
その作品で、私はかなりのショック(精神への負荷)を受けた。
だが、その一作ならば、この作家の中で、こんな作品もあり得ようと、許せた。
しかし、それからの東野作品のほとんどが「ストレス」作品に堕してしまった。
そして、多くの「文化」的な人間と言われるものは、創作の世界において、「ストレス」を感じさせられることを<エンターテイメント>と感じる傾向がある。
泣ける映画が持て囃される時代だ。
つまり、喜怒哀楽を揺さぶられる作品こそを優秀と感じる間違った考え方だ。
私は、それを「通俗的」かつ「大衆迎合的」と看做す。
それが悪いと言ってる訳ではない。
私は、それだけが、創作の「優秀性」だとは思っていないだけだ。
いや、ちょっとだけ、私は「悪」と思っている。
あまりにも、「性のイレギュラー」が、諸作品に頻繁に出過ぎている・・・。
東野圭吾はここ数年、自分が「金の鉱脈」を見つけたかと思ってウハウハだろう。
大衆が喜ぶツボを十全に理解できたと思っている。
だが、十年後には、気づくと思う。
物語というのは、「経過」説明に行を裂くは、読者の想像力を退化させる、もしくは、馬鹿にした態度であるということを!
そして、真の物語とは、究極的には、「結果」の羅列でしかないことを!
なんで、十年後に気づけるかと言うと、この方は尋常ならざる才能を持っているからだ。
本格ミステリスピリッツとして、「密室殺人」トリックを忘れていないのは素晴らしかった!!!
◇
で、映画において、<「経過」説明に行を裂>けるのは、映画を形作る諸要素である。
一番に大きな要素は、役者だろうか?
主演の堀北真希は、私にとって、そのデビュー当時から何で人気があるのか分からないほど、好みじゃないのだが(ラッキョウみたい^^;)、その、私の苦手意識が、作中の役柄に妙にマッチして、不気味で良かった。
映像も、出演する女優が全てブスに見えるほどのリアルな高解像度でセピアチックに撮って雰囲気が盛り上がった。
そんな中で、主人公の暗黒面を背負った青年を演じた高良健吾は、特にクライマックス、暗闇に溶け込むような儚いイケメン振りで良かった。
事件は20年に及び、若き刑事が退職を迎える期間に及ぶ、若き頃に病弱の息子を失っている刑事(船越英一郎)は、捜査の果てに「見えざる加害者」を、いつしか自分の息子のように考えるに至る、と作り手は思わせたいのだろうが、そこまでの物語上の描き込みがなく、やや失敗だが、船越英一郎の演技でかろうじてもったかな。
また、昭和から平成をまたいだ事件に、これまた作り手は、時代を感じさせたかったかも知れないが、それも成功とは言えない。
音楽の数々は、『砂の器』チックに時代を感じさせる効果は生んでいよう。
また、これは重要なハズだが、間接的な加害者である女、その陰としての存在である男、その両者のつながりも弱い。
・・・作品の印象としては、『砂の器(松本清張)』『人間昆虫記(手塚治虫)』『カーテン(アガサ・クリスティ)』のテーマ性をピックアップしたイメージではある。
◇
主人公の少女時代を演じた福本史織ちゃんは、役柄的には、まことにもってけしからんが、色々と妄想を刺激してくれる・・・^^;
とても可愛い^^
PS.ああ、そうそう、主人公の女の歪みについては、私は、女の幼少時の経験による後天性の精神疾患と看做して、物語のアンハッピーエンドを納得している次第です・・・。
(2011/02/26)
公開からかなり遅い時期になっての鑑賞なので、その内容について詳細に語るつもりはない。
が、原作の東野圭吾については、何ゆえに、こんなにも「通俗的」かつ「大衆迎合的」な作家に変貌してしまったのかと、私は、ずーっと考え続けている。
彼の作家歴においてのターニングポイントは『秘密』だったと思う。
その作品で、私はかなりのショック(精神への負荷)を受けた。
だが、その一作ならば、この作家の中で、こんな作品もあり得ようと、許せた。
しかし、それからの東野作品のほとんどが「ストレス」作品に堕してしまった。
そして、多くの「文化」的な人間と言われるものは、創作の世界において、「ストレス」を感じさせられることを<エンターテイメント>と感じる傾向がある。
泣ける映画が持て囃される時代だ。
つまり、喜怒哀楽を揺さぶられる作品こそを優秀と感じる間違った考え方だ。
私は、それを「通俗的」かつ「大衆迎合的」と看做す。
それが悪いと言ってる訳ではない。
私は、それだけが、創作の「優秀性」だとは思っていないだけだ。
いや、ちょっとだけ、私は「悪」と思っている。
あまりにも、「性のイレギュラー」が、諸作品に頻繁に出過ぎている・・・。
東野圭吾はここ数年、自分が「金の鉱脈」を見つけたかと思ってウハウハだろう。
大衆が喜ぶツボを十全に理解できたと思っている。
だが、十年後には、気づくと思う。
物語というのは、「経過」説明に行を裂くは、読者の想像力を退化させる、もしくは、馬鹿にした態度であるということを!
そして、真の物語とは、究極的には、「結果」の羅列でしかないことを!
なんで、十年後に気づけるかと言うと、この方は尋常ならざる才能を持っているからだ。
本格ミステリスピリッツとして、「密室殺人」トリックを忘れていないのは素晴らしかった!!!
◇
で、映画において、<「経過」説明に行を裂>けるのは、映画を形作る諸要素である。
一番に大きな要素は、役者だろうか?
主演の堀北真希は、私にとって、そのデビュー当時から何で人気があるのか分からないほど、好みじゃないのだが(ラッキョウみたい^^;)、その、私の苦手意識が、作中の役柄に妙にマッチして、不気味で良かった。
映像も、出演する女優が全てブスに見えるほどのリアルな高解像度でセピアチックに撮って雰囲気が盛り上がった。
そんな中で、主人公の暗黒面を背負った青年を演じた高良健吾は、特にクライマックス、暗闇に溶け込むような儚いイケメン振りで良かった。
事件は20年に及び、若き刑事が退職を迎える期間に及ぶ、若き頃に病弱の息子を失っている刑事(船越英一郎)は、捜査の果てに「見えざる加害者」を、いつしか自分の息子のように考えるに至る、と作り手は思わせたいのだろうが、そこまでの物語上の描き込みがなく、やや失敗だが、船越英一郎の演技でかろうじてもったかな。
また、昭和から平成をまたいだ事件に、これまた作り手は、時代を感じさせたかったかも知れないが、それも成功とは言えない。
音楽の数々は、『砂の器』チックに時代を感じさせる効果は生んでいよう。
また、これは重要なハズだが、間接的な加害者である女、その陰としての存在である男、その両者のつながりも弱い。
・・・作品の印象としては、『砂の器(松本清張)』『人間昆虫記(手塚治虫)』『カーテン(アガサ・クリスティ)』のテーマ性をピックアップしたイメージではある。
◇
主人公の少女時代を演じた福本史織ちゃんは、役柄的には、まことにもってけしからんが、色々と妄想を刺激してくれる・・・^^;
とても可愛い^^
PS.ああ、そうそう、主人公の女の歪みについては、私は、女の幼少時の経験による後天性の精神疾患と看做して、物語のアンハッピーエンドを納得している次第です・・・。
(2011/02/26)