☆私の住むあきる野市の御当地映画『五日市物語』を観て来ます^^
午後9:50からの上映です^^;
感想は、後ほど^^
◇
・・・あきる野市市制15周年記念作品だそうだ。
そもそも、あきる野市は、五日市町と秋川市が合併して出来た市で、秋川市に住む私が子供の頃から、両町は合併すると言われていたが、秋川市のほうが難色を示していたと記憶する。
しかし、子供の私から見ても、明らかに五日市町のほうが歴史を感じられ、合併は「光栄」なことのように思えた。
だけども、合併して、五日市市と言う市名になるのは、秋川に住む私としては嫌で、だからと言って、秋川市になるのも「五日市」に失礼に感じていた。
そしたら、合併し「あきる野市」と言う訳の分からない市名になった。
当時は、日本で唯一の、漢字と平仮名混在の市名と、プチ有名になったと記憶する^^;
◇
さて、観てきました。
なんとも、不思議な経験をした気持ちです。
自分の知っている風景が大画面に映し出されているのである。
美しいカメラワークで、五日市の自然が映し出されてもいる。
・・・そこに、情報を集めることを仕事にしている会社の一員として、遠藤久美子(すっかり大人のエンクミ)演じる女性が、五日市について調べようとやってくる。
あきる野市役所の、観光担当の青年が、その案内をする。
最初は、五日市の観光ポイントをカタログ的に紹介する展開で、
私は、地元民としては嬉しいけど、これでは映画としていかがなものだろうかと思っていたら、
次第に物語も顔を出してくる。
90歳を超えても旅館を切り盛りするおばあちゃんと知り合い、興味と、自分が人生に求める「何か」を感じたエンクミは、
会社を辞め、おばあちゃんの旅館に長居をはじめるのだった・・・。
そういった展開の是非については、後で話す。
・・・う〜ん、全ての登場人物の演技がおかしいのだ。
セリフの棒読み具合と、妙な間(ま)と、ステロタイプの感情をあらわす表情などの表現・・・。
多くのボランティアを配しているようだが、
それ以上に、見知っている役者の演技も、奇妙に思えた。
もしかして、それがあきる野市の人々の素朴さとでも、演出者が思っているのか?
なら、それは間違いだ。
また、主人公が、五日市を「癒し」の土地とでも思っているかのような作品テーマが、非常に勘違いはなはだしい、てゆーか、私、恥ずかしい^^;
五日市は伝統ある町だが、そこには圧倒的な、いい意味でも悪い意味でもの「現代」がちゃんとある。
勝手な美化はやめて欲しい。
「都会の生活に疲れたOLの、自分探しの発見の場」に帰着するテーマは、あまりにも勝手で、そぐわない「観念の見取り図(by西尾幹ニ)」を五日市にあてはめるようなものである。
また、五日市憲法や、山中からの木材切り出しと筏を使った運搬などは、過去パートを通してちょっとしたテーマとして語られるのだが、予算の関係もあろうが、とても薄味だ。
◇
私は、最初から、この作品が、五日市を知らない人にとって、その目にどのように映るのか? とずーっと考えて鑑賞した。
映画の技術レベルとしては、ややお粗末な点もある。
一緒に観た人は「学芸会レベル!」とまで言っていたが、私はそうは思わない。
大学の「映研」レベルよりもはるかによく出来ている。
ちゃんと散文的に、話を組み立てている。
しかし、商業映画としては、きつい点が多い。
かろうじて、かろうじて、金を出す鑑賞に耐えるレベルかな。
でも、私の住んでいる土地の近く(子供の時から見知った場所・食べ物(のらぼう/おやき、など))が映画のスクリーンに映し出されるというのは、かなり興奮するなぁ^^
(2011/10/30)
午後9:50からの上映です^^;
感想は、後ほど^^
◇
・・・あきる野市市制15周年記念作品だそうだ。
そもそも、あきる野市は、五日市町と秋川市が合併して出来た市で、秋川市に住む私が子供の頃から、両町は合併すると言われていたが、秋川市のほうが難色を示していたと記憶する。
しかし、子供の私から見ても、明らかに五日市町のほうが歴史を感じられ、合併は「光栄」なことのように思えた。
だけども、合併して、五日市市と言う市名になるのは、秋川に住む私としては嫌で、だからと言って、秋川市になるのも「五日市」に失礼に感じていた。
そしたら、合併し「あきる野市」と言う訳の分からない市名になった。
当時は、日本で唯一の、漢字と平仮名混在の市名と、プチ有名になったと記憶する^^;
◇
さて、観てきました。
なんとも、不思議な経験をした気持ちです。
自分の知っている風景が大画面に映し出されているのである。
美しいカメラワークで、五日市の自然が映し出されてもいる。
・・・そこに、情報を集めることを仕事にしている会社の一員として、遠藤久美子(すっかり大人のエンクミ)演じる女性が、五日市について調べようとやってくる。
あきる野市役所の、観光担当の青年が、その案内をする。
最初は、五日市の観光ポイントをカタログ的に紹介する展開で、
私は、地元民としては嬉しいけど、これでは映画としていかがなものだろうかと思っていたら、
次第に物語も顔を出してくる。
90歳を超えても旅館を切り盛りするおばあちゃんと知り合い、興味と、自分が人生に求める「何か」を感じたエンクミは、
会社を辞め、おばあちゃんの旅館に長居をはじめるのだった・・・。
そういった展開の是非については、後で話す。
・・・う〜ん、全ての登場人物の演技がおかしいのだ。
セリフの棒読み具合と、妙な間(ま)と、ステロタイプの感情をあらわす表情などの表現・・・。
多くのボランティアを配しているようだが、
それ以上に、見知っている役者の演技も、奇妙に思えた。
もしかして、それがあきる野市の人々の素朴さとでも、演出者が思っているのか?
なら、それは間違いだ。
また、主人公が、五日市を「癒し」の土地とでも思っているかのような作品テーマが、非常に勘違いはなはだしい、てゆーか、私、恥ずかしい^^;
五日市は伝統ある町だが、そこには圧倒的な、いい意味でも悪い意味でもの「現代」がちゃんとある。
勝手な美化はやめて欲しい。
「都会の生活に疲れたOLの、自分探しの発見の場」に帰着するテーマは、あまりにも勝手で、そぐわない「観念の見取り図(by西尾幹ニ)」を五日市にあてはめるようなものである。
また、五日市憲法や、山中からの木材切り出しと筏を使った運搬などは、過去パートを通してちょっとしたテーマとして語られるのだが、予算の関係もあろうが、とても薄味だ。
◇
私は、最初から、この作品が、五日市を知らない人にとって、その目にどのように映るのか? とずーっと考えて鑑賞した。
映画の技術レベルとしては、ややお粗末な点もある。
一緒に観た人は「学芸会レベル!」とまで言っていたが、私はそうは思わない。
大学の「映研」レベルよりもはるかによく出来ている。
ちゃんと散文的に、話を組み立てている。
しかし、商業映画としては、きつい点が多い。
かろうじて、かろうじて、金を出す鑑賞に耐えるレベルかな。
でも、私の住んでいる土地の近く(子供の時から見知った場所・食べ物(のらぼう/おやき、など))が映画のスクリーンに映し出されるというのは、かなり興奮するなぁ^^
(2011/10/30)