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Channel: 『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭
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[(再掲 2010/08/15) 何かしら無理矢理に話す(8:かわいそうなぞう/かわいそうな子供/境界線/教育)]

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  最近の色んな状勢に鑑み、その色んな状勢全てに対応し得るエントリーを再掲しておく。

  「ベジタリアンの偽善」や「赤ちゃんポスト考」「子供を虐待した親の処遇」が含まれているよ。

   ◇   ◇   ◇

☆本日の産経新聞の「ひなちゃんの日常」は、ひなちゃんがお母さんに読んでもらった絵本「かわいそうなぞう」で、ひなちゃんよりも先に、読んでいたお母さんと聞いていたお父さんがが号泣してしまう、と言う話だった。

     

 「かわいそうなぞう」で泣けるところは、戦時中の食糧難で、動物園の象に食料を与えられないのだが、象は、芸をすれば食べ物を貰えると思ってか、空腹の状態で健気にも芸を披露するシーンだろう。

 小学生ぐらいの子が涙を流す定番の絵本であり、私も泣く。

   ◇

 私は、今回の「ひなちゃん」を読んで、母親に餓死させられた大阪の二人の幼児の悲劇を思った。

     《大阪2幼児遺棄事件 母親を殺人容疑で再逮捕 (2010/08/10 17:42)》

 事件の経過のニュースを聞くと、もう、この母親を「八つ裂き」にしても足りないと思う。

 母親の言で、置き去りをはじめてから、一度様子を窺いに帰宅したとき、二人には、いつもするハイタッチをする元気もなかった・・・、との言葉に、私は怒りを沸騰させた。

 なんと言うか、その、こんな言い方は陳腐だが、「愛」と言うものをなくし、それでいて自分の欲望には従順な、この母親の精神性に身の毛がよだつ。

 地獄の状況に、母親は、常識と著しくかけ離れた観点を持っているのだ。

 この母親の、無意識と言うか、人間として生きる、心の中にあろう優先順位の順逆の異常性に気付く事のない、これまでの人生で培われたモノに、私は絶望させられるのだ。

 その怒りの理由について、私は長々と書けようが、この二人の幼児は帰ってこないので、書いてもしょうがない・・・。

   ◇

 子供の虐待死事件・・・、どうにかなくせないものか。

 正直、戦後の日教組教育の、日本崩壊を根底に持つ教育に導かれた、「個人の権利」を大義名分とした「個人主義」の推進は、夫婦よりも、家族よりも、自分個人の権利(ではなく、欲望・・・)を優先している・・・、今後、このような事件はこれからも加速度的に多くなるだろう。

 保守派の「抜本的な教育改革運動」は、今現在、そこで苦しむ子供達のためには何ら機能しない。

 本当に、子供を命を助けたいと考えている硬派左翼(実際はもっとシンプルな思考で行なっているが、保守派に攻撃されるので左翼とする)の行なう「赤ちゃんポスト」などは、それでも間口が狭すぎる。

 子供駆け込み寺みたいのは、もっともっと作られても良い。

 私に莫大な金の余裕が出来たら、先ず、テレビのCMで、幼児には「逃げろ!」と訴えたい。

 理屈にかなわない「地獄状況」からは、ともあれ、他の大人の監視下に逃げてみて欲しい。

 その是非の判断は、児童相談所や警察が精査する(児相や警察の不手際もかまびすしいが、少なくとも判断のつかない幼児に苦痛の生活を続けさせるよりはまともな結果を生もう)。

 とにかく、子供には未来がある。

 死んでしまったら、良くなるものも、悪くなるものさえも可能性が消える。

 そして、先ずは、逃げた子供は、一般人のトコに助けを求めるだろう。

 一般の大人は、自分で判断せずに、警察に一言知らせようじゃないか。

 その判断をあなた自身でつけられると考える驕りは、先ず無くしたまえ。

   ◇

 私は、「かわいそうなぞう」を読むと、もちろん、涙を流す。

 しかし、基本的に、私は、人間と動物を圧倒的に区別している。

 極端に言うと、動物と人間を計りに掛けたら、即座に人間を生かし、動物を殺す。

 私を糾弾できる者はいないだろう。

 誰しも、そんな境界線を心に持っている。

 ペットは可愛がり、家畜は食卓にあげる。

 シー・シェパードなどは、クジラやイルカは生かすが、他の魚類は何の疑問もなく食す。

 ベジタリアンなどは、動物の肉は食わないが、植物は殺して食う。

 生物は罪深く、他の生き物を殺さなくては、生きていけないのだ。

 そして、私はだからといって、他の主義の奴を責めようとも思わない。

 ただ、他の奴らが、自分の主張を他の奴に押し付けようとするのが許せない。

 お前ら、自分が気付いていない、自分らの罪深さを自覚せよ! と、言いたい。

 世の左翼右翼思想を持つ者たち(保守の一部も当然に含んで)は、とかく、自分らの思想を全体に及ばせ、他の考え方の者や、力を持たない子供を不幸に導く。

 その思想を信じる自分らだけで、その主義を処理できていれば良いが、極端な野郎たちは、必ず、強硬な手段を持って、他の共同体を崩しに掛かる。

 私は、強硬な手段を用いる者たちには、強硬な手段を使って戦わせて頂く。

 それが、かつての日本の戦争であった。

 ・・・と、この話は横道に逸れるのでここまでで終える。

 ただ、本日は<終戦の日>なので、一言書いておいた。

 「強硬手段を用いてきた相手に、強硬な手段を用いざるを得なかった戦争」には、何ら咎められる理由はない。

 先ず、その相手の自省が先であるべきだ。

   ◇

 話が変わるが、これはネット上で何度も書いたことだが、私は以前(20年以上前)、八王子の駅前でこんな光景を見た。

 母と子の二人連れがいて、道に飛び出て車に轢かれそうになった子を、母親が怒っていた。

 その母親の怒るさまを、近くを通り過ぎたおじさんが見かね、「何もそんなに怒らなくても・・・」と意見した。

 すると、母親が、おじさんに振り向き、ヒステリックに叫んだ。「あなたは、この子の今後の行動に責任が持てる立場なのですかッ!? ちょっと見かけたからといって、偉そうに言ってこないで下さいッ!!!」

 「それにしたって・・・」と困り顔のおじさん。

 一番困っていたのは、訳のわからない状況が眼前で繰り広げられることになった子供だ^^;

 私は、そんな場面を見てしまって、色々考えさせられた。

 どっちが悪いとか答えが出せなかった。

 そして、それから、20年ほど生きてきて、いまだに、答えを出せない。

 人生の色んな局面で、あの母親は悪い・・・、いや、あのおじさんのほうも悪い・・・、などと考えさせられるのだ。

   ◇

 今回、いつにも増して、とりとめがなくてすいませんです^^;

                                              (2010/08/15)


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