☆・・・今回の一連の山本太郎の問題、と言うか、だけに留まらず、天皇家に関連する事例について、私は多くを語ってない。
そこが、私の最強に慎ましいトコだ。
それには訳があり、
「天皇」と言う存在には、「天皇」に批判的な者・興味がない者らにとっては、どうしても「矛盾」に見えることがある。
それは、「靖国神社」のあり方にも似ている。
要は、それは、人の「心」でのみ量れることだからだ。
故に、殊更に、「天皇」を糾弾する者はもとより、それをまた批判する者も、いつの間にやら、肯定すべき存在を批判することになる。
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小林よしのりの使用人のトキウラ(極めて悪相)と言うのが、尊皇派を気取って、雅子さまをバッシングするマスコミを、なんか口汚い言葉でバッシングしているが、
その文章の中で、この雑誌はなかなか良い、などと、こう記している。
≪「週刊現代」は最近
雅子妃殿下に好意的なので 基本的には好感を持ちます。 先日も書きましたが 11月9日号の記事 『そして雅子妃の復讐が始まる』 には明るい気分になりました。 ≫この後に、その記事の内容が続くのですが、私は「ああ、こいつ(トキウラ)、感覚がマヒしているな」と思った。
雅子様に「復讐」なんて言葉を冠しているタイトルの時点で、もう、特に、彼らにとってはアウトでしょうよ・・・。
論敵相手憎しで、自分の思考が淀んでいることに気づくすべなく・・・。
こいつ、山本太郎に一票を投じたと言うし、山本太郎が天皇陛下に手紙を出したことに意義があったとも語っている。
それは、マスコミのヒステリーが炙り出されたことを言っているが、そこには、手紙を渡された天皇陛下の困惑に意識が向いていることはない。
これが、天皇陛下に批判的な者の文章ならばいいんだよ・・・、でも、あんた、尊皇派の仮面を被っているんでしょ(不細工な仮面だが)。
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で、私もちょい、「ミイラ取りがミイラに」なろうか。
・・・小林よしのりの山本太郎についての主張は、最初に感情があった。
それは、いわゆる「マスコミ(≒世論)」の「集団ヒステリー」にも似た画一論調、それを受ける者(山本太郎)への、自分に似ていると考えるシンパシー、同一被害者意識である。
その感情がまずあり、山本太郎擁護の体勢に入る。
理屈は後付けで、理屈はどうにでも付けられる。
正しいかなんかはどうでもいい、一方的な意見を羅列すればいいのだから。
小林は、ここ数年は、その「競技ディベート」と、「もう一つ(後述)」の能力だけで、言論界をしのいでいる。
今回、その「感情」は、後付けへと変質し、凄まじい紆余曲折を経て、最終的には、どうやら、「手紙を渡したことは失礼、なれど、マスコミや多くのコメンテーターが言う『政治利用』『手紙テロ』などではない」と言う普通の意見に落ち着き、
天皇陛下が宮内庁を通し告げた「バッシングにあっている山本太郎を心配している」という内容を、あたかも「錦の御旗」の如く、「ウキャウキャ」と喜んでいる。
山本太郎の反原発の考え方が「放射能怖い怖い」病に由来するヒステリーの帰結に端を発しているのは、小林よしのりを含め、誰一人として異論はあるまい。
内容がメチャクチャだからだ。
最終的に反原発の主張として表面に表われているからと言って、小林よしのりが、それを擁護できるのは「競技ディベート」精神にも反しよう。
・・・ならば、私も、天皇陛下に御会いして、手紙を渡そうと思う。
≪・・・私は、真摯に幼女を愛していて、この愛すると言う気持ちは、世の中で一番に素晴らしいものだと考えており、それは、世界中の誰もが頷いてくれるものだと思っています。幼女を愛するということは、世界平和と同義とも言えます。今回は、特に、私だけには、町行く幼女のホッペをムニュッとする権利をお与え下さい。とりあえず、先ず、私だけは、抑制を持って幼女を愛でますれば。是非是非、ロリコン御免状を頂きたい・・・≫
そう! これを読んでいる皆さんも、自分個人の趣味嗜好を、天皇陛下に直訴しようじゃないか。
その段について必要なのは、あたかも、その個人的な願いに、社会的な装いをデコレートすることである。
そしたら、小林よしのりは認めてくれる。
だが! その「社会的なデコレート」をしたことで、あなたが政治的な地位にあるのなら、それは「政治利用」になるぞ!!!
私が今回、山本太郎「議員」の行為を「政治利用」と認めないのは、山本太郎の直訴内容がデタラメで、政治的な論理性を欠如させている「むき出しの放射能怖い怖い感情」に他ならないからだ。
子供の行為を「政治利用」とは咎められない。
だが、マスコミや、まっとうな言論者は、やはり、山本太郎をバッシングせざるを得ない。
腐ったガキでも、社会の中で問題を起こした・・・、天皇陛下が山本を心配しようと、山本をバッシングせざるは、天皇制さえ脅かす、からだ。
◇
先ほどの、小林よしのりの言論活動の能力「もう一つ」について書いて終わる。
それは、「権威主義」である。
こいつ、先ほどの天皇陛下による「山本太郎を心配する」発言において、天皇陛下の陰からこっちを指さして笑って、舌をペロッと出しているような動きをしている。
こいつ、最近の言論活動の全てがそんな動きだ。
権威の頂点には、媚び諂い「おべっか」を使い続けるのだ。
AKBを支持するにおいての、絶対者・秋元康への「おべっか」の数々を見てもそうだろう。
天皇陛下を押さえておけば、秋元康を押さえておけば、首相をとことん貶めても平気だよ、わしは強いよ、わしはAKBメンバーにも言うことは言うよ! 後は陛下や秋元がケツモチしてくれる。
こんな人間が偉そうに詭弁を弄しているのを見ていると、時々、腹が立ってくる・・・。
(2013/11/17)