☆南相馬の海岸線を散策し、荒涼とした泥土の野原の中で、放射能の浜風に吹かれつつ、その中に「希望」を見い出し、私は、車に戻り、南相馬市内を走った。
市街地には、津波の影響はない。
そして、南相馬市は、警戒区域境界線及び圏内なのに、不思議と放射能が少ない地域でもある。
地形的な問題であろう。
町の中心部は道が狭く、個人商店などが並んでいたが、早い時間なので開店していないし、そもそも、多くは避難しているのかも。
区画整理などが為されていない町の風景は、「昭和」をかすかに思い出させる。
東北は、古き良き時代を思い出させる。
ダムを巡っていた時、緑深き山奥に近代的な設備を見い出すと、一瞬、驚かされるのだが、東北の自然は、それさえも大自然の一要素に取り込んでしまっている。
県道62号線を西に進んでいると、「遺留品展示場」の立て看板があった。
下世話な興味本位の感情において、私は少し触手が動いた。
しかし、私の旅の目的は、そこにはないので、素通りした。
・・・そして、見つけた!
東京電力福島第1原子力発電所から25キロメートル圏内で、震災後に初めて店を開いていた「伝説のコンビニ」・<セブン・イレブン 原町西町店>だ。
感動はない、普通に存在していた。
それは、あたかも、「幸福の青い鳥」が、実は、一番身近に存在していたと言う事にも似ているような、似ていないようなさりげなさだ^^;
駐車場に車は多く、多くのお客さんが来ていた。
もしかして、午前8時が開店だったのかな。
店の前には、女の子が「一人たむろ」して携帯を打っていた。
最近、女の子に流行っている、艶めかしい模様つきの黒いストッキングを履いているのだが、嘗め回すように、下から上に視線を上げていくと、顔がスッピンで興が冷めた。
いつもは化粧しているだろう眉なしの顔は、欠落感がつのるのだ。
そこら辺の認識が、東京の女とは違う「詰めの甘さ」であろう。
ゴミ箱の中の袋を取り替えている女性店員がいた。
「いらっしゃいませ〜♪」と元気がいい。
私は、店内に入る。
普通の光景。
マガジンコーナーでは、コンビニ売りの「カイジ」を読んでいるニート風もいる。
賭博破戒録カイジ 人喰いパチンコ(1) 1000倍台“沼”編 アンコール刊行!! (プラチナコミックス)福本 伸行講談社
いちお、店内を一周するも、特に変わったものはない。
品薄感もない。
私は、新聞スタンドから産経を取ろうとしたら、産経がない^^;
産経の販売エリアではないのだろう。
で、福島民報を手にした。
それから、品数豊富な弁当コーナーでは、<3つのヒミツ!極上ロール>を選んだ。
私は、セブンイレブンの紙コップのレギュラーコーヒー<バリスターズ・カフェ>を常飲している。
だが、このコーヒー機を設置しているセブンイレブン店舗は少ない。
私が通勤中に立ち寄る<セブン・イレブン 片倉南店>にはあり、いつも飲んでいる。
ある日、違うセブンイレブンに行き、「紙コップのレギュラーコーヒーはないのか?」と聞いたら、店員に「セブンイレブンではやってませんね〜」と言われ、私は心の中で、「セブンイレブン全体じゃないだろ!? この店舗ではやっていないだけだろッ!!」と毒づいた。
・・・しかし、さすがは「伝説のコンビニ」!!
<原町西店>にはありました^^
Lサイズを購入。
レジは二つで、二人の店員さんが切り盛りしていた。
片方は、ここの店長さんでしょう。
ニュースで、その顔を見たことあります^^
もう片方は、スマートな初老の男性がやっていた。
私は、こちらで会計してもらった。
先ず、電子マネー<nanaco>に千円チャージして、支払いをした。
ななこSOS (3) (ハヤカワ文庫 JA)クリエーター情報なし早川書房
合計金額がちょうど400円で、なんか嬉しかった。
私は、この旅の目的「<伝説のコンビニ>での買物」を果たし、ご満悦で店を出た。
店の外では、まだ、女性店員がゴミ袋を取り替えていて、「有り難う御座いました!」と元気に上品に言った。
おそらく、オーナー店長の奥さんなのかな?
・・・うん、で、だ。
この奥さんと、オーナーと、私の会計をしたロマンスグレーが、泥沼の三角関係にあったと仮定してみるのはいかがだろうか?
・・・震災後。
オーナー 「やむを得ない。避難するぞ」
奥さん 「私は残ります。お客さんの為に、店を開くべきです」
オーナー 「とは言ってもなぁ・・・」
ロマンス 「私も、奥方さんと残って店を開いていたいと思います」
オーナー 「なに! (さては、俺が避難した後に、よろしくやるつもりだな!)・・・じゃ、じゃあ、俺も残るぞ」
奥さん 「よ、良かった^^(チッ( ̄▽ ̄;))」
ロマンス 「で、では、早速、開店の準備をしましょう^^(-。−;)」
・・・これが、開店の真相だ! ・・・な訳ないだろッ!!! スイマセン^^;
だいたい、私は、コンビニの店員に可愛い子がいたら、いつも、その子をデートに誘うパターンを妄想したりする。
コンビニって、男の妄想さえも満たしてくれる最高の場所だ!!!^^v
◇
(参考)
<原発自主避難の南相馬・原町地域で物資供給基地の役割を果たすセブン−イレブン【震災関連速報】(11/04/04 18:05)>
福島県南相馬市は、震災の被害が甚大だったのに加えて、過半の地域が東京電力福島第1原子力発電所から30キロメートル圏内にある。25キロメートル圏にあたる同市の中心街、原町地域は自家用車こそ走っているものの、出歩く人の姿を見ることは皆無に近い。屋内退避地域だからだ。町並みをみても、ほとんどの店が閉店している。大型量販店などもすでに店舗の一時閉鎖を決定し、ドアを閉ざしたままだ。
そうした状況下で、セブン-イレブン原町西町店が営業を継続し、市民にとっての重要な物資供給基地となっている。入り口のガラス壁面には、歩くことが困難な老人などに食事を届けるボランティア募集の張り紙がある。
同店店長の高倉豊光さんが一時閉めた店を再開する決意をしたのは「顧客が戻ってきている以上、これからも店を空けて営業し続けたい」という理由からだった。
確かに、一時、市外に避難していた住民の帰宅の動きが相次いでいる。高倉さんは震災発生後も店を開けていたが、混乱の中で物資の配送との連絡が途絶えて、3月12日午後3時には営業を断念せざるをえなくなった。食料確保を急ぐ顧客が次々と来店し、「最後に残ったのはチーズ、バター程度だけだった」と言う。
その後、高倉さんも一時、二本松に非難したが、住民が戻り始めたという話を聞いて、急いで戻った。そして、3月26日、近隣の30キロメートル外の店舗が営業再開するという話を担当のオペレーション・マネジャーから聞いて、「私の店も開くので配送してほしい」と求めて、営業再開にこぎつけた。
「周辺では、年配の方々が生活に困って泣いていた。店を開いて、少しでも状況を改善したかった」
再開した3月26日、顧客が殺到することが予想された。同店は、高倉さん夫妻とアルバイト二人という体制であり、それを心配した本部が5名の応援部隊を送り込んだ。予想通り、店を開けるや、顧客が次々とやってきた。商品配送から棚への陳列が終わり、開店したが、じつに1時間で、すべての棚がガラ空きとなってしまった。
4月2日現在、次第に住民も落ち着きを取り戻して、再開当初のような状況ではなくなったが、それでも、駐車場スペースはつねに満車状態であり、入れ替わり立ち代り、顧客がやってきている。
10時30分、この日の第1回目の配送があり、高倉さんたちが商品を棚に配置し出すと、おにぎり、食パン、サンドウィッチ等々に顧客の手が次々に伸びる。新聞は、あっという間に売り切れた。1時間経過すると、次第におにぎりの棚が開き始めた。
配送は昼前と夕方5時から6時の2回。「次の配送は何時か」という問い合わせ電話が相次ぐ。配送時間が遅れることもあるので、高倉さんはあまり具体的なことは言わず、この地方の言葉である「晩方前(ばんがたまえ)」と答えるようにしている。顧客をがっかりさせたくないからだ。
いま、高倉さんが望んでいるのは「屋内退避の規制の撤廃」だ。
「誰でもここに戻りたがっている。しかし、物資が入ってこない。ガソリンを積んだタンクローリーも30キロメートル地点で、それまでの運転手は下りてしまって、代わって、自衛官が運転してガソリンスタンドに運んでいる。とにかく、モノを買えるようにしてほしい」
確かに、原発の危険度が詳細に公表されないままの屋内退避措置には矛盾が多い。
「その地にとどまってもいいが、それはあなたの勝手」というのは、いかにも政策としては無責任といわざるを得ない面もある。多くの市民が高倉さんと同じ思いを静かに募らせている。
(浪川 攻 撮影:梅谷秀司 =東洋経済オンライン)
◇
さあ、私は、『伝説のコンビニ』(クリック!)を口ずさみながら、南相馬の町を後にするのだった。
PS.二年前にも前を通り過ぎた<原町大木戸店>も盛況でした^^
(次回、いよいよ、本当の最終回! 「タケノコ」 2011/06/05)
市街地には、津波の影響はない。
そして、南相馬市は、警戒区域境界線及び圏内なのに、不思議と放射能が少ない地域でもある。
地形的な問題であろう。
町の中心部は道が狭く、個人商店などが並んでいたが、早い時間なので開店していないし、そもそも、多くは避難しているのかも。
区画整理などが為されていない町の風景は、「昭和」をかすかに思い出させる。
東北は、古き良き時代を思い出させる。
ダムを巡っていた時、緑深き山奥に近代的な設備を見い出すと、一瞬、驚かされるのだが、東北の自然は、それさえも大自然の一要素に取り込んでしまっている。
県道62号線を西に進んでいると、「遺留品展示場」の立て看板があった。
下世話な興味本位の感情において、私は少し触手が動いた。
しかし、私の旅の目的は、そこにはないので、素通りした。
・・・そして、見つけた!
東京電力福島第1原子力発電所から25キロメートル圏内で、震災後に初めて店を開いていた「伝説のコンビニ」・<セブン・イレブン 原町西町店>だ。
感動はない、普通に存在していた。
それは、あたかも、「幸福の青い鳥」が、実は、一番身近に存在していたと言う事にも似ているような、似ていないようなさりげなさだ^^;
駐車場に車は多く、多くのお客さんが来ていた。
もしかして、午前8時が開店だったのかな。
店の前には、女の子が「一人たむろ」して携帯を打っていた。
最近、女の子に流行っている、艶めかしい模様つきの黒いストッキングを履いているのだが、嘗め回すように、下から上に視線を上げていくと、顔がスッピンで興が冷めた。
いつもは化粧しているだろう眉なしの顔は、欠落感がつのるのだ。
そこら辺の認識が、東京の女とは違う「詰めの甘さ」であろう。
ゴミ箱の中の袋を取り替えている女性店員がいた。
「いらっしゃいませ〜♪」と元気がいい。
私は、店内に入る。
普通の光景。
マガジンコーナーでは、コンビニ売りの「カイジ」を読んでいるニート風もいる。
賭博破戒録カイジ 人喰いパチンコ(1) 1000倍台“沼”編 アンコール刊行!! (プラチナコミックス)福本 伸行講談社
いちお、店内を一周するも、特に変わったものはない。
品薄感もない。
私は、新聞スタンドから産経を取ろうとしたら、産経がない^^;
産経の販売エリアではないのだろう。
で、福島民報を手にした。
それから、品数豊富な弁当コーナーでは、<3つのヒミツ!極上ロール>を選んだ。
私は、セブンイレブンの紙コップのレギュラーコーヒー<バリスターズ・カフェ>を常飲している。
だが、このコーヒー機を設置しているセブンイレブン店舗は少ない。
私が通勤中に立ち寄る<セブン・イレブン 片倉南店>にはあり、いつも飲んでいる。
ある日、違うセブンイレブンに行き、「紙コップのレギュラーコーヒーはないのか?」と聞いたら、店員に「セブンイレブンではやってませんね〜」と言われ、私は心の中で、「セブンイレブン全体じゃないだろ!? この店舗ではやっていないだけだろッ!!」と毒づいた。
・・・しかし、さすがは「伝説のコンビニ」!!
<原町西店>にはありました^^
Lサイズを購入。
レジは二つで、二人の店員さんが切り盛りしていた。
片方は、ここの店長さんでしょう。
ニュースで、その顔を見たことあります^^
もう片方は、スマートな初老の男性がやっていた。
私は、こちらで会計してもらった。
先ず、電子マネー<nanaco>に千円チャージして、支払いをした。
ななこSOS (3) (ハヤカワ文庫 JA)クリエーター情報なし早川書房
合計金額がちょうど400円で、なんか嬉しかった。
私は、この旅の目的「<伝説のコンビニ>での買物」を果たし、ご満悦で店を出た。
店の外では、まだ、女性店員がゴミ袋を取り替えていて、「有り難う御座いました!」と元気に上品に言った。
おそらく、オーナー店長の奥さんなのかな?
・・・うん、で、だ。
この奥さんと、オーナーと、私の会計をしたロマンスグレーが、泥沼の三角関係にあったと仮定してみるのはいかがだろうか?
・・・震災後。
オーナー 「やむを得ない。避難するぞ」
奥さん 「私は残ります。お客さんの為に、店を開くべきです」
オーナー 「とは言ってもなぁ・・・」
ロマンス 「私も、奥方さんと残って店を開いていたいと思います」
オーナー 「なに! (さては、俺が避難した後に、よろしくやるつもりだな!)・・・じゃ、じゃあ、俺も残るぞ」
奥さん 「よ、良かった^^(チッ( ̄▽ ̄;))」
ロマンス 「で、では、早速、開店の準備をしましょう^^(-。−;)」
・・・これが、開店の真相だ! ・・・な訳ないだろッ!!! スイマセン^^;
だいたい、私は、コンビニの店員に可愛い子がいたら、いつも、その子をデートに誘うパターンを妄想したりする。
コンビニって、男の妄想さえも満たしてくれる最高の場所だ!!!^^v
◇
(参考)
<原発自主避難の南相馬・原町地域で物資供給基地の役割を果たすセブン−イレブン【震災関連速報】(11/04/04 18:05)>
福島県南相馬市は、震災の被害が甚大だったのに加えて、過半の地域が東京電力福島第1原子力発電所から30キロメートル圏内にある。25キロメートル圏にあたる同市の中心街、原町地域は自家用車こそ走っているものの、出歩く人の姿を見ることは皆無に近い。屋内退避地域だからだ。町並みをみても、ほとんどの店が閉店している。大型量販店などもすでに店舗の一時閉鎖を決定し、ドアを閉ざしたままだ。
そうした状況下で、セブン-イレブン原町西町店が営業を継続し、市民にとっての重要な物資供給基地となっている。入り口のガラス壁面には、歩くことが困難な老人などに食事を届けるボランティア募集の張り紙がある。
同店店長の高倉豊光さんが一時閉めた店を再開する決意をしたのは「顧客が戻ってきている以上、これからも店を空けて営業し続けたい」という理由からだった。
確かに、一時、市外に避難していた住民の帰宅の動きが相次いでいる。高倉さんは震災発生後も店を開けていたが、混乱の中で物資の配送との連絡が途絶えて、3月12日午後3時には営業を断念せざるをえなくなった。食料確保を急ぐ顧客が次々と来店し、「最後に残ったのはチーズ、バター程度だけだった」と言う。
その後、高倉さんも一時、二本松に非難したが、住民が戻り始めたという話を聞いて、急いで戻った。そして、3月26日、近隣の30キロメートル外の店舗が営業再開するという話を担当のオペレーション・マネジャーから聞いて、「私の店も開くので配送してほしい」と求めて、営業再開にこぎつけた。
「周辺では、年配の方々が生活に困って泣いていた。店を開いて、少しでも状況を改善したかった」
再開した3月26日、顧客が殺到することが予想された。同店は、高倉さん夫妻とアルバイト二人という体制であり、それを心配した本部が5名の応援部隊を送り込んだ。予想通り、店を開けるや、顧客が次々とやってきた。商品配送から棚への陳列が終わり、開店したが、じつに1時間で、すべての棚がガラ空きとなってしまった。
4月2日現在、次第に住民も落ち着きを取り戻して、再開当初のような状況ではなくなったが、それでも、駐車場スペースはつねに満車状態であり、入れ替わり立ち代り、顧客がやってきている。
10時30分、この日の第1回目の配送があり、高倉さんたちが商品を棚に配置し出すと、おにぎり、食パン、サンドウィッチ等々に顧客の手が次々に伸びる。新聞は、あっという間に売り切れた。1時間経過すると、次第におにぎりの棚が開き始めた。
配送は昼前と夕方5時から6時の2回。「次の配送は何時か」という問い合わせ電話が相次ぐ。配送時間が遅れることもあるので、高倉さんはあまり具体的なことは言わず、この地方の言葉である「晩方前(ばんがたまえ)」と答えるようにしている。顧客をがっかりさせたくないからだ。
いま、高倉さんが望んでいるのは「屋内退避の規制の撤廃」だ。
「誰でもここに戻りたがっている。しかし、物資が入ってこない。ガソリンを積んだタンクローリーも30キロメートル地点で、それまでの運転手は下りてしまって、代わって、自衛官が運転してガソリンスタンドに運んでいる。とにかく、モノを買えるようにしてほしい」
確かに、原発の危険度が詳細に公表されないままの屋内退避措置には矛盾が多い。
「その地にとどまってもいいが、それはあなたの勝手」というのは、いかにも政策としては無責任といわざるを得ない面もある。多くの市民が高倉さんと同じ思いを静かに募らせている。
(浪川 攻 撮影:梅谷秀司 =東洋経済オンライン)
◇
さあ、私は、『伝説のコンビニ』(クリック!)を口ずさみながら、南相馬の町を後にするのだった。
PS.二年前にも前を通り過ぎた<原町大木戸店>も盛況でした^^
(次回、いよいよ、本当の最終回! 「タケノコ」 2011/06/05)