☆うん、分かる分かる、映評ブロガー・セレブとして名高い私の、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の新作の感想を聞きたいんだろう?
でもね、私、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを一作も見たことがないんだわ^^;
一週間程前に、前三作を借りてきて見ようとも思った。
そして、私も新作の公開日に感想をエントリーし、お祭り気分に参加しようとはしたのだが、忙しくて見ることが出来なかった・・・。
◇
さて、『SOMEWHERE』である。
ハリウッドの映画スター・ジョニー(スティーヴ・ドーフ)の、空虚なセレブ生活の日々を描いた作品だ。
見る前の作品イメージとしては、別れた妻に引き取られていた娘・クレア(エル・ファニング)との交流を通し、ジョニーの中に何かが目覚めていく・・・、てな雰囲気だったが、思ったよりも、娘パートはメインではない。
あくまでも、ジョニーの、酒と女とパーティーの日々が淡々と綴られる。
本人が、物語の最後のほうで自分を「空っぽな男だ」と嘆くが、物語も、とてつもない「透明感」で進んでいく。
内容がないよう、であった。
しかし、それが、凄まじく面白かった。
傑作だ。
例えるのが難しいが、その面白さは、北野たけしの作品の「静」の部分の映像の惹きつけ方と似ていた。
エロチックな描写も多数あったが、ソフィア・コッポラの撮り方の吸引力は、そちら方面ではなかった。
先ず、興味を引かれたのが、冒頭から始まる「回転」の図である。
そして、「描写欠落」がある。
ジョニーは、黒のフェラーリを荒野で大きく円を描き乗り回す。
でも、その「コース」の半分しか見えなくて、画面から隠れているときは、爆音だけが聞こえる。
ホテルの一室ではベッドに寝転がり、双子のポールダンスの踊り子に、プライベートショーを夜な夜な演じさせている。
極上の金髪娘は、絶妙にヒップを揺らし、ポールをグルグル回る。
二人とも可愛いし、エロかった^^
しかし、ホテルの一室に設えられたポールが、どのように固定されているかに興味がいくも、画面はけしてそこを映さない。
そんなトコには興味を向けるべきではない、と作り手は考えている。
ジョニーは、日々の中で、虚ろに生きている。
パーティーでホロ酔い、花瓶の置かれた小さな机に腰を下ろそうとする。
だが、そこには何かが置かれていたようで、ジョニーはお尻の下に手をあてている。
なにやら、ジョニーは尻に敷いてしまったモノをどかしている素振りをするのだが、画面は、ジョニーの上半身しか映していない。
つまり、そこでのポイントは、ジョニーの間の悪さと言うか、怠惰さを表わしたいと作り手は考えていて、ジョニーの表情を捉えさえすればいいのだ。
都合2度のポールダンスのときも、ジョニーの表情は丹念に撮られている。
ジョニーがベランダで物憂げに外を見ると、大きな広告ポスターが見えるも、そのキャッチコピーは読めない。
ジョニーの新作映画の記者会見では、多くの質問が投げかけられるが、その質問への答えが為される前に、画面はカットされる。
もっとも、ジョニーの返答は、なんの起伏もないものであろうことは予想できる。
そんな具体例は、作品中、枚挙に暇がない。
当たり前、作り手は意図して、そのような描写をしているのだから。
だが、訪れたクレアが、スケート教室でフィギュアの演舞をしている時は、カメラは縦横無尽に動き、その「回転」を充分に見せてくれる。
ジョニーも、女(だろう)へのメール返信を打ちつつも、クレアの氷上のダンスに表情を崩す。
このシーンが、ジョニーの空虚と、クレアの寂しさの交差点なのだろう。
◇
クレア役のエル・ファニング・・・、11歳の役どころだが、ロウティーンにしか見えない。
華奢でもあるのだが、「いい女」にも見えてしまう。
「美少女」と呼ぶには成長してしまっている感もある。
実の姪っ子にも思うのだが、この年頃の、体は大人になりつつも心は子供のまま、の、その奔放な仕草が、私は、実は苦手だったりもする^^;
で、子供の心で、多くの大人の現実(母の家出など)を知らしめられて、涙を流すシーンなどには痛々しさを感じさせられる。
ただ、イベントでの肩を露出したドレスを着たクレアには、その美しさにハッとさせられたね。
ホテルプールでの一人シンクロ風、水面足出しもボリュームがあって美しい。
後半での水着姿も可愛いし、水中シーンもいい。
その後の、犬を愛でるシーンもいい。
「犬を愛でるシーン」に代表される、セレブの日常の中での、普通の女の子らしさの、計算された抽出には脱帽するしかない。
◇
貧乏な私だが、金のあり余るハリウッドセレブと、表面上の生活には違いがないのが、なんか面白かった^^;
(2011/05/22)
でもね、私、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを一作も見たことがないんだわ^^;
一週間程前に、前三作を借りてきて見ようとも思った。
そして、私も新作の公開日に感想をエントリーし、お祭り気分に参加しようとはしたのだが、忙しくて見ることが出来なかった・・・。
◇
さて、『SOMEWHERE』である。
ハリウッドの映画スター・ジョニー(スティーヴ・ドーフ)の、空虚なセレブ生活の日々を描いた作品だ。
見る前の作品イメージとしては、別れた妻に引き取られていた娘・クレア(エル・ファニング)との交流を通し、ジョニーの中に何かが目覚めていく・・・、てな雰囲気だったが、思ったよりも、娘パートはメインではない。
あくまでも、ジョニーの、酒と女とパーティーの日々が淡々と綴られる。
本人が、物語の最後のほうで自分を「空っぽな男だ」と嘆くが、物語も、とてつもない「透明感」で進んでいく。
内容がないよう、であった。
しかし、それが、凄まじく面白かった。
傑作だ。
例えるのが難しいが、その面白さは、北野たけしの作品の「静」の部分の映像の惹きつけ方と似ていた。
エロチックな描写も多数あったが、ソフィア・コッポラの撮り方の吸引力は、そちら方面ではなかった。
先ず、興味を引かれたのが、冒頭から始まる「回転」の図である。
そして、「描写欠落」がある。
ジョニーは、黒のフェラーリを荒野で大きく円を描き乗り回す。
でも、その「コース」の半分しか見えなくて、画面から隠れているときは、爆音だけが聞こえる。
ホテルの一室ではベッドに寝転がり、双子のポールダンスの踊り子に、プライベートショーを夜な夜な演じさせている。
極上の金髪娘は、絶妙にヒップを揺らし、ポールをグルグル回る。
二人とも可愛いし、エロかった^^
しかし、ホテルの一室に設えられたポールが、どのように固定されているかに興味がいくも、画面はけしてそこを映さない。
そんなトコには興味を向けるべきではない、と作り手は考えている。
ジョニーは、日々の中で、虚ろに生きている。
パーティーでホロ酔い、花瓶の置かれた小さな机に腰を下ろそうとする。
だが、そこには何かが置かれていたようで、ジョニーはお尻の下に手をあてている。
なにやら、ジョニーは尻に敷いてしまったモノをどかしている素振りをするのだが、画面は、ジョニーの上半身しか映していない。
つまり、そこでのポイントは、ジョニーの間の悪さと言うか、怠惰さを表わしたいと作り手は考えていて、ジョニーの表情を捉えさえすればいいのだ。
都合2度のポールダンスのときも、ジョニーの表情は丹念に撮られている。
ジョニーがベランダで物憂げに外を見ると、大きな広告ポスターが見えるも、そのキャッチコピーは読めない。
ジョニーの新作映画の記者会見では、多くの質問が投げかけられるが、その質問への答えが為される前に、画面はカットされる。
もっとも、ジョニーの返答は、なんの起伏もないものであろうことは予想できる。
そんな具体例は、作品中、枚挙に暇がない。
当たり前、作り手は意図して、そのような描写をしているのだから。
だが、訪れたクレアが、スケート教室でフィギュアの演舞をしている時は、カメラは縦横無尽に動き、その「回転」を充分に見せてくれる。
ジョニーも、女(だろう)へのメール返信を打ちつつも、クレアの氷上のダンスに表情を崩す。
このシーンが、ジョニーの空虚と、クレアの寂しさの交差点なのだろう。
◇
クレア役のエル・ファニング・・・、11歳の役どころだが、ロウティーンにしか見えない。
華奢でもあるのだが、「いい女」にも見えてしまう。
「美少女」と呼ぶには成長してしまっている感もある。
実の姪っ子にも思うのだが、この年頃の、体は大人になりつつも心は子供のまま、の、その奔放な仕草が、私は、実は苦手だったりもする^^;
で、子供の心で、多くの大人の現実(母の家出など)を知らしめられて、涙を流すシーンなどには痛々しさを感じさせられる。
ただ、イベントでの肩を露出したドレスを着たクレアには、その美しさにハッとさせられたね。
ホテルプールでの一人シンクロ風、水面足出しもボリュームがあって美しい。
後半での水着姿も可愛いし、水中シーンもいい。
その後の、犬を愛でるシーンもいい。
「犬を愛でるシーン」に代表される、セレブの日常の中での、普通の女の子らしさの、計算された抽出には脱帽するしかない。
◇
貧乏な私だが、金のあり余るハリウッドセレブと、表面上の生活には違いがないのが、なんか面白かった^^;
(2011/05/22)