☆かなり体調は回復しています。
今、花粉症のほうはおさまっています。
多少熱があるみたいなのですが、二日連続で残業もしまして、ちょっと無理したほうが、私の身体にはいいようです。
断わろうかなとも思ったのですが、どうも、私は、何にしても依頼されると断われない性格だ^^;
もし、女ならば、色んな男にやらせちゃうタイプかも知れん^^;
でも、私自身もエンジョイしちゃうかも知れない。
で、中には暴力的な男もいたりして、さすがに、その暴力に耐えかねて法に訴えたら、
事情聴取の中で、捜査官に「あんたも楽しんだんだろ?」とか言われて、
深く傷つくかと思いきや、妙に納得してしまったりして、そして、・・・(以下ry
◇
さて、職場(支店全体)で義援金を募ることになった。
いいことだと思う。
もちろん、希望者のみだが、今回の希望者は多そうだ。
また、私の働いている会社の東北の支店も、かなりのダメージを受け、業務の再開の目途も立たないようだ。
故に、本来、その東北の支店が担当していた山形向けの出荷が、こちらの支店に回され、最近、忙しくなっている。
だから、私、多少熱があるみたいなのですが、二日連続で残業もしまして、ちょっと無理したほうが、私の身体にはいいようです。
断わろうかなとも思ったのですが、どうも、私は、何にしても依頼されると断われない性格だ^^;
もし、女ならば、色んな男にやらせちゃうタイプかも知れん^^;
でも、私自身もエンジョイしちゃうかも知れ・・・(以下ry
◇
さて、知り合いからメールが来た。
その人は、ボランティアで宮城に行ったのだそうだ。
その「ボランティア」とは、特殊な物を扱うので、その方らの正体がバレちゃうので詳しく話せないが、いわゆる労働力提供のものではなく、物品の提供活動の範疇にある。
すぐに電話をした。
私は、ここに色々詳しく書きたくも我慢しているが、特に聞きたいこととして、
「行くのに苦労したか?」
が、あった。
現場に行くことには苦労はなかったようだ。
高速(東北道だろう)に、地震の被害による歪みが数ヶ所あったが、特に問題ないそうだ。
渋滞もなかったそうだ。
で、私が問うた「何日間行ったの?」の言葉に答えた一言が素晴らしかった。
「日帰りで行ったんだよ」
日本は広くて、でも、近い。
◇
さて、以下の、ネット上で拾った文章中の「施し」と、「ボランティア」とは、意味がかなり異なりますが、ここでは、その内容の似た点だけを読み取って下さい。
《曾野綾子さんの連載エッセイ「小説家の身勝手」(WiLL2011年4月号)より
ユダヤ律法を集大成したマイモニデスによると、施し方には八段階があるという。
以下、程度の悪いほうから並べる。
(8)いやいや施す人
(7)施すべき金額よりも少なく施す人
(6)乞われてからはじめて貧者に施す人
(5)貧者から乞われる前にちゃんと気づいてその貧者に施す人
(4)寄付を受ける人が寄付者の名前を知っているが、寄付者は与える人の名前を知らない場合
(3)寄付者が寄付を与える人の名前を知っていて、寄付を受ける人が寄付者の名前を知らない場合
(2)施す者と施される者との名前が知られない状態で施しがなされる場合
(1)まず金を与えて貧者を援助するよりも、ローンを貸与して彼を貸主の商売仲間に入れ、仕事を提供して自立できるようにしてやること
マイモニデスは、十二世紀にスペインのコルドバに生まれ、エジプトで宮廷付きの医師として働く一方で、
ユダヤ居留民の長として働いた人だというから、最高のやり方は、援助の金を与えるのではなく、資金を貸し付けて自立させるということであった。
出典はラビ・ピンハス・ペリーの著書「トーラーの知恵 現代を生きるためのユダヤ人の聖書観」とのことです。
(終わり)》
私は自己顕示欲がかなり強い人間だが、それ以上に、「ボランティア」なり「施し」をするにあたり、
「対象の喜ぶ姿を見たい」がある。
だから、上記の(2)の賢者にだけはなれない。
(1)の賢者にはなれる可能性はある。
だが、私は、自分が善行を施す相手を見たい。
例えば、相手が幼女だったとしたら、その子が喜ぶ姿を見て、自分も喜びたい。
そして、その姿を目に焼き付け、その後、何度も何度も心の中で反芻しニヤニヤしたいのだ!
◇
だから、私は、仮に「日帰り」と言う短時間であろうとも、対象との接触を考える。
「短時間(一瞬・刹那)で何が出来るんだよ!」と思う方には、以下の文章を送る。
これを読めば、私の考え方はこうなんだよと分かろう。
◇
[やりきれなさに、つかのまの努力を…(2004/04/06)]
▼昨日は、夜勤なので、夕方近くに家を出ると、秋川の土手際の桜並木は、まだまだ咲き誇っていた。
「何だよ^^ まだ咲いてるじゃん」と思いつつ、自転車を走らせる。
しばらく進むと、農地開拓の石碑があるのだが、その前に、老夫婦がおり、何やらお爺さんの方が、必死になって石碑の後ろに回り込んでいる。
私は、自転車で通り過ぎながら、その石碑の背後を覗き見る。
・・・と、可愛らしい男の子(二歳くらい)がニコニコしながら立っていた。
どうやら、老夫婦は、孫が一瞬の隙に、どっか行っちゃったので慌ててたのだろう。
桜の葉が散る、午後の情景だった。
▼その男の子の笑顔があまりにも良かったので、私もニコニコしながら、良い気分で桜咲く農道を進んでいたら、思い出してしまった。
感情とは複雑なもので、良い気分になると、それを±0にするような作用を施す。
朝の新聞に載っていた記事を思い出してしまった。
朝に不愉快、と言うか、絶望的な気分にさせられたのだが、夜勤ゆえに昼の間眠っていたので忘れていたのだ。
産経新聞の「性的虐待」の記事だった。
私は、児童虐待とか、そう言った記事が嫌いなので読まないことにしているのだが、つい、目にとまって読んでしまったのだ。
いや、ここで繰り返さないけど、嫌な話だった。
「嫌な」などと言うと、被害者に申し訳ないのだが、ダメだ。
▼私は大体、子どもが好きなので、このような話が本当に苦手だ。
私の家族もとても子ども好きだ。
いつも、「虐待」のTVニュースなどが流れると、家族で暗澹たる気持ちにさせられる。
▼(余談)私の家族は、姪のミカンちゃんをとても甘やかしているが、甘やかしすぎて、返ってミカンちゃんはしっかりした子になってしまった。
私が、あきんどさんの子どもを可愛がるのは、みかんちゃんを可愛がるのと同じである。
これが、フドーさんの長女さんとなると、別問題だ。
大学生の女の子に、あまりにも「可愛いですね、デヘへ」などと言い続けると、何か下心が見え見えじゃないすか^^;
その点、ミカンちゃんやツブラちゃんは子どもなので、可愛くて当たり前なのでよろしいですね^^
この「天才バカ板!」で、私の彼女など、女性の写真が現われないのは、そのような理由です。
のろけてると思われちまう。
▼で、話を戻しますが、虐待とかの話を聞くと、もう、それは個々の家庭と言う<隔離した世界>で行なわれているので、どうにも、私なぞが助けに出る幕がなく、自分の無力を思い知り、そう言った情報は耳を塞いで遮断するしかないのです。
世の中には、何で、そんな不幸な目にあう子どもがいるのだろう、と深く悩まされてしまう。
何で、俺は、曲がりなりにも<幸せ>なんだろう、と・・・。
昨夜の夜勤は、その記事を読んでしまったばかりに、ずーっと嫌な気分だった。
▼以前に、テレビに、とある若い女の子の画家が出演していて、こんな事を言っていた。
その女の子は、イジメやら自殺未遂などを経験して、絶望的な青春を送ってきて、でも、どうにか生き長らえた末に、画業に生き甲斐を見出したとのことだった・・・。
『辛い境遇にある子が、私の絵を見て、一瞬でも安らぎを感じてくれたら・・・』と・・・。
私は思ったものだ。
『一瞬の幸せだったら、根本的解決にならねえじゃんか・・・』
でも、何故か、その女の子絵描きの言葉は、ずっと心に残っていた。
▼カンボジアの奥地に行ったときのことだ・・・。
ビデオカメラを持って、傍若無人に、村人の生活を撮影していた。
カンボジアは真っ平らなので、雨季になると、川はすぐに増水する。
で、雨季が終るとしばらくは、辺りに水溜まりが点在している。
・・・小さな水溜まりを、ボロっちい網でかいているボロ服をまとった女の子がいた。
水溜まりにいるかも知れない魚を掬っているのか・・・。
私が近づいて微笑を向けても、愛想笑いするでもなく、ブスッとした顔で一瞥し、つまらなそうに網を操っていた。
その水溜まりを見ると、あまりにも小さな水溜まりで、水深も2センチ程しかあるまいと思え、魚などいないのは歴然だった。
が、女の子は、網を使い続けていた。
痩せぎすで、可愛さの欠片もない貧相な女の子だった。
この辺りは、生計の立てられない貧民層の住む場所だった。
私は、ポケットから、大粒の飴玉を出して、三個ばかしあげた。
でも笑顔は見られない。
飴の包みを取り、コリコリと舐めていた。
それを見ていた弟が遠くからやってきた。
姉は、自分が貰ったものを弟に分けていた。
私は、慌てて、弟にも渡す。
・・・でも、笑顔は見られなかった。
私は、間が持たず、ビデオカメラでぐるりを撮影し、その場を去った。
・・・青い空に白い雲が白々しかった。
あまりにも、ジャングルの奥地に行くと、暗色になれた子ども達は、旅行者の明色の服装を見ると、やたらに興奮してつきまとったりするものだが、この女の子は違った。
何か荒んで見えた。
確かに、田舎にはリアクションに乏しい子どももいるのだが、この女の子は、何か色んなことに疲れているように見えた。
・・・私は無力だった。
▼撮影したビデオは、日本に帰ってから早回しで見て、重要なトコだけ、丁寧に見た。
くだんの女の子の箇所は早送りして見なかった。
だけど、カンボジアの少女の寂しげな顔は、私の脳裏にずっと焼き付いていて、常に私の行動の「限界」を知らしめてきた。
≪世の中には、お前(私)なんかがどうにも出来ないことが無数にあるんだ≫
▼・・・・・、・・・・・最近、そのビデオを見直した。
私は、とある場面を見て、狂喜乱舞した^^
何と! テレビ画面に映し出された例の女の子は、笑っていたのである!
私と対面していた時はムスッとしてたが、私が、女の子からの愛想を諦めて、手持ち無沙汰のうちにカメラを撮っていたら、その時、やっと心がほぐれたのだろう、大粒の飴で片頬を膨らまし、画面の隅で、弟と笑いあっていたのだ。
「うひゃひゃ^^ 笑っているじゃねえか! 笑っているじゃねえか! 笑っているじゃねえか!」
私は、自室で大笑いした^^
その時、女の子絵描きの言葉が心に蘇った。
『辛い境遇にある子が、私の絵を見て、一瞬でも安らぎを感じてくれたら・・・』
「その通りだよ。あなた(女の子絵描き)の言うとおりだよ。絶望の境遇にいる子どもを、根本的に改善させようなんて、今の俺には無理だ。でも、一瞬の楽しさだったら、与えられる^^」
私は、一つ、学んだ・・・。
▼ただ、これだけは言っておく。
私は、子どもには優しく、とことん可愛がるが、その範囲は、高校生までだぞ!
それ以上の女の子は、違った意味で可愛がるのじゃ〜っ!
ウヒャヒャヒャヒャ(エロス^^)
(2004/04/06の再掲)
◇
片山善博総務相がテレビ番組で、日本赤十字に届いた義援金を「政府が差配する」とのたまったとのこと。
このことについては、明日にでも書きたいが、「勘弁してよぉ!」と思った。
横山弁護士のように「もう、やめてぇ〜!」と叫びたくなりました。
また、新聞を読んでいると、母親と内縁の夫に、ポリ袋に入れられ酸素欠乏症で死んだ3才児の記事や、十ヶ月の赤ちゃんに殴る蹴るの暴行をした男の記事が載っていたりして、ホント、気が滅入る。
赤ちゃんや幼児を死なせた人間には極刑を与えて欲しい。
◇
そんな中で、ちょいと、判断に苦しむニュース。
《自民党の野中元幹事長が離党(2011/04/05)》
自民党内の「民主党的なる顔・存在」である野中が出て行くことは嬉しいが、
その理由が、全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長としてまい進したいからとのこと。
民主党の「仕分け」の中で、土地改良事業費は大幅削減が決定しているが、野中は、仙石ら民主党と連携を深め、それを覆そうと暗躍しているらしい。
この、日本の国土が混乱を来たしている中、全国土地改良事業団体連合会の長は利権を求め動き始めている。
ああ、日本赤十字の義援金が、野中の愛人のマンション代に消えませんように・・・。
(2011/04/05)
今、花粉症のほうはおさまっています。
多少熱があるみたいなのですが、二日連続で残業もしまして、ちょっと無理したほうが、私の身体にはいいようです。
断わろうかなとも思ったのですが、どうも、私は、何にしても依頼されると断われない性格だ^^;
もし、女ならば、色んな男にやらせちゃうタイプかも知れん^^;
でも、私自身もエンジョイしちゃうかも知れない。
で、中には暴力的な男もいたりして、さすがに、その暴力に耐えかねて法に訴えたら、
事情聴取の中で、捜査官に「あんたも楽しんだんだろ?」とか言われて、
深く傷つくかと思いきや、妙に納得してしまったりして、そして、・・・(以下ry
◇
さて、職場(支店全体)で義援金を募ることになった。
いいことだと思う。
もちろん、希望者のみだが、今回の希望者は多そうだ。
また、私の働いている会社の東北の支店も、かなりのダメージを受け、業務の再開の目途も立たないようだ。
故に、本来、その東北の支店が担当していた山形向けの出荷が、こちらの支店に回され、最近、忙しくなっている。
だから、私、多少熱があるみたいなのですが、二日連続で残業もしまして、ちょっと無理したほうが、私の身体にはいいようです。
断わろうかなとも思ったのですが、どうも、私は、何にしても依頼されると断われない性格だ^^;
もし、女ならば、色んな男にやらせちゃうタイプかも知れん^^;
でも、私自身もエンジョイしちゃうかも知れ・・・(以下ry
◇
さて、知り合いからメールが来た。
その人は、ボランティアで宮城に行ったのだそうだ。
その「ボランティア」とは、特殊な物を扱うので、その方らの正体がバレちゃうので詳しく話せないが、いわゆる労働力提供のものではなく、物品の提供活動の範疇にある。
すぐに電話をした。
私は、ここに色々詳しく書きたくも我慢しているが、特に聞きたいこととして、
「行くのに苦労したか?」
が、あった。
現場に行くことには苦労はなかったようだ。
高速(東北道だろう)に、地震の被害による歪みが数ヶ所あったが、特に問題ないそうだ。
渋滞もなかったそうだ。
で、私が問うた「何日間行ったの?」の言葉に答えた一言が素晴らしかった。
「日帰りで行ったんだよ」
日本は広くて、でも、近い。
◇
さて、以下の、ネット上で拾った文章中の「施し」と、「ボランティア」とは、意味がかなり異なりますが、ここでは、その内容の似た点だけを読み取って下さい。
《曾野綾子さんの連載エッセイ「小説家の身勝手」(WiLL2011年4月号)より
ユダヤ律法を集大成したマイモニデスによると、施し方には八段階があるという。
以下、程度の悪いほうから並べる。
(8)いやいや施す人
(7)施すべき金額よりも少なく施す人
(6)乞われてからはじめて貧者に施す人
(5)貧者から乞われる前にちゃんと気づいてその貧者に施す人
(4)寄付を受ける人が寄付者の名前を知っているが、寄付者は与える人の名前を知らない場合
(3)寄付者が寄付を与える人の名前を知っていて、寄付を受ける人が寄付者の名前を知らない場合
(2)施す者と施される者との名前が知られない状態で施しがなされる場合
(1)まず金を与えて貧者を援助するよりも、ローンを貸与して彼を貸主の商売仲間に入れ、仕事を提供して自立できるようにしてやること
マイモニデスは、十二世紀にスペインのコルドバに生まれ、エジプトで宮廷付きの医師として働く一方で、
ユダヤ居留民の長として働いた人だというから、最高のやり方は、援助の金を与えるのではなく、資金を貸し付けて自立させるということであった。
出典はラビ・ピンハス・ペリーの著書「トーラーの知恵 現代を生きるためのユダヤ人の聖書観」とのことです。
(終わり)》
私は自己顕示欲がかなり強い人間だが、それ以上に、「ボランティア」なり「施し」をするにあたり、
「対象の喜ぶ姿を見たい」がある。
だから、上記の(2)の賢者にだけはなれない。
(1)の賢者にはなれる可能性はある。
だが、私は、自分が善行を施す相手を見たい。
例えば、相手が幼女だったとしたら、その子が喜ぶ姿を見て、自分も喜びたい。
そして、その姿を目に焼き付け、その後、何度も何度も心の中で反芻しニヤニヤしたいのだ!
◇
だから、私は、仮に「日帰り」と言う短時間であろうとも、対象との接触を考える。
「短時間(一瞬・刹那)で何が出来るんだよ!」と思う方には、以下の文章を送る。
これを読めば、私の考え方はこうなんだよと分かろう。
◇
[やりきれなさに、つかのまの努力を…(2004/04/06)]
▼昨日は、夜勤なので、夕方近くに家を出ると、秋川の土手際の桜並木は、まだまだ咲き誇っていた。
「何だよ^^ まだ咲いてるじゃん」と思いつつ、自転車を走らせる。
しばらく進むと、農地開拓の石碑があるのだが、その前に、老夫婦がおり、何やらお爺さんの方が、必死になって石碑の後ろに回り込んでいる。
私は、自転車で通り過ぎながら、その石碑の背後を覗き見る。
・・・と、可愛らしい男の子(二歳くらい)がニコニコしながら立っていた。
どうやら、老夫婦は、孫が一瞬の隙に、どっか行っちゃったので慌ててたのだろう。
桜の葉が散る、午後の情景だった。
▼その男の子の笑顔があまりにも良かったので、私もニコニコしながら、良い気分で桜咲く農道を進んでいたら、思い出してしまった。
感情とは複雑なもので、良い気分になると、それを±0にするような作用を施す。
朝の新聞に載っていた記事を思い出してしまった。
朝に不愉快、と言うか、絶望的な気分にさせられたのだが、夜勤ゆえに昼の間眠っていたので忘れていたのだ。
産経新聞の「性的虐待」の記事だった。
私は、児童虐待とか、そう言った記事が嫌いなので読まないことにしているのだが、つい、目にとまって読んでしまったのだ。
いや、ここで繰り返さないけど、嫌な話だった。
「嫌な」などと言うと、被害者に申し訳ないのだが、ダメだ。
▼私は大体、子どもが好きなので、このような話が本当に苦手だ。
私の家族もとても子ども好きだ。
いつも、「虐待」のTVニュースなどが流れると、家族で暗澹たる気持ちにさせられる。
▼(余談)私の家族は、姪のミカンちゃんをとても甘やかしているが、甘やかしすぎて、返ってミカンちゃんはしっかりした子になってしまった。
私が、あきんどさんの子どもを可愛がるのは、みかんちゃんを可愛がるのと同じである。
これが、フドーさんの長女さんとなると、別問題だ。
大学生の女の子に、あまりにも「可愛いですね、デヘへ」などと言い続けると、何か下心が見え見えじゃないすか^^;
その点、ミカンちゃんやツブラちゃんは子どもなので、可愛くて当たり前なのでよろしいですね^^
この「天才バカ板!」で、私の彼女など、女性の写真が現われないのは、そのような理由です。
のろけてると思われちまう。
▼で、話を戻しますが、虐待とかの話を聞くと、もう、それは個々の家庭と言う<隔離した世界>で行なわれているので、どうにも、私なぞが助けに出る幕がなく、自分の無力を思い知り、そう言った情報は耳を塞いで遮断するしかないのです。
世の中には、何で、そんな不幸な目にあう子どもがいるのだろう、と深く悩まされてしまう。
何で、俺は、曲がりなりにも<幸せ>なんだろう、と・・・。
昨夜の夜勤は、その記事を読んでしまったばかりに、ずーっと嫌な気分だった。
▼以前に、テレビに、とある若い女の子の画家が出演していて、こんな事を言っていた。
その女の子は、イジメやら自殺未遂などを経験して、絶望的な青春を送ってきて、でも、どうにか生き長らえた末に、画業に生き甲斐を見出したとのことだった・・・。
『辛い境遇にある子が、私の絵を見て、一瞬でも安らぎを感じてくれたら・・・』と・・・。
私は思ったものだ。
『一瞬の幸せだったら、根本的解決にならねえじゃんか・・・』
でも、何故か、その女の子絵描きの言葉は、ずっと心に残っていた。
▼カンボジアの奥地に行ったときのことだ・・・。
ビデオカメラを持って、傍若無人に、村人の生活を撮影していた。
カンボジアは真っ平らなので、雨季になると、川はすぐに増水する。
で、雨季が終るとしばらくは、辺りに水溜まりが点在している。
・・・小さな水溜まりを、ボロっちい網でかいているボロ服をまとった女の子がいた。
水溜まりにいるかも知れない魚を掬っているのか・・・。
私が近づいて微笑を向けても、愛想笑いするでもなく、ブスッとした顔で一瞥し、つまらなそうに網を操っていた。
その水溜まりを見ると、あまりにも小さな水溜まりで、水深も2センチ程しかあるまいと思え、魚などいないのは歴然だった。
が、女の子は、網を使い続けていた。
痩せぎすで、可愛さの欠片もない貧相な女の子だった。
この辺りは、生計の立てられない貧民層の住む場所だった。
私は、ポケットから、大粒の飴玉を出して、三個ばかしあげた。
でも笑顔は見られない。
飴の包みを取り、コリコリと舐めていた。
それを見ていた弟が遠くからやってきた。
姉は、自分が貰ったものを弟に分けていた。
私は、慌てて、弟にも渡す。
・・・でも、笑顔は見られなかった。
私は、間が持たず、ビデオカメラでぐるりを撮影し、その場を去った。
・・・青い空に白い雲が白々しかった。
あまりにも、ジャングルの奥地に行くと、暗色になれた子ども達は、旅行者の明色の服装を見ると、やたらに興奮してつきまとったりするものだが、この女の子は違った。
何か荒んで見えた。
確かに、田舎にはリアクションに乏しい子どももいるのだが、この女の子は、何か色んなことに疲れているように見えた。
・・・私は無力だった。
▼撮影したビデオは、日本に帰ってから早回しで見て、重要なトコだけ、丁寧に見た。
くだんの女の子の箇所は早送りして見なかった。
だけど、カンボジアの少女の寂しげな顔は、私の脳裏にずっと焼き付いていて、常に私の行動の「限界」を知らしめてきた。
≪世の中には、お前(私)なんかがどうにも出来ないことが無数にあるんだ≫
▼・・・・・、・・・・・最近、そのビデオを見直した。
私は、とある場面を見て、狂喜乱舞した^^
何と! テレビ画面に映し出された例の女の子は、笑っていたのである!
私と対面していた時はムスッとしてたが、私が、女の子からの愛想を諦めて、手持ち無沙汰のうちにカメラを撮っていたら、その時、やっと心がほぐれたのだろう、大粒の飴で片頬を膨らまし、画面の隅で、弟と笑いあっていたのだ。
「うひゃひゃ^^ 笑っているじゃねえか! 笑っているじゃねえか! 笑っているじゃねえか!」
私は、自室で大笑いした^^
その時、女の子絵描きの言葉が心に蘇った。
『辛い境遇にある子が、私の絵を見て、一瞬でも安らぎを感じてくれたら・・・』
「その通りだよ。あなた(女の子絵描き)の言うとおりだよ。絶望の境遇にいる子どもを、根本的に改善させようなんて、今の俺には無理だ。でも、一瞬の楽しさだったら、与えられる^^」
私は、一つ、学んだ・・・。
▼ただ、これだけは言っておく。
私は、子どもには優しく、とことん可愛がるが、その範囲は、高校生までだぞ!
それ以上の女の子は、違った意味で可愛がるのじゃ〜っ!
ウヒャヒャヒャヒャ(エロス^^)
(2004/04/06の再掲)
◇
片山善博総務相がテレビ番組で、日本赤十字に届いた義援金を「政府が差配する」とのたまったとのこと。
このことについては、明日にでも書きたいが、「勘弁してよぉ!」と思った。
横山弁護士のように「もう、やめてぇ〜!」と叫びたくなりました。
また、新聞を読んでいると、母親と内縁の夫に、ポリ袋に入れられ酸素欠乏症で死んだ3才児の記事や、十ヶ月の赤ちゃんに殴る蹴るの暴行をした男の記事が載っていたりして、ホント、気が滅入る。
赤ちゃんや幼児を死なせた人間には極刑を与えて欲しい。
◇
そんな中で、ちょいと、判断に苦しむニュース。
《自民党の野中元幹事長が離党(2011/04/05)》
自民党内の「民主党的なる顔・存在」である野中が出て行くことは嬉しいが、
その理由が、全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長としてまい進したいからとのこと。
民主党の「仕分け」の中で、土地改良事業費は大幅削減が決定しているが、野中は、仙石ら民主党と連携を深め、それを覆そうと暗躍しているらしい。
この、日本の国土が混乱を来たしている中、全国土地改良事業団体連合会の長は利権を求め動き始めている。
ああ、日本赤十字の義援金が、野中の愛人のマンション代に消えませんように・・・。
(2011/04/05)