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Channel: 『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭
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[日本復活最前線・3(日本教育再生機構:「道徳」主題のトークセッションin高崎)]

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☆「保守」派とは何か、その要素の一つについて書いておきたい。

 先ず、こちらの再掲(クリック!)を読んで下さい。

 ≪・・・(私がくどいていた)娘 「あと、変に仕事が出来ると思って口を出し続ける新米店長も困ったよぉ。張り切って、いかにも『この停滞した職場を改革するぞ』みたいな」

 私 「ああ、確かに不必要な動きをはじめる、異動してきたばっかの上司ってのもいるね」

 娘 「うん、余計、職場が混乱しちゃうの」

 私 「なんちゅうかな。例えば、ピザ屋だったら、トッピングの具材を置くキッチンでのレイアウトなんかがある訳だろ? それは、長い間に、その場所が一番使い勝手がいいからと、その場所になったんだろうけど、余計なことする店長は、そこに何か一つの短所を見つけて改悪に走り、それまでの機能的なレイアウトを全く変更しちゃったりするんだよね〜」

 娘 「そうそう、左手には近くなるけど、利き腕の右手には遠くなっちゃったり!」

 私 「そうそう!! 君、何で俺の言うことをそんなに理解してくれちゃうの?」

 娘 「・・・二歩進んでも、五歩下がっちゃうの^^」 ・・・≫

 ・・・「保守」派とは、上記の文中の「二歩進んでも、五歩下がっちゃう」ようなことを仕出かすヤカラ、・・・社会の混乱を助長するような集団・システムを許さない思想を持つ者たちである。

 それは、合理的におかしい時もあるし、文化・伝統・論理的に考えておかしい時もある。

 習俗的に、宗教的におかしい時もある。

 情緒的に、精神的におかしい時もある。

 科学・物理的におかしい時もある。

 おかしい時は認めないのが「保守」派である。

 民主党政権と言うのは、あらゆる意味で「おかしい政権」であった。

 3年が経ち、その認識は国民の一人一人に浸透しただろう。

 だけど、民主党が「党」として誕生した頃から、「保守」派のほとんどが、今日の結果を分かっていたんだぜ。

 だが、当時、分かりやすく目に見えた自民党の欠点を目の当たりにした国民のほとんどの思慮のないヒステリーには抗しきれず、狂気の政権を誕生させてしまった・・・。

 この「高速度情報化社会」の中で、この3年間の「五歩下がっちゃう」状態は、国家の天文学的な損失と言える。

「二進五退、結構じゃないか、変わること(政権交代)自体が良かった!」と言う、

 思考停止したバカが多いが、

 私は「よくね〜よ! だったら、その理由を言ってみろよ!」と言いたいものだ。

 仮に、民主党政権を構成する(した)あらゆる因子と、自民党政権の因子を、それぞれ加点法で厳密に加算していったら、民主党においてはあまりにものマイナスポイントがあるので、

 民主党のポイントは限りなく「ゼロ」もしくは「マイナス」になり、

 自民党と100倍くらいの功績の違いが現われると思う(ここでは記さないが、民主党政権には、少しだけ特筆すべき功績もあった^^)。

 民主党結党の頃から民主党劣悪政権誕生の時期までは、

 あまりにもの、「悪質」と言うか「愚か度」の高い者が、国家の上層にいるのがベーシックとなってしまい、

 それに反旗を翻す発言をする者こそが「愚か」とされる異常な「常識」が蔓延ってしまった。

 少なくとも、それまでの政権担当の政治家には、例え私欲を肥やそうが、対外的に利益をもたらす「思慮」があった。

 かつての歴代の政治家たちよりも、昨今の自民党政治家は、政治活動における「徳」のパーセンテージは遥かに低くなっただろうが、

 民主党政権のように「ゼロ」もしくは「マイナス」ではなかった・・・。

   ◇

 ・・・では、<日本教育再生機構:トークセッションin高崎>の続きです!

   ◇

   ≪今、子供たちに伝える道徳とは
        〜『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る〜 ≫

 貝塚茂樹先生の語りの継続。

 ・明治4年に学制が検討され、教科の概念も生まれる(明治五年公布)。
  日本には欧米のような宗教的な基底が希薄なので、
  (蘭による注:日本人の価値観・常識として宗教的道徳があったと思いますが)
  教育でベーシックな共通概念を構築しようとした。

 ・教育勅語(明治23年)が、当時の学者たちの激しい検討の末に出来上がる。
  修身・道徳教育の根本規範である。
  12の徳目(孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・
           修業習学・知能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇)

   (蘭による注:私の書いた教育勅語絡みのエントリーは「こちら」をクリック!)

 ・明治36年には、国定教科書が制度となる。
  修身科の教科書もあり、
  それは、言われるような丸暗記で無理矢理に教え込むものではなく、
  教育者が真摯につくりあげた、学生の身につくものであった。

 ・戦後、修身は教科の一つとしてはなくなった(軍国主義の第一要因とされた)。

 (蘭による注:それは日本神道が、先の戦争の原因として貶められたのと同義である。以下の書籍に詳しい)
「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。新田 均PHP研究所

 ・しかし、昭和33年、「道徳」科として復活する。
  この時の日教組の反発たるや、現在の中国の反日デモの如く過激であった。
  その頃の日教組の組織率は(全教師中)86%、50万人であった(今でも30%超)。
  その教員たちが、(戦争を起こした官)による「官製教育」の反対!
          (戦争を起こした)「修身科復活」反対!のデモ・ボイコットまでした。
          (蘭による注:もちろん、↑この認識は間違っている・・・)

 (蘭による注:おぞましき組織「日教組」に関しては、臨場感とともにこちらの書籍に詳しい)
いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり松浦 光修PHP研究所

 ・さて、現在、道徳の授業はおこなわれているか?
  文科省は、他の教科にはない、「道徳」に関しての調査を5年に一度実施している。
     中学では70%(蘭による注:この数値、ちょっとうろ覚え^^;)
     小学校では62%
  (蘭による注:私は、NHK教育のドラマを見せられた記憶が鮮明だが、
         時に小冊子を使って説教風の話を聞いた記憶がある。30年前)
  つまり、小学校でも中学校でも、30%以上の生徒が道徳を習っていないのだ。

  (蘭による注:このパーセンテージって、現在の日教組の組織率と符合するじゃん!)

 ・教職をとっている学生には、道徳についてのテストを白紙で出す者も少なからずいる。
  「習ってない」がその理由だ。

 ・教育の現場では、修身科にアレルギーを起こす教師も多い。
  戦争に至る道を作ったのが教育勅語という認識の「教育勅語恐怖症」がある。
  左翼には、日教組には、前提としての「戦前の全否定」がある。

 ・だが、その「否定」は、
  社会で正しいとされる、他者との関係を結ぶ、先祖からの連綿とつないだ結晶である「道徳」、
  それを貶めることであり、
  それを子供に教えないことは、
  子供に、正しいと思われる基礎が形成されないことを意味する。

 ・何が正しいのか?
  何が、日本社会では正しいとされるのか?
  ・・・正義、勇気、親孝行、親切・・・。
  子供たちは、そんな言葉には感動しない。
  それを、社会で具現化した人物の生き様にこそ感動するのだ。
  『13歳からの道徳教科書』では、そこに重点が置かれている。

13歳からの道徳教科書クリエーター情報なし扶桑社

 ・現在の道徳授業は、ある問題を出し、生徒達にそれぞれの答えを出させている。
  だが、そこまでで、教師は、その問題の答えを出すことをしない。
  社会で正しいとされる価値が、授業では示されないのだ。
  だから、「冷静沈着な詐欺師」や「用意周到な泥棒」にまで価値が見出されるような大人が育つ・・・。

   ◇

 >>>「冷静沈着な詐欺師」や「用意周到な泥棒」

 私は、この、左翼教師による「被害者ないがしろの加害者擁護」のような言説には非常に辟易していて、かつて、かような、とある人物の糾弾に際し、とある人物の考え方をひも解く文章を書いた。

    A=ノイジーな左翼
    I君=みんなに迷惑を掛けて、私がクビにした作業者
    S子=仕事に真面目な、仕事にまい進したい女の子

 ≪・・・(2008/01/14)・・・
  ・・・とにかく、内実の伴わない二重三重の虚言を吐くのが好きなAである・・・。
  例えば、こんな話はどうか?
  仮に、I君が、連続レイプ犯だったとする^^;
  そして、捕まったとする。
  当然に、重い刑が課せられるだろう。
  それに対して、Aのメンタリティはこう言うのである。
 『いや、I君は偉い! 人間が一つの道に邁進することはいいことなんだよ』
  ・・・^^;
  仮に、S子さんが、そんな無茶苦茶な意見に疑問を呈したとする。
 『でも、犯罪だから・・・』
  Aは言い募るのである。
 『そうだよぉ〜、確かに犯罪だよぉ〜。
  (他人の言うことを、あたかも知っていたかのように肯定し、
              自分の虚言を上乗せするのがAの口癖である)
  でも、人間が一つのことに集中することはいいことでしょ? ねっ? ねっ? ねっ?』
  S子さんは、
 「そりゃ、まあ、人間が一つのことに集中することはいいことだけど・・・」
  と、勢いに押され渋々答える。
 『でしょ? ねっ? ねっ? ねっ?』

                 ・・・ご臨終である・・・。 ・・・≫

   ◇

 今回も、スケールの大きい話にはこぎつけませんでした^^;

 次回に続く!!!

                                              (2012/09/21)

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