☆昨日、終戦記念日だったわけだが、TBSで、この映画のテレビ放送がされ、その影響で、この映画について語った、このブログのアクセス数がとても上がったので、そのエントリーを再掲しておく。
一つ語っておくと、この創作作品的な悲劇は、日本においても、少なからずあっただろう。
だが、このようなサヨク作品を作ろうとする人々の思惟が守りたいと願う帰結の国々(特定アジア:中国・韓国・北朝鮮)では、軍事大国として、かような悲劇が、その民族性を含めて、今もって、その辺にごろごろと見られる「常態」なのである。
例えば、原発反対運動をしている方々の目的は、日本国の完全核廃絶と直結している。
しかし、日本が核武装の可能性さえも捨ててしまえば、中国や半島が、軍事国家として更に幅を利かせ、日本や東南アジア各国を圧迫するだろう。
日本が原発を捨てたとて、中国はドンドン新規原子力発電所を作り続けるだろう。
しかも、日本以下の安全基準で・・・(新幹線の事件で分かったでしょ?)。
子供を守りたいと言いつつ、自国の安全発展の可能性を排除し、杜撰な隣国の原発には満面の笑みを向ける。
中国の原発など、いつ、「核爆発」するかわからない。
「漏れ」とは違い、「核爆発」では、「日本の子供」など一瞬で蒸発してしまうぞ。
だから、山本太郎のように、海外移住するのが賢明だ。
そうだな、原発のないオーストラリアはどうだろう?
でもね、オーストラリアには、世界のウランの4割の埋蔵量があり、世界中に核や原発の原料として供給し、莫大な利益をあげ続けているんだわ。
それから、またぞろ、韓国のバカ大統領が「従軍慰安婦」冤罪を日本にぶつけてきてるが、いわゆる「従軍慰安婦」は、ただの「風俗嬢」に過ぎない。
当時の価値では破格の給金を、彼女達は手に入れて、貧しい家族をウハウハさせていたんだ。
もちろん、現地の朝鮮人の女衒が、借金の方に、どこぞの娘を引っ立てて娼婦として売ったなんて悲劇もあるだろうが、それは、そちらの「内政問題」だ。
自分個人の金銭感覚や朝鮮社会の問題、家族問題を、他者(日本軍)にぶつけられて、恨みの捌け口にされても、こちとら何も出来ないぞ・・・。
そもそも、戦後の長い間、「日本の殿方いらっしゃい♪」との煽り文句で、観光収入目的で、自国の婦女子をホステスとして売っていたのはどこの国だ!?
・・・話し戻って、正直、この映画作品の出来は悪くない。
その思想性の希薄さに、転載文中で感心もしている。
だが、この作品の本来の製作意図には、何かの悲劇を殊更にあげつらい、創作の中で、何かを糾弾するという思惑があったことを、皆さん、いちお、知っておいたほうがよろしかろう。
◇ ◇ ◇ ◇
[映画『私は貝になりたい』を観た](2008-12-09)
≪☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。
その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。
私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。
主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;
美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。
今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。
まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。
この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』に対しても、同様の思いを抱くのだろう。
世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。
◇ ◇
私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。
つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。
だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。
この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。
だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。
『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。
また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。
この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。
この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。
◇ ◇
ただ、なあ・・・。
この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。
いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。
死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。
そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。
せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。
この物語は「創作」なのである。
原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。
生きている人間が書いた遺書なのである。
死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。
◇ ◇
PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。
いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。
(2008/12/09)≫
◇ ◇ ◇ ◇
以上!
しかし、ここ数日の、中国(運動家の尖閣上陸)や韓国(国際外交においての礼を失した大統領発言)からの波状攻撃は凄まじい・・・。
(2012/08/16)
一つ語っておくと、この創作作品的な悲劇は、日本においても、少なからずあっただろう。
だが、このようなサヨク作品を作ろうとする人々の思惟が守りたいと願う帰結の国々(特定アジア:中国・韓国・北朝鮮)では、軍事大国として、かような悲劇が、その民族性を含めて、今もって、その辺にごろごろと見られる「常態」なのである。
例えば、原発反対運動をしている方々の目的は、日本国の完全核廃絶と直結している。
しかし、日本が核武装の可能性さえも捨ててしまえば、中国や半島が、軍事国家として更に幅を利かせ、日本や東南アジア各国を圧迫するだろう。
日本が原発を捨てたとて、中国はドンドン新規原子力発電所を作り続けるだろう。
しかも、日本以下の安全基準で・・・(新幹線の事件で分かったでしょ?)。
子供を守りたいと言いつつ、自国の安全発展の可能性を排除し、杜撰な隣国の原発には満面の笑みを向ける。
中国の原発など、いつ、「核爆発」するかわからない。
「漏れ」とは違い、「核爆発」では、「日本の子供」など一瞬で蒸発してしまうぞ。
だから、山本太郎のように、海外移住するのが賢明だ。
そうだな、原発のないオーストラリアはどうだろう?
でもね、オーストラリアには、世界のウランの4割の埋蔵量があり、世界中に核や原発の原料として供給し、莫大な利益をあげ続けているんだわ。
それから、またぞろ、韓国のバカ大統領が「従軍慰安婦」冤罪を日本にぶつけてきてるが、いわゆる「従軍慰安婦」は、ただの「風俗嬢」に過ぎない。
当時の価値では破格の給金を、彼女達は手に入れて、貧しい家族をウハウハさせていたんだ。
もちろん、現地の朝鮮人の女衒が、借金の方に、どこぞの娘を引っ立てて娼婦として売ったなんて悲劇もあるだろうが、それは、そちらの「内政問題」だ。
自分個人の金銭感覚や朝鮮社会の問題、家族問題を、他者(日本軍)にぶつけられて、恨みの捌け口にされても、こちとら何も出来ないぞ・・・。
そもそも、戦後の長い間、「日本の殿方いらっしゃい♪」との煽り文句で、観光収入目的で、自国の婦女子をホステスとして売っていたのはどこの国だ!?
・・・話し戻って、正直、この映画作品の出来は悪くない。
その思想性の希薄さに、転載文中で感心もしている。
だが、この作品の本来の製作意図には、何かの悲劇を殊更にあげつらい、創作の中で、何かを糾弾するという思惑があったことを、皆さん、いちお、知っておいたほうがよろしかろう。
◇ ◇ ◇ ◇
[映画『私は貝になりたい』を観た](2008-12-09)
≪☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。
その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。
私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。
主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;
美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。
今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。
まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。
この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』に対しても、同様の思いを抱くのだろう。
世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。
◇ ◇
私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。
つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。
だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。
この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。
だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。
『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。
また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。
この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。
この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。
◇ ◇
ただ、なあ・・・。
この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。
いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。
死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。
そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。
せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。
この物語は「創作」なのである。
原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。
生きている人間が書いた遺書なのである。
死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。
◇ ◇
PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。
いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。
(2008/12/09)≫
◇ ◇ ◇ ◇
以上!
しかし、ここ数日の、中国(運動家の尖閣上陸)や韓国(国際外交においての礼を失した大統領発言)からの波状攻撃は凄まじい・・・。
(2012/08/16)