☆現在、地方で勤務しているMUTIさんは、月に一度くらい上京し、美術館巡りをしている。
前日に、この週末に来京していることを知り、午後には用があったのだが、朝早くから上野で落ち合うことにした。
MUTIさんの予定を聞くと、午前中は東京都美術館の「マウリッツハウス美術館展」に行くとのことで、私も同行した。
「マウリッツハウス」なんて聞いたことないなぁ、などと思っていたのだが、その美術展の目玉は「真珠の耳飾りの少女(フェルメール)」とのことで、
「うは!^^ ひょんなことから、時代のマスターピースを見ることが出来るな」と興奮した。
時を同じくして、近くの国立西洋美術館では「真珠の首飾りの少女(フェルメール)」が公開されているそうだ。
MUTIさんと美術品を見ると、MUTIさんが興味深く解説してくれるので、楽しいのだ。
いつの間にやら、他の客も、微妙にMUTIさんの意見に耳を傾けているのも分かる^^
今回も、最初に「マウリッツハウス美術館展」開催の挨拶のパネルに、「その下の英語を見てみて」と言うので見ると、「ROYAL」の文字があり、「つまり、正確には、マウリッツハウス王立美術館なんだよ。王立の文字を外すことに意味がある時もない時もある・・・」と、いきなりジャブを飛ばしてくれた。
この美術館の規模は大きくないが、そのオランダ古典様式建築と、オランダ絵画の中核を為す作品の収集と、寡作のフェルメールの有名な3作品を所蔵していることで、世界にも名だたるミュージアムなのだそうだ。
「描かれた時代を見てみてね。17世紀だよ。日本では江戸時代、出島での交流が起こっている・・・」
MUTIさんは、世界的な視野での鑑賞も教えてくれる。
「この作者(ライスダール)は、雲の描き方がなかなか秀逸で、彼方に鳥が飛んでいるでしょ? それによって、遠近のスケールの対比が見事に表現されている」
「この時代の<森>は、今で言われる<エコロジー>などとは無縁で、『赤ずきんちゃん』などに代表されるように、恐怖の象徴でもあったんだね(『農家のある森』を見つつ)」
う〜ん、映画『メリダとおそろしの森』は、タイトルでそう付けているのに、それが描かれていないのが失敗だったな・・・。
・・・私は基本的に、絵画の世界に感受性をあまりもてないと思っていた。
しかし、面白いのだ。
それは、月並みだが、「作者の感受性の絵画への映し込みを、他者へ共感させるパワー」に感動するらしい。
どうやら、私、この歳になって、やっとこさ、映画や小説や、美少女や歌の数々、最近では落語などを見まくって、他のジャンルの芸術にも、その「努力」と「才能」が見出せるようになったらしい。
ルーベンスの、傑出した才能に寄りかかった画風(私の適当な見立て^^;)。
レンブラントの、闇があるからこその光の神聖なる描写。
フェルメールの刹那の切り取り。
で、これらとは別に、下世話な見方だが、写真技術のない時代の、その精密な描写力にも感動した。
権力者の夫人の肖像画の、その刺繍の描き込みの数々などには唸らせられた。
MUTIさんなどは、
「夫人の、夫に対する期待と不安が、その表情にちゃんと描かれていて凄いね」
と感服していた。
「肖像画とトローニー」のコーナーには、お目当ての「真珠の耳飾りの少女」があったのだが、行列なので、立ち止まれず、前をゆっくりと歩かねばならず、吟味する間がなかった^^;
最近、武井咲が「真珠の耳飾りの少女」に扮しているのが話題になったけど、骨格が似てるよね^^
MUTIさんは、レンブラントの老境の肖像画に感動していた。
「表情や髪のぼやかし方が、実に、その年齢や心象を表わしていると思う」
私は、「静物画」コーナーに、やたらと興味が起こった。
数々のアイテムに時代を感じさせられたこともあるが、グラスや銀器に歪んで映りこんだ描き手や背景・・・、
そして、幾つかのアイテムに、作品テーマの暗示を示す手法が、斬新と思われた近代の描き手・ダリなどに遥か先んじていたことに驚いたのだ。
ゆっくりと眺めつつも、一時間半程で鑑賞できて、私は満足し、
「また、東京に来たら連絡して下さい!」と、MUTIさんと笑顔で別れるのだった。
(2012/08/05)
前日に、この週末に来京していることを知り、午後には用があったのだが、朝早くから上野で落ち合うことにした。
MUTIさんの予定を聞くと、午前中は東京都美術館の「マウリッツハウス美術館展」に行くとのことで、私も同行した。
「マウリッツハウス」なんて聞いたことないなぁ、などと思っていたのだが、その美術展の目玉は「真珠の耳飾りの少女(フェルメール)」とのことで、
「うは!^^ ひょんなことから、時代のマスターピースを見ることが出来るな」と興奮した。
時を同じくして、近くの国立西洋美術館では「真珠の首飾りの少女(フェルメール)」が公開されているそうだ。
MUTIさんと美術品を見ると、MUTIさんが興味深く解説してくれるので、楽しいのだ。
いつの間にやら、他の客も、微妙にMUTIさんの意見に耳を傾けているのも分かる^^
今回も、最初に「マウリッツハウス美術館展」開催の挨拶のパネルに、「その下の英語を見てみて」と言うので見ると、「ROYAL」の文字があり、「つまり、正確には、マウリッツハウス王立美術館なんだよ。王立の文字を外すことに意味がある時もない時もある・・・」と、いきなりジャブを飛ばしてくれた。
この美術館の規模は大きくないが、そのオランダ古典様式建築と、オランダ絵画の中核を為す作品の収集と、寡作のフェルメールの有名な3作品を所蔵していることで、世界にも名だたるミュージアムなのだそうだ。
「描かれた時代を見てみてね。17世紀だよ。日本では江戸時代、出島での交流が起こっている・・・」
MUTIさんは、世界的な視野での鑑賞も教えてくれる。
「この作者(ライスダール)は、雲の描き方がなかなか秀逸で、彼方に鳥が飛んでいるでしょ? それによって、遠近のスケールの対比が見事に表現されている」
「この時代の<森>は、今で言われる<エコロジー>などとは無縁で、『赤ずきんちゃん』などに代表されるように、恐怖の象徴でもあったんだね(『農家のある森』を見つつ)」
う〜ん、映画『メリダとおそろしの森』は、タイトルでそう付けているのに、それが描かれていないのが失敗だったな・・・。
・・・私は基本的に、絵画の世界に感受性をあまりもてないと思っていた。
しかし、面白いのだ。
それは、月並みだが、「作者の感受性の絵画への映し込みを、他者へ共感させるパワー」に感動するらしい。
どうやら、私、この歳になって、やっとこさ、映画や小説や、美少女や歌の数々、最近では落語などを見まくって、他のジャンルの芸術にも、その「努力」と「才能」が見出せるようになったらしい。
ルーベンスの、傑出した才能に寄りかかった画風(私の適当な見立て^^;)。
レンブラントの、闇があるからこその光の神聖なる描写。
フェルメールの刹那の切り取り。
で、これらとは別に、下世話な見方だが、写真技術のない時代の、その精密な描写力にも感動した。
権力者の夫人の肖像画の、その刺繍の描き込みの数々などには唸らせられた。
MUTIさんなどは、
「夫人の、夫に対する期待と不安が、その表情にちゃんと描かれていて凄いね」
と感服していた。
「肖像画とトローニー」のコーナーには、お目当ての「真珠の耳飾りの少女」があったのだが、行列なので、立ち止まれず、前をゆっくりと歩かねばならず、吟味する間がなかった^^;
最近、武井咲が「真珠の耳飾りの少女」に扮しているのが話題になったけど、骨格が似てるよね^^
MUTIさんは、レンブラントの老境の肖像画に感動していた。
「表情や髪のぼやかし方が、実に、その年齢や心象を表わしていると思う」
私は、「静物画」コーナーに、やたらと興味が起こった。
数々のアイテムに時代を感じさせられたこともあるが、グラスや銀器に歪んで映りこんだ描き手や背景・・・、
そして、幾つかのアイテムに、作品テーマの暗示を示す手法が、斬新と思われた近代の描き手・ダリなどに遥か先んじていたことに驚いたのだ。
ゆっくりと眺めつつも、一時間半程で鑑賞できて、私は満足し、
「また、東京に来たら連絡して下さい!」と、MUTIさんと笑顔で別れるのだった。
(2012/08/05)