☆私ほど、この就職難の時代に、簡単に社員になって、簡単に辞めてしまう男もいないだろう。
これは、保守派としては「許されざること」なのだが、まあ、【私だから】、許されるだろう。
小説『新宿鮫』で、「仕事に大きな理想を抱く者ほど、転職を繰り返す」と言うセリフがあったと思うし。
以下は、2009年の初めに所属していた会社の、社員になるにあたっての試験の時を記した文章だ。
面白いので、再掲する^^
◇ ◇ ◇
・・・2009/01/27のエントリー
私は、二ヶ月前に新しい会社で働きだして研修生の立場であった。
で、先日、社員昇格のための試験があった。
各部署から、社員候補の三人が本社に集まり、午前は一般常識テスト・小論文、午後は面接というスケジュールをこなした。
面接の最後には、研修生のうちに「覚えておけ」と言われていた、<リーダー十一ヶ条>の宣言をさせられる。
ここで記すことはないが、<リーダー十一ヶ条>はかなりの文章量である。
私は、入社当時から、ちょっとづつ覚えていた。
いつも、通勤中の車の中で覚えていたので、前の車に衝突しそうになること数回! ^^;
意味が通っても、語尾や表現が少しでも違ったら、ダメなのである。
「丸暗記するだけじゃ意味ないじゃん」と思われるかもしれないが、私はそうは思わない。
かように長い文章を「丸暗記する」、ただそれだけで、凄まじい努力が必要である。
会社は、そこを見るのである。
◇
社員候補の三人のうち一人は、もちろん私だが、もう一人のA君は、私と同じ職場の男である。
残った一人のB君は、隣りの部署である。
・・・ここでは、A君について語る。
こいつは気持ち悪い男であった。
変に気張って入社してきて、最初は、私が挨拶しても挨拶を返しもしない。
私は、とにかく、最初は現場に無知なのであるから、社員/バイト構わず、年上/年下構わずに「先輩」として敬意を表す対応で、いわゆる「下流」の仕事を率先してやり続けた。
すると、このA君は、「やるなとは言わないが、俺たちは社員になるのだから、相応の態度をしたほうがいい」などと言う。
いや、言葉単体では、その文法に間違いはない。
そういった言葉が合う特殊なTPOもあるだろう。
しかし、ここでは違う。
そんな言葉は、相応の体験を経てから言えることだ。
いや、相応の経験があったとて、個々の具体的な状況を体得する「時間」が必要なのである。
A君が、これまでの人生をどう送っていたかは、私は知らない。
だが、余程、状況への選択肢が狭い経験しか送ってこなかったのだろうことは理解した。
私には、A君の、進むべき運命が如実に分かった。
◇
新入社の私とA君は、ペアで仕事を組まされることが多かった。
・・・とにかく、A君は、「上流」の仕事をやりたがった。
だから、面倒な、基礎的な作業を私に押しつけることが多かった。
私は、とにかく、A君の行き着く先が見えていたので、不満を言うのも面倒で、何も言わず、黙々と基礎的な仕事をくり返した。
上司が見かねて、「一日交代」を提言した。
が、そういった決まりごとは、すぐにA君によって破られた。
私は、辛い基礎的な仕事を続けた。
しかし、作業メンバーは、そんな状態をちゃんと見ている。
しかも、A君は、基礎的な仕事の局面を前にすると、腕を組んで、バイトの仕事を眺めるだけになってしまうのだ。
そもそも、基礎的な仕事をマスターしていないので、何をしていいか分からないのだ。
全くの素人が、あたかも、管理者の如く、自分(バイト)らの仕事振りを眺めて突っ立っているのだ。
・・・A君は、次第に作業者の中で孤立していった。
私や作業者が話していて、そこにA君が合流してくると、露骨にその場を去る奴もいた。
私も、A君と話すのは嫌だった。
世間話が出来ず、仕事で得た話を偉そうに話すことしか出来ないのだ。。
・・・コミュニケーションの不全、であった。
しかし、面白いのが、本人は、その深刻な状況にあまり気づいていないようなのだ。
年末の繁忙期を過ぎると、私は、いつの間にやら、自分に実力がついてきたことが実感できた。
スピードも無理せずに早い^^
基礎的な仕事をみっちりとこなし、それを土台としてステップアップしてきたので、次に行なう仕事が、他の人の指示を仰がなくても明確に行なえるようになったのだ。
まだまだリーダーには及ばないが、自立的な動きを出来るようになってきた。
そして、バイトが気軽に仕事を頼むようになってきた。
バイトが作業しやすい態勢にするのが「上流」作業者である。
そのうち面倒になるのだろうが、私の今の段階では、仕事を頼まれるのは嬉しいことだ^^V
しかし、バイトのほとんどが、A君には頼まない。
頼みたくないのだそうだ。
・・・A君の孤立は深まる。
◇
そんな背景での、社員昇格試験であった。
結論から言うと、各種試験を無難にこなし、<十一ヶ条>も、お経のようにスラスラと完璧にこなしたB君、合格!
各種試験を無難にこなし、<十一ヶ条>は、一言一句間違えることはなかったがかなりゆっくりだった私も、かろうじて、合格!
・・・だが、A君は、不合格!
A君は、社員昇格の見通しが立たなかった。
<十一ヶ条>をちゃんと覚えなかったこともあるが、何と、小論文も不合格であった。
小論文と言っても、実際は作文レベルであったのだが・・・。
次回、その状況について記す・・・^^;
(2009/01/27)
◇ ◇ ◇
・・・2009/02/28のエントリー
◇
(前置き)・・・私の大学受験期の話だ。
私は、現国の教師の間では「文章のうまい奴」として名を馳せていた。
とある女教師には、森鴎外の『舞姫』や、夏目漱石の『こころ』の感想文を、「これ、先生が貰っておくわね」などと言われ、とても嬉しかった。
何度も語っている自慢だが、その後、大学に入ったとき、私は、とある大学教授に「君には、(文章の)天与の才がある」と言われ、有頂天だった時期もある。
・・・だが、今は、レンタル店で中古エロビデオを買い漁るオナニストである^^;
まあ、それはさておき。
大学受験期、高校から推薦の資格をもらえた私は、推薦入試で行われる小論文の模擬試験を、現国の教師に添削してもらっていた。
先に語ったとおり、私は、文章がうまいとされて有名だったので調子にのっていた。
だから、模擬小論文でどんな問題が出ようと、ちょちょいのちょいで出来る自信があった。
「大学では、どのような4年間を生きようと考えているか」というお題が出たとする。
調子に乗っていた私は、このような文章を書き始めた記憶がある。
《大学とは「大きな学」と書く、つまり、この世を包括するような大きなもののために学んでいくシステムを意味しよう。その大学での4年間は、故に、何らかの「大きなもの」を成すための準備期間とも言える、が、ここでは「生きようと考えているか」と大きく問われている。大学でどのように「生きる」かを考えると、「生きる」ということの本義を考えなくちゃならない。真に「生きる」とは、私が考えるに、他の者・・・、つまり社会に、自分の正しいと思うことを訴え、働きかけていくことだと思う。そのためには・・・、・・・、・・・》
このような文章を、私は、大体1000字ほど書き連ねたと思う。
そしたら、添削してくれた現国の先生に一言書かれた。
「これは、文学部を受験する者の文章ではない」
・・・私は、大きなショックを受けた。
ショックを受けて、何が悪かったかを考えた。
簡単なことだった。
こんな、何ら、経験の裏打ちをする努力のない、短い設題の一文を解析するかのような、具体性のない、お気楽な言葉のこねくり回しは「文学」とは言えないのだった。
私は、「文章がうまい」と褒められて、なにが「うまい」とされたのかを考えず、私が書けばなんでもうまいのだと考え、熟慮することなく小手先の文章で誤魔化せると思ってしまっていたのだ。
その後も、そして今も、私は、かような失敗を繰り返すことになるが、上記の教師の指摘は、時折、私の心によみがえり、私を戒め、私の文筆活動の方向修正をしてくれる。
◇
さて、A君だ・・・。
この人は、3人で受けた<社員昇格試験>で、唯一、落選している。
第一の問題として、絶対条件として完全暗記を義務付けられていた<リーダー十一ヶ条>がしどろもどろの出来だったということがある。
けして勉強を出来ないだろう人物ではなかった。
会社を舐めていたのと、研修時代の仕事振りと同じく、「この程度の暗記でよいだろう」と、自分勝手な境界線を設けていたのだ。
そして、驚くべきことに、作文レベルでしかない小論文でも不可の結果が出されていた。
それは前代未聞のことだった。
そもそも、この<社員昇格試験>は、けして落ちるような内容ではなかった。
どのような人物かは、研修期間で会社は理解出来ていて、要は、形式的とも言えるものでしかなく、その中で、<リーダー十一ヶ条>の丸暗記こそだけが、この<社員昇格試験>の肝だった。
他の会社では、長い社訓の暗記がそれであったり、般若心経の諳んじであったりもしよう。
そこでは、会社内でどのような力を発揮できるかの「努力」が試される。
基礎知識のペーパーテストも、面接も、そして、小論文も、バカでなければ容易にクリアーできるレベルのものだ。
数行しか書いてない内容ならば、不可にもなろうが、ある一定の字数を、テーマに沿って、非常識な文法間違いがなく、まじめな気持ちを記せば、けして落ちようはずはなかった。
だが、A君は、その小論文を、「抽象的で意味が分からない」と面接した役員に言われ、不可となった。
私は、とても、その内容が気になった。
上司に、「A君はどんな文章を書いたのか知ってますか?」と問うた。
すると、上司は、「何やら、プロとアマの違いとか、うーん、具体性のないことをツラツラと記していたらしい」と困り顔。
おっと、言い忘れていたが、小論文のテーマは、「仕事について」であった。
このテーマはあらかじめ、私たちに知らされていた。
私は、テーマを聞いたあと、すぐに、「この二ヶ月間(研修期間)の、私の仕事への取り組み方について記します・・・」と、書き出しの文を考え始めていたものだった。
そんな折、A君自身から、彼自身が書いた文章の内容を聞く機会があった。
それは、仕事を終えて仲間で話していたときのことだ。
<社員昇格試験>を落選したA君だが、まだチャンスはあったし、バイトとして引き続き仕事には残っていた。
私も、本採用の期日まではまだ数週間の間があった。
もし、私がA君の立場であったら、屈辱で即辞めていたと思うが、このA君は普通に仕事をしていた。
どうやら、彼の頭の中では、自分の過失の敗北感を、「脳内変換」で会社側の不徳としていたらしい。
つまり、彼が言うには、会社は、社員を増やしたくなくて自分を落とした、と言う筋立てを妄想し、職場の仲間のバイト連に語っていた。
「俺は、小論文をこんな風に書いたんだ。・・・<仕事>と言う文字は、人に仕えると書く。ここで言う仕事とは、つまり、自分に給料を払う会社なり、お代をくれるお客様なりに仕えるということを意味し、お金を得るということは、作業の時間をやり過ごせば代金をもらえるバイトとは違うプロの意識を必要とする。プロ意識とはつまり、相手の用意したことをするのではなく、相手が何をして欲しいかをすることだ・・・、・・・」
私はそれを聞き、「ああ、そりゃ、駄目だ・・・」と思いつつ、高校時代に私の小論文を添削してくれた先生の言葉を懐かしく思い出した。
A君は39歳だった。
その39歳になるまで、自分の考え方に駄目出ししてくれる優しさを持った人物に出会わなかったのだろう。
もはや、39歳にもなると、思考回路の矯正などは難しいだろう。
私だったら、悔しさで辞めているだろう境遇の中でも、彼は平然としていた。
39歳になるまで、厳しくしてくれる人に出会うことなく、なんか変な自信だけは固まってしまっているのだろう。
今回の<社員昇格試験>に対しても、
「なんで、分かってくれないんだろう・・・」
などとしか思ってないのだろう。
だから、平然としていられるのだ。
上司も苦笑いしていたのだが、彼は、その文法上は間違いのない文章の、記されている内容と隔たった行動しかしていなかった。
みんなには「KY」と陰で言われ、自分のやりたい作業しかしていなかった。
言動の、あまりにもの不一致であった。
団体面接のとき、彼の受け答えは、非常に役員受けが良かった。
しかし、<リーダー十一ヶ条>の暗唱を、彼は出来なかった。
面接の受けが良かったが故に、暗唱が出来なかったことが、その「口先だけ」を明確に浮き彫りにしていた。
・・・会社は、彼を落さざるを得なかった。
(2009/02/28)
◇ ◇ ◇
この会社も、私、しばらくして辞めてしまいました。
たまに、このブログで、退職したことなども書きますが、ここ数年は面倒なので、転職しても、ことわりを入れずに、そのまま「職場」とか「仕事」としてあたかも継続して書き続けられています^^
彼女が代わっても、「彼女」であること・「若い娘」であることは変わりないので、そのまま継続されています^^;
ともあれ、このような、就職ネタはたくさんありまする^^v
(2012/06/12)
これは、保守派としては「許されざること」なのだが、まあ、【私だから】、許されるだろう。
小説『新宿鮫』で、「仕事に大きな理想を抱く者ほど、転職を繰り返す」と言うセリフがあったと思うし。
以下は、2009年の初めに所属していた会社の、社員になるにあたっての試験の時を記した文章だ。
面白いので、再掲する^^
◇ ◇ ◇
・・・2009/01/27のエントリー
私は、二ヶ月前に新しい会社で働きだして研修生の立場であった。
で、先日、社員昇格のための試験があった。
各部署から、社員候補の三人が本社に集まり、午前は一般常識テスト・小論文、午後は面接というスケジュールをこなした。
面接の最後には、研修生のうちに「覚えておけ」と言われていた、<リーダー十一ヶ条>の宣言をさせられる。
ここで記すことはないが、<リーダー十一ヶ条>はかなりの文章量である。
私は、入社当時から、ちょっとづつ覚えていた。
いつも、通勤中の車の中で覚えていたので、前の車に衝突しそうになること数回! ^^;
意味が通っても、語尾や表現が少しでも違ったら、ダメなのである。
「丸暗記するだけじゃ意味ないじゃん」と思われるかもしれないが、私はそうは思わない。
かように長い文章を「丸暗記する」、ただそれだけで、凄まじい努力が必要である。
会社は、そこを見るのである。
◇
社員候補の三人のうち一人は、もちろん私だが、もう一人のA君は、私と同じ職場の男である。
残った一人のB君は、隣りの部署である。
・・・ここでは、A君について語る。
こいつは気持ち悪い男であった。
変に気張って入社してきて、最初は、私が挨拶しても挨拶を返しもしない。
私は、とにかく、最初は現場に無知なのであるから、社員/バイト構わず、年上/年下構わずに「先輩」として敬意を表す対応で、いわゆる「下流」の仕事を率先してやり続けた。
すると、このA君は、「やるなとは言わないが、俺たちは社員になるのだから、相応の態度をしたほうがいい」などと言う。
いや、言葉単体では、その文法に間違いはない。
そういった言葉が合う特殊なTPOもあるだろう。
しかし、ここでは違う。
そんな言葉は、相応の体験を経てから言えることだ。
いや、相応の経験があったとて、個々の具体的な状況を体得する「時間」が必要なのである。
A君が、これまでの人生をどう送っていたかは、私は知らない。
だが、余程、状況への選択肢が狭い経験しか送ってこなかったのだろうことは理解した。
私には、A君の、進むべき運命が如実に分かった。
◇
新入社の私とA君は、ペアで仕事を組まされることが多かった。
・・・とにかく、A君は、「上流」の仕事をやりたがった。
だから、面倒な、基礎的な作業を私に押しつけることが多かった。
私は、とにかく、A君の行き着く先が見えていたので、不満を言うのも面倒で、何も言わず、黙々と基礎的な仕事をくり返した。
上司が見かねて、「一日交代」を提言した。
が、そういった決まりごとは、すぐにA君によって破られた。
私は、辛い基礎的な仕事を続けた。
しかし、作業メンバーは、そんな状態をちゃんと見ている。
しかも、A君は、基礎的な仕事の局面を前にすると、腕を組んで、バイトの仕事を眺めるだけになってしまうのだ。
そもそも、基礎的な仕事をマスターしていないので、何をしていいか分からないのだ。
全くの素人が、あたかも、管理者の如く、自分(バイト)らの仕事振りを眺めて突っ立っているのだ。
・・・A君は、次第に作業者の中で孤立していった。
私や作業者が話していて、そこにA君が合流してくると、露骨にその場を去る奴もいた。
私も、A君と話すのは嫌だった。
世間話が出来ず、仕事で得た話を偉そうに話すことしか出来ないのだ。。
・・・コミュニケーションの不全、であった。
しかし、面白いのが、本人は、その深刻な状況にあまり気づいていないようなのだ。
年末の繁忙期を過ぎると、私は、いつの間にやら、自分に実力がついてきたことが実感できた。
スピードも無理せずに早い^^
基礎的な仕事をみっちりとこなし、それを土台としてステップアップしてきたので、次に行なう仕事が、他の人の指示を仰がなくても明確に行なえるようになったのだ。
まだまだリーダーには及ばないが、自立的な動きを出来るようになってきた。
そして、バイトが気軽に仕事を頼むようになってきた。
バイトが作業しやすい態勢にするのが「上流」作業者である。
そのうち面倒になるのだろうが、私の今の段階では、仕事を頼まれるのは嬉しいことだ^^V
しかし、バイトのほとんどが、A君には頼まない。
頼みたくないのだそうだ。
・・・A君の孤立は深まる。
◇
そんな背景での、社員昇格試験であった。
結論から言うと、各種試験を無難にこなし、<十一ヶ条>も、お経のようにスラスラと完璧にこなしたB君、合格!
各種試験を無難にこなし、<十一ヶ条>は、一言一句間違えることはなかったがかなりゆっくりだった私も、かろうじて、合格!
・・・だが、A君は、不合格!
A君は、社員昇格の見通しが立たなかった。
<十一ヶ条>をちゃんと覚えなかったこともあるが、何と、小論文も不合格であった。
小論文と言っても、実際は作文レベルであったのだが・・・。
次回、その状況について記す・・・^^;
(2009/01/27)
◇ ◇ ◇
・・・2009/02/28のエントリー
◇
(前置き)・・・私の大学受験期の話だ。
私は、現国の教師の間では「文章のうまい奴」として名を馳せていた。
とある女教師には、森鴎外の『舞姫』や、夏目漱石の『こころ』の感想文を、「これ、先生が貰っておくわね」などと言われ、とても嬉しかった。
何度も語っている自慢だが、その後、大学に入ったとき、私は、とある大学教授に「君には、(文章の)天与の才がある」と言われ、有頂天だった時期もある。
・・・だが、今は、レンタル店で中古エロビデオを買い漁るオナニストである^^;
まあ、それはさておき。
大学受験期、高校から推薦の資格をもらえた私は、推薦入試で行われる小論文の模擬試験を、現国の教師に添削してもらっていた。
先に語ったとおり、私は、文章がうまいとされて有名だったので調子にのっていた。
だから、模擬小論文でどんな問題が出ようと、ちょちょいのちょいで出来る自信があった。
「大学では、どのような4年間を生きようと考えているか」というお題が出たとする。
調子に乗っていた私は、このような文章を書き始めた記憶がある。
《大学とは「大きな学」と書く、つまり、この世を包括するような大きなもののために学んでいくシステムを意味しよう。その大学での4年間は、故に、何らかの「大きなもの」を成すための準備期間とも言える、が、ここでは「生きようと考えているか」と大きく問われている。大学でどのように「生きる」かを考えると、「生きる」ということの本義を考えなくちゃならない。真に「生きる」とは、私が考えるに、他の者・・・、つまり社会に、自分の正しいと思うことを訴え、働きかけていくことだと思う。そのためには・・・、・・・、・・・》
このような文章を、私は、大体1000字ほど書き連ねたと思う。
そしたら、添削してくれた現国の先生に一言書かれた。
「これは、文学部を受験する者の文章ではない」
・・・私は、大きなショックを受けた。
ショックを受けて、何が悪かったかを考えた。
簡単なことだった。
こんな、何ら、経験の裏打ちをする努力のない、短い設題の一文を解析するかのような、具体性のない、お気楽な言葉のこねくり回しは「文学」とは言えないのだった。
私は、「文章がうまい」と褒められて、なにが「うまい」とされたのかを考えず、私が書けばなんでもうまいのだと考え、熟慮することなく小手先の文章で誤魔化せると思ってしまっていたのだ。
その後も、そして今も、私は、かような失敗を繰り返すことになるが、上記の教師の指摘は、時折、私の心によみがえり、私を戒め、私の文筆活動の方向修正をしてくれる。
◇
さて、A君だ・・・。
この人は、3人で受けた<社員昇格試験>で、唯一、落選している。
第一の問題として、絶対条件として完全暗記を義務付けられていた<リーダー十一ヶ条>がしどろもどろの出来だったということがある。
けして勉強を出来ないだろう人物ではなかった。
会社を舐めていたのと、研修時代の仕事振りと同じく、「この程度の暗記でよいだろう」と、自分勝手な境界線を設けていたのだ。
そして、驚くべきことに、作文レベルでしかない小論文でも不可の結果が出されていた。
それは前代未聞のことだった。
そもそも、この<社員昇格試験>は、けして落ちるような内容ではなかった。
どのような人物かは、研修期間で会社は理解出来ていて、要は、形式的とも言えるものでしかなく、その中で、<リーダー十一ヶ条>の丸暗記こそだけが、この<社員昇格試験>の肝だった。
他の会社では、長い社訓の暗記がそれであったり、般若心経の諳んじであったりもしよう。
そこでは、会社内でどのような力を発揮できるかの「努力」が試される。
基礎知識のペーパーテストも、面接も、そして、小論文も、バカでなければ容易にクリアーできるレベルのものだ。
数行しか書いてない内容ならば、不可にもなろうが、ある一定の字数を、テーマに沿って、非常識な文法間違いがなく、まじめな気持ちを記せば、けして落ちようはずはなかった。
だが、A君は、その小論文を、「抽象的で意味が分からない」と面接した役員に言われ、不可となった。
私は、とても、その内容が気になった。
上司に、「A君はどんな文章を書いたのか知ってますか?」と問うた。
すると、上司は、「何やら、プロとアマの違いとか、うーん、具体性のないことをツラツラと記していたらしい」と困り顔。
おっと、言い忘れていたが、小論文のテーマは、「仕事について」であった。
このテーマはあらかじめ、私たちに知らされていた。
私は、テーマを聞いたあと、すぐに、「この二ヶ月間(研修期間)の、私の仕事への取り組み方について記します・・・」と、書き出しの文を考え始めていたものだった。
そんな折、A君自身から、彼自身が書いた文章の内容を聞く機会があった。
それは、仕事を終えて仲間で話していたときのことだ。
<社員昇格試験>を落選したA君だが、まだチャンスはあったし、バイトとして引き続き仕事には残っていた。
私も、本採用の期日まではまだ数週間の間があった。
もし、私がA君の立場であったら、屈辱で即辞めていたと思うが、このA君は普通に仕事をしていた。
どうやら、彼の頭の中では、自分の過失の敗北感を、「脳内変換」で会社側の不徳としていたらしい。
つまり、彼が言うには、会社は、社員を増やしたくなくて自分を落とした、と言う筋立てを妄想し、職場の仲間のバイト連に語っていた。
「俺は、小論文をこんな風に書いたんだ。・・・<仕事>と言う文字は、人に仕えると書く。ここで言う仕事とは、つまり、自分に給料を払う会社なり、お代をくれるお客様なりに仕えるということを意味し、お金を得るということは、作業の時間をやり過ごせば代金をもらえるバイトとは違うプロの意識を必要とする。プロ意識とはつまり、相手の用意したことをするのではなく、相手が何をして欲しいかをすることだ・・・、・・・」
私はそれを聞き、「ああ、そりゃ、駄目だ・・・」と思いつつ、高校時代に私の小論文を添削してくれた先生の言葉を懐かしく思い出した。
A君は39歳だった。
その39歳になるまで、自分の考え方に駄目出ししてくれる優しさを持った人物に出会わなかったのだろう。
もはや、39歳にもなると、思考回路の矯正などは難しいだろう。
私だったら、悔しさで辞めているだろう境遇の中でも、彼は平然としていた。
39歳になるまで、厳しくしてくれる人に出会うことなく、なんか変な自信だけは固まってしまっているのだろう。
今回の<社員昇格試験>に対しても、
「なんで、分かってくれないんだろう・・・」
などとしか思ってないのだろう。
だから、平然としていられるのだ。
上司も苦笑いしていたのだが、彼は、その文法上は間違いのない文章の、記されている内容と隔たった行動しかしていなかった。
みんなには「KY」と陰で言われ、自分のやりたい作業しかしていなかった。
言動の、あまりにもの不一致であった。
団体面接のとき、彼の受け答えは、非常に役員受けが良かった。
しかし、<リーダー十一ヶ条>の暗唱を、彼は出来なかった。
面接の受けが良かったが故に、暗唱が出来なかったことが、その「口先だけ」を明確に浮き彫りにしていた。
・・・会社は、彼を落さざるを得なかった。
(2009/02/28)
◇ ◇ ◇
この会社も、私、しばらくして辞めてしまいました。
たまに、このブログで、退職したことなども書きますが、ここ数年は面倒なので、転職しても、ことわりを入れずに、そのまま「職場」とか「仕事」としてあたかも継続して書き続けられています^^
彼女が代わっても、「彼女」であること・「若い娘」であることは変わりないので、そのまま継続されています^^;
ともあれ、このような、就職ネタはたくさんありまする^^v
(2012/06/12)