☆体調が悪いので、短く・・・。
・・・「おやっ?」と思ってしまうような映画作品には、それが「故意」なのか「過失」なのかの問題があろう。
私にとって、昨夜観た『ファミリー・ツリー』にしても、『幸せの教室』にしても、『TIME』『ツーリスト』『ブラック&ホワイト』にしても、その欠点と思われる箇所(物語上の起伏がない。ありきたり。掘り下げがない)は、作り手の「故意」での演出としか思っていない。
それをあたかも、作り手の「過失(愚かさ)」として語る映画ブロガーが多いので、故意と過失の区別をちゃんとつけてくれよ、と私は声を大にして言いたいのだ。
全ての作品が、全盛期のスタローン作品の如く、分かりやすくドラマチックな展開だけとは限らないのだ。
自分の中の「こうあれ!」にこだわらず、色んな演出・盛り上げ方があるのだと認識し、どうぞ、鑑賞に励んでほしいものです。
◇
今回の『メン・イン・ブラック3』だが、シリーズを通して、バリー・ソネンフェルド監督の、コメディ路線の中での人物重視が継続されていて、アクション好きには物足りないだろうが、私としては充分に面白かった。
私は、そこでの「ないものねだり」はしない。
今回は、10年振りのシリーズ最新作なのに、物語は、主人公二人(JとK)の片割れ(K)の過去を探る旅と言う内向きのエピソードであった。
過去の世界では、相棒であり先輩でもあるエージェントKの若い時に出会い、その「若さ」と、現在のKとの「相似」を、観ている者に楽しませると言う内輪の楽しませ方があった。
そこがまさに、バリー・ソネンフェルド監督の「故意」なのだ。
異星人を取り締まる「メン・イン・ブラック」の仕事をバリバリと進めるのではなく、
極悪のエイリアンの過去へのタイムトラベルの結果、相棒の存在を消された主人公が、自分も過去に行き、エイリアンの凶行を阻止しようとする。
その過去への旅も、組織に認知されているわけでなく、やや寂しい旅立ちとなる。
物語を盛り上げるのなら、組織から大義を命じられ過去へ行ったほうがいいのにね。
つまり、物語を考える上での、そもそものベクトルが違うのだな。
それもあり、だ。
向かう過去は1969年・・・。
なかなかの時代のギミックに彩られているはずなのだが、正直、その時代を詳しく知っている訳ではないので、女性の髪形やアンディ・ウォーホルに時代の情緒を感じるだけだった。
ただ、アポロ計画が背景にあり、クライマックスでは、発射直前のロケット発射台を舞台にアクションが繰り広げられ、なかなか面白かった。
また、物語の後半から、未来を幻視できるエイリアンが出てくるのだが、そのサヴァン症候群のような奇矯さが、物語にロマンを含ませてくれたと思う。
エンディングでは、なかなかシビアでありつつ感動的なエピソードを配してくれている。
これにて、後付けでありながら、二人のエージェントの因縁の円環構造が完成する。
ああ、そして、今 思い出した。
二人がロケット発射台に立ち入るのを許さなかった、黒人の将校が、サヴァンのエイリアンに未来を幻視させられ、
「どんな未来を見せられて考えを変えたいんだい?」とエージェントJに問われるのだが、
黒人将校は「お前たちの活躍だよ」と答える。
そのセリフの真意が、今、やっと理解できて、ちょいと感動している。
(2012/05/25)
・・・「おやっ?」と思ってしまうような映画作品には、それが「故意」なのか「過失」なのかの問題があろう。
私にとって、昨夜観た『ファミリー・ツリー』にしても、『幸せの教室』にしても、『TIME』『ツーリスト』『ブラック&ホワイト』にしても、その欠点と思われる箇所(物語上の起伏がない。ありきたり。掘り下げがない)は、作り手の「故意」での演出としか思っていない。
それをあたかも、作り手の「過失(愚かさ)」として語る映画ブロガーが多いので、故意と過失の区別をちゃんとつけてくれよ、と私は声を大にして言いたいのだ。
全ての作品が、全盛期のスタローン作品の如く、分かりやすくドラマチックな展開だけとは限らないのだ。
自分の中の「こうあれ!」にこだわらず、色んな演出・盛り上げ方があるのだと認識し、どうぞ、鑑賞に励んでほしいものです。
◇
今回の『メン・イン・ブラック3』だが、シリーズを通して、バリー・ソネンフェルド監督の、コメディ路線の中での人物重視が継続されていて、アクション好きには物足りないだろうが、私としては充分に面白かった。
私は、そこでの「ないものねだり」はしない。
今回は、10年振りのシリーズ最新作なのに、物語は、主人公二人(JとK)の片割れ(K)の過去を探る旅と言う内向きのエピソードであった。
過去の世界では、相棒であり先輩でもあるエージェントKの若い時に出会い、その「若さ」と、現在のKとの「相似」を、観ている者に楽しませると言う内輪の楽しませ方があった。
そこがまさに、バリー・ソネンフェルド監督の「故意」なのだ。
異星人を取り締まる「メン・イン・ブラック」の仕事をバリバリと進めるのではなく、
極悪のエイリアンの過去へのタイムトラベルの結果、相棒の存在を消された主人公が、自分も過去に行き、エイリアンの凶行を阻止しようとする。
その過去への旅も、組織に認知されているわけでなく、やや寂しい旅立ちとなる。
物語を盛り上げるのなら、組織から大義を命じられ過去へ行ったほうがいいのにね。
つまり、物語を考える上での、そもそものベクトルが違うのだな。
それもあり、だ。
向かう過去は1969年・・・。
なかなかの時代のギミックに彩られているはずなのだが、正直、その時代を詳しく知っている訳ではないので、女性の髪形やアンディ・ウォーホルに時代の情緒を感じるだけだった。
ただ、アポロ計画が背景にあり、クライマックスでは、発射直前のロケット発射台を舞台にアクションが繰り広げられ、なかなか面白かった。
また、物語の後半から、未来を幻視できるエイリアンが出てくるのだが、そのサヴァン症候群のような奇矯さが、物語にロマンを含ませてくれたと思う。
エンディングでは、なかなかシビアでありつつ感動的なエピソードを配してくれている。
これにて、後付けでありながら、二人のエージェントの因縁の円環構造が完成する。
ああ、そして、今 思い出した。
二人がロケット発射台に立ち入るのを許さなかった、黒人の将校が、サヴァンのエイリアンに未来を幻視させられ、
「どんな未来を見せられて考えを変えたいんだい?」とエージェントJに問われるのだが、
黒人将校は「お前たちの活躍だよ」と答える。
そのセリフの真意が、今、やっと理解できて、ちょいと感動している。
(2012/05/25)