☆[再びの、結石の夜(&宅建試験with都庁舎)](2007/03/15 10:21)
▼昨夜、夜9時過ぎに、母親が腹痛を訴えてきた。
「ム、ムムム、ムムンチョ・・・」と、腹を押さえてうずくまっている姿に、尋常じゃない何かを感じた私は、「様子を見る」などと言う悠長な選択肢を選ぶべくもなく、母親を車に乗せて、病院に向かった。
母親は、車の中でも、ゲーゲー吐いた。
だが、下痢の症状はない。
腹も痛いが背中も痛い、と言う。
私は、「この症状、自分にも覚えがあるなあ」と思った。
▼・・・十数年前だ。
私は、杉並区で独り暮らしをしていた。
宅地建物取引主任者の試験が一週間後に控えていた頃だ。
何か、二、三日前から腹の調子が悪かったのだ。
それが、夜半過ぎに激痛になった。
「これは、普通の痛みじゃない・・・!」
私は、病院に行こうと、深夜の町に出て行った。
もう、冗談みたいな痛みである。
痛みは、胴体全体を揺るがして、吐き気が込み上げてきて、道端で吐いた。
腰も抜けそうで、「コケッ、コケッ」と鶏みたいに歩いた。
甲州街道沿いのR病院に着いた。
丸い赤い外灯に照らされた救急通用口のブザーを鳴らすと、管理人みたいな人が現われた。
話によると、「ここは、そういった治療病院じゃないんだよ」「ここじゃあ、救急車は呼べない。交番で頼みなさい」と追い返された。
どうやら、老人ホームに毛の生えたような病院らしかった。
しかし、こっちゃあ、あぶら汗を垂らしながら、のた打ち回っているのに、冷酷な仕打ちであった。
私は、ゲーゲー、コケッ、コケッと、甲州街道を渡り、上北沢駅前の交番に行くのだった。
交番に行くと、お巡りさんがすぐに救急車を手配してくれた。
しかし、そこからが長かった。
苦しみつつ、運転席の無線の音を聞いていると、明らかに、引き受けの病院がなく、私が幾つかの病院をたらい回しにされているのが分かったのだ。
「痛ぇ〜、痛ぇ〜」
私は苦しむのみだった。
で、搬送先の、とある病院で下された病名が【神経性胃炎】であった。
宅建の試験が近いので、プレッシャーが掛かっていたのかもと、納得も出来た。
だが、痛みは多少和らいだような気がしたが、直らない。
私は、診察を終えると、深夜の町におっぽり出された。
腹は痛いままだ。
しょうがないので、タクシーでアパートに戻り、胎児のように腹を抱えて寝た・・・。
▼苦しむ母親に私は言った。
「もしかして、【尿管結石】じゃない・・・?」
母親の症状があまりにも、十数年前の私の状況に似ていたのだ。
そう、十数年前の、救急車で運ばれた私の診断結果【神経性胃炎】は、「誤診」だったのだ。
苦しむ私を、かつて、母親が違う病院に連れて行き、腹痛の原因が【尿管結石】であることが判明していたのだ。
新しい病院では、痛み止めと、結石を溶かす薬が与えられ、事なきを得ていたのだ。
立川の共産党系の病院は、救急車でなくても、深夜に患者を受け入れてくれていた。
この病院には感謝している。
親父の重度の癌も、母親の脳梗塞も治してくれた。
母親は、診断し、尿を採取されると、その結果が出るまで、待合所で苦しんでいた。
痛みは治まらず、床に座り、椅子に上半身を押し付けて苦しんでいた。
・・・結果、【尿管結石】であった。
薬を飲み、帰宅時には、いつもの通り、へらず口を叩く母親に戻っていた^^;
▼さて、宅建の話だが、私の職場には、ちょうど、同じく宅建試験に挑む同僚・ツルマルがいた。
私は、宅建試験前の一週間は、結石のために仕事も勉強も休んだ訳だが、
ツルマルは、他の同僚に「ミド蘭は、逃げたな」などと言っていたそうだ。
さて、試験日、私は、池袋の試験場に行き、同じ場所で試験を受けるツルマルの姿を探した。
ツルマルは、必死に問題集を見ていた。
覗くと、初歩中の初歩の問題だった。
私は、そのページの幾つかの問題の答えを「これ、これ、これ」と速やかに的中させた。
ツルマルの顔に、明らかに焦りの色が表われていた^^;
私は、自分が頭良いのは分かっているが、「面倒臭がり屋」なので、ほとんど努力と無縁に生きてきた。
しかし、この宅建試験は、私が珍しく努力した対象であった。
二ヵ月後かな、合格通知が送られてきた。
「送られてきたよ」と、ツルマルに言うと、彼の顔が青褪めた。
しかし、彼は、翌日、「一日遅れで合格通知が送られてきたよ」と苦笑いした。
・・・国家資格の結果通知が、配達日を前後させるなんて事はあり得ないのだが・・・。
当時、新造されたばかりの都庁の一階では、宅建合格者の発表が行なわれていた。
何度見ても、ツルマルの名前はなかった・・・。
▼現在の都庁だが、私の大好きな建造物の一つである。
この設計は、丹下健三であるが、
今回の都知事戦には、同じく建築家の黒川紀章が立候補した。
そこに、私は、黒川氏の丹下健三への、何らかの「感情」の宿りを推察する。
何たって、そのマニフェストには、「東京都庁舎や、江戸東京博物館、東京国際フォーラムの民間売却」などを掲げている・・・。
また、東京大学大学院建築学科専攻博士課程(丹下健三研究室)の出身者でもある。
▽・・・私は、新宿副都心をデートする時は、各超高層ビルをチョコレートに例えるのを得意としていました^^
「あのビルは、カカオがたっぷりで、茶色い」
「あれは、ミルクが多く含まれている」
・・・そんなものを好むから、体に結石が出来るのである・・・(因果関係なし^^;)。
(2007/03/15)
▼昨夜、夜9時過ぎに、母親が腹痛を訴えてきた。
「ム、ムムム、ムムンチョ・・・」と、腹を押さえてうずくまっている姿に、尋常じゃない何かを感じた私は、「様子を見る」などと言う悠長な選択肢を選ぶべくもなく、母親を車に乗せて、病院に向かった。
母親は、車の中でも、ゲーゲー吐いた。
だが、下痢の症状はない。
腹も痛いが背中も痛い、と言う。
私は、「この症状、自分にも覚えがあるなあ」と思った。
▼・・・十数年前だ。
私は、杉並区で独り暮らしをしていた。
宅地建物取引主任者の試験が一週間後に控えていた頃だ。
何か、二、三日前から腹の調子が悪かったのだ。
それが、夜半過ぎに激痛になった。
「これは、普通の痛みじゃない・・・!」
私は、病院に行こうと、深夜の町に出て行った。
もう、冗談みたいな痛みである。
痛みは、胴体全体を揺るがして、吐き気が込み上げてきて、道端で吐いた。
腰も抜けそうで、「コケッ、コケッ」と鶏みたいに歩いた。
甲州街道沿いのR病院に着いた。
丸い赤い外灯に照らされた救急通用口のブザーを鳴らすと、管理人みたいな人が現われた。
話によると、「ここは、そういった治療病院じゃないんだよ」「ここじゃあ、救急車は呼べない。交番で頼みなさい」と追い返された。
どうやら、老人ホームに毛の生えたような病院らしかった。
しかし、こっちゃあ、あぶら汗を垂らしながら、のた打ち回っているのに、冷酷な仕打ちであった。
私は、ゲーゲー、コケッ、コケッと、甲州街道を渡り、上北沢駅前の交番に行くのだった。
交番に行くと、お巡りさんがすぐに救急車を手配してくれた。
しかし、そこからが長かった。
苦しみつつ、運転席の無線の音を聞いていると、明らかに、引き受けの病院がなく、私が幾つかの病院をたらい回しにされているのが分かったのだ。
「痛ぇ〜、痛ぇ〜」
私は苦しむのみだった。
で、搬送先の、とある病院で下された病名が【神経性胃炎】であった。
宅建の試験が近いので、プレッシャーが掛かっていたのかもと、納得も出来た。
だが、痛みは多少和らいだような気がしたが、直らない。
私は、診察を終えると、深夜の町におっぽり出された。
腹は痛いままだ。
しょうがないので、タクシーでアパートに戻り、胎児のように腹を抱えて寝た・・・。
▼苦しむ母親に私は言った。
「もしかして、【尿管結石】じゃない・・・?」
母親の症状があまりにも、十数年前の私の状況に似ていたのだ。
そう、十数年前の、救急車で運ばれた私の診断結果【神経性胃炎】は、「誤診」だったのだ。
苦しむ私を、かつて、母親が違う病院に連れて行き、腹痛の原因が【尿管結石】であることが判明していたのだ。
新しい病院では、痛み止めと、結石を溶かす薬が与えられ、事なきを得ていたのだ。
立川の共産党系の病院は、救急車でなくても、深夜に患者を受け入れてくれていた。
この病院には感謝している。
親父の重度の癌も、母親の脳梗塞も治してくれた。
母親は、診断し、尿を採取されると、その結果が出るまで、待合所で苦しんでいた。
痛みは治まらず、床に座り、椅子に上半身を押し付けて苦しんでいた。
・・・結果、【尿管結石】であった。
薬を飲み、帰宅時には、いつもの通り、へらず口を叩く母親に戻っていた^^;
▼さて、宅建の話だが、私の職場には、ちょうど、同じく宅建試験に挑む同僚・ツルマルがいた。
私は、宅建試験前の一週間は、結石のために仕事も勉強も休んだ訳だが、
ツルマルは、他の同僚に「ミド蘭は、逃げたな」などと言っていたそうだ。
さて、試験日、私は、池袋の試験場に行き、同じ場所で試験を受けるツルマルの姿を探した。
ツルマルは、必死に問題集を見ていた。
覗くと、初歩中の初歩の問題だった。
私は、そのページの幾つかの問題の答えを「これ、これ、これ」と速やかに的中させた。
ツルマルの顔に、明らかに焦りの色が表われていた^^;
私は、自分が頭良いのは分かっているが、「面倒臭がり屋」なので、ほとんど努力と無縁に生きてきた。
しかし、この宅建試験は、私が珍しく努力した対象であった。
二ヵ月後かな、合格通知が送られてきた。
「送られてきたよ」と、ツルマルに言うと、彼の顔が青褪めた。
しかし、彼は、翌日、「一日遅れで合格通知が送られてきたよ」と苦笑いした。
・・・国家資格の結果通知が、配達日を前後させるなんて事はあり得ないのだが・・・。
当時、新造されたばかりの都庁の一階では、宅建合格者の発表が行なわれていた。
何度見ても、ツルマルの名前はなかった・・・。
▼現在の都庁だが、私の大好きな建造物の一つである。
この設計は、丹下健三であるが、
今回の都知事戦には、同じく建築家の黒川紀章が立候補した。
そこに、私は、黒川氏の丹下健三への、何らかの「感情」の宿りを推察する。
何たって、そのマニフェストには、「東京都庁舎や、江戸東京博物館、東京国際フォーラムの民間売却」などを掲げている・・・。
また、東京大学大学院建築学科専攻博士課程(丹下健三研究室)の出身者でもある。
▽・・・私は、新宿副都心をデートする時は、各超高層ビルをチョコレートに例えるのを得意としていました^^
「あのビルは、カカオがたっぷりで、茶色い」
「あれは、ミルクが多く含まれている」
・・・そんなものを好むから、体に結石が出来るのである・・・(因果関係なし^^;)。
(2007/03/15)