☆・・・わたすのブログのアクセス数がやたらと上がったなと思っていたら、昨夜に放送された映画『マン・オブ・スティール』について調べた多くの人が、わたすのブログの中の『マン・オブ・スティール』の感想を読みに来たかららしい。
では、その感想を、ここに公開しておく。
≪・・・☆面白かったし、王道の傑作でしょう。
プロデューサーの関係で『ダークナイト』的なノワール感があるように語られていたが、そんなことはなかった。
先ず、リブート物なので、その生い立ちから語られなくてはならず、それが「かったるい」のが予想されたのだが、話は、異常なハイテンション・ハイスピードで語られる。
何故に、スーパーマンは地球に送られたのか?
故郷のクリプトンの崩壊の様子…が、極上のアクション描写で進む。
で、そのプロローグが終わり、地球でのスーパーマンの成長がゆっくりと描かれるのかと思いきや、早くも、スーパーマンは成長し、正体こそ隠すが、海底油田の火事場で「火事場の馬鹿力」で活躍する。
で、即座に、自分の来歴がわかる、氷河に埋まる謎の宇宙船に至り、早々に自分の使命が判明^^
そこでは、恋人ロイス・レインとも知り合う。
見る者に「ダレ場」を作らない絶妙の展開。
ある意味、そこに魅力を感じなければダレ場ばかりの「ダークナイト」シリーズとは根本的に異なる。
かと言って、地球での幼少期が描かれないかと言えば、さにあらず、折々で、さりげなく、でも印象的に、そのスーパーマンとして「いつか認められる日が来るから今は耐えろ」と諭す育ての親との交流が示される。
育ての親をケビン・コスナーが好演。
彼が、スーパーマンの善良な性格を育んだ。
そして、宇宙船では、残留思念としての生みの親(ラッセル・クロウ)が出現し、・・・つまり、物語は、スーパーマンと二人の父が並行して生きているかのような面白さがある。
宇宙人としての過去・地球人としての過去が、現在と共存しているわけだ。
作劇術として、時間の段階を経ない新しい表現方法だと思う。
私は、生みの父(ジョー・エル)を「保守」・・・、育ての父(ジョナサン・ケント)を「真の左翼」・・・、そして、「右翼」としてゾッド将軍をカテゴライズすると面白いと思った。
「真の左翼」と書いたのは、ジョナサン・ケントが、自分の正しいと考える主義のために命さえも惜しまないという真摯な生き方を見せてくれたからだ。
さて、軍に投降したスーパーマンだが、そこでのストレス展開は描かれない。
既に、クリプトン星の生き残り・ゾッド将軍たちが地球を襲っているからだ。
ここからは、もう、超リアル「ドラゴンボール」バトルである(そもそも、サイヤ人は、「スーパーマン2 冒険篇」のクリプトン人のパクりだが)。
奴らがバトると、そこは破壊が尽くされる。
鮮明な画像の中で、惜しげもなくハイスピードで流れていく見せ場の数々・・・。
後はDVDで堪能してくれとばかりに、無尽蔵のスペクタクルが展開される。
凄かった。
しかし、同時に、クライマックスでは、悪を殺さなくてはならなかったスーパーマンの嘆きが、凄まじく伝わっても来る。
「ああ、こいつ、ホント、いいやつだな」と思えるのだ。
そのスーパーマンの優しさは、周囲の女たち(ロイス・レイン、生みの母親、育ての母親)が育んだのだろう。
どんなに無敵の強さでも、好きな気持ち(愛)には支配されてしまう。
だから、スーパーマンは、今後、ダークサイドに落ちないだろうし、落ちても、ロイス・レインによって復活させられるだろう。
それから、私としては、この作品の中、アメリカ軍の将軍の部下や、デイリー・プラネット社の編集長の部下、それにゾッド将軍の副官に、妙に可愛い顔した女を据えているのが、妙に気になるんだよな・・・^^
・・・ああ、数日前に『ガッチャマン』観ているんだけど、あまりの不出来に、感想を書くことがない・・・、批判も面倒だ・・・。
(2013/08/30)・・・≫
私が四年前に書いている、「だから、スーパーマンは、今後、ダークサイドに落ちないだろうし、落ちても、ロイス・レインによって復活させられるだろう。」の言葉は、四年後の作品『ジャスティス・リーグ』の中で証明されている!!
(2017/12/10)