☆・・・最近、よく考える。
私は、理数系の学問のほうが、文学・芸術系の学問よりも上位にあると思っていて、実際、社会での扱われ方もそうだ。
まあ、文学・芸術系の学問が目立つのは、一握りの突出したものだけだ。
が、理数系の人って、文学・芸術系の突出した創作物に対してのコンプレックスがあるようだ。
いやいや、総合的にはあなたたちのほうが上ですよ^^ と言いたいものだが、理数系的な方は、どうにも、文学系の方面へ口を出したがる。
それこそ、文学的には底の浅い稚拙な理屈で、だ。
でも、世間は、理数系的な分野の人物(で活躍している方)の言葉、その稚拙なレベルの文学的な言質にも耳を傾けなくてはならない風潮になっている^^;
いや、結構 有り難がっているのが実状。
もう、文学的な人々が、必死なって頭をこねくり回して出した答えの、20周遅れみたいな幼稚な意見を、あたかも真理の如くに語ったりする。
なまじっか、実証されてきた解の世界で生きてきたので、文学野で自分が手に入れてきた情報が、それもまた実証され得てきたものだと信じて疑ってなかったりする。
故に、実証され得ない情報で組み立てられた解をを集積して出した、理数系の方の出す文学的な答えは、ほとんど間違えていることが多い。
そう言ったものを撒き散らす最たる存在が鳩山由紀夫であろう・・・。
よく、科学を突き詰めると、どうしても神の存在を認めざるを得ない・・・、などと言われる。
それもまた正しい言葉と思うが、
私は、オウム真理教に騙され利用された若き科学者の幼児性を思うと、その判断もまた眉唾で、あまりにも低レベルのものなのではないかと思ってしまう。
反原発運動なども、その運動家が運動の拠り所としているのが、科学者崩れの、多分に感情(文学的)に左右された主張でしかなかったりする。
科学的な立証は皆無!
現場の、科学医療分野の専門家たち ・・・自分の活動領域をわきまえている方々・・・ は、黙々と放射線を有効活用している。
もしかして、世の中に表出した重大イレギュラーの、その大半が、理数系の愚かな者(鳩山みたいの。菅直人も含む)が、文学的分野(政治や社会)にちょっかいを出してきた結果なのではないかと、私は確信したくなる。
もちろん、その反対も然りで、科学分野に政治家が乗り込むと、これまた、原子力行政のような歪みを生む・・・。
(2015/12/11)