☆私は、かなり前から、「真実」よりも「事実」のほうが大事だよ、と言い続けている。
真実は、個人個人の感情で全く異なるから、だ。
だから、『名探偵コナン』の「たったひとつの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」のキャッチコピーは、あんまし好きじゃないし、正しいとも思っていない。
すると、週刊少年サンデーのマンガの「コナン」とは別に、同じく、週刊少年サンデーの『月光条例』の先週号で、うろ覚えで悪いのだが、主人公が「真実はいっぱいあるけど、事実は一つだぜ!」と言っていたので、
「我が意を得たり!! 流石は、藤田和日郎(作者)だ!」と感激した。
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「真実」と言うのは、文系の思考回路での産物であり、例えば、ケンカして譲らない両者の真摯な言い分は、それぞれが「真実」足り得るのである。
だが、「事実」は、感情を配した、物理的な事象だけを言うので、それは、紛うことなく、極めて「科学」の分野での産物と言えるのである。
ちなみに、「法」は、どのような経緯で判断を下しているのかというと、・・・「情状酌量」の言葉が示す通り、感情的な文系分野で判断されている思考回路と言えよう。
その「情状酌量」の判断の、右往左往上下前後してしまう基準こそが、永遠のテーマとして、世界中で「不幸な衝突」を繰り返させている。
・・・その感情と、それに迎合する文学的思考回路の産物でもあり、法律上の結果には、証拠なき、感情論による判決も、堂々とまかり通っている。
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歴史というのは、本来は、「事実」に沿って、・・・科学的に結論が下される類のものだった。
が、昨今、中国や韓国・北朝鮮による、日本を貶める、事実無視の歴史の解釈は、激しさの度合いを増している。
いや、中国や韓国・北朝鮮の「特定亜細亜三国」に限らないな、日本以外の国全てが、歴史解釈を「国益重視の感情的主張の吐き出し場所」として捉えているようだ。
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科学結果を信じずに、何を基準と考えるのか。
私が、福島第一原発事故の「放射能」を恐れていないのは、放射線数値がはっきりしており、科学的に判断し、その危険性が皆無だからである。
これは、素人でも簡単に判断が下せることだ。
もろもろの、「放射能」に関する、日本における、「原発」の周囲の状況など「文系的な感情論」は全く関係なく、科学での答えは「事実」として結論がついている。
しかし、「放射能ヒステリー」に狂う国民も多い。
日本とても、例外じゃないわけだ。
新型万能細胞「STAP細胞」に関する論文にねつ造疑惑が生じている小保方晴子メンバーを擁護する奴らがいるのも、どうにも信じられない。
小保方メンバーの容姿が良いからのようだ。
科学の最先端の現場の「事実」認定が、さすがに、下卑た「感情」で歪められている・・・。
このような問題は、今もって「こじつけ」で信じるのではなく、いったん距離を置くのが、常識的な対応と思われるんだけどね。
藤村新一メンバーによる旧石器捏造事件に匹敵する事件だと思われるが・・・。
(2014/04/05)