☆・・・嗚呼、ここ数年では、私にとって、『アポカリプト』や『ブラインドネス』に匹敵するような傑作でした。
素晴らしいし、面白い。
私は、もう何度も語っているけど、『2001年 宇宙の旅』で、木星圏に到達したディスカバリー号から、宇宙船不随の管理コンピューター<HAL9000>によって、宇宙服のメットを着けないままに船外に放逐された宇宙飛行士・ボーマン船長の船内への帰還のシーンを非常に好んでいる。
あの、宇宙の硬質かつ冷徹さを描いた作風の中で、唯一、あのシーンだけが、息使いの荒い血の通ったシーンだからだ。
その落差が良かった。
この『ゼロ・グラビティ』は、そのシーンを二時間近くに渡って描き続けた作品である。
『2001年…』へのアンサーソングの意味合いもある。
打ち出したのは、神の領域に入ってしまった『2001年…』に対しての、あくまでもの「人の領域」に踏み留まるとした作風である。
主人公である女性博士ライアンは、あくまでも人として、宇宙の静寂・暗闇・孤独・・・、そして大災厄・重力の作用/反作用に挑み続ける。
エンターテイメントとしても上出来で、ライアンは、リプリーやローズ(タイタニック)以上のアクションをこなす。
相手は、誰にでも等しく「情」のない宇宙空間なので、そのギリギリアクションの連続に、見ている私は最大限の緊張を強いられる。
ライアンをサンドラ・ブロックが演じているが、いつも「ウマ面」とか言ってすいませんです、魅力的でした。
息の詰まるような宇宙空間の中で、彼女が宇宙服を脱ぐだけで、そのタンクトップの胸・あらわなムチムチの太もも、たまらなかったです。
ドラえもんの秘密道具「オーバー・オーバー」を着て、上着を脱ぐ女の子を見たときみたいにエロかったです。
また、赤ちゃんを産むことのできる女性を据えたことで、作品は、数々の生命への暗示が見て取れ、
激しきスペースデブリの暴風は「乳海攪拌」のカオスであり、
シャトル→国際宇宙ステーション→ソユーズ(ロシア)→中国の宇宙ステーション→中国の宇宙船シェン・・・、と乗り物を変えていく「産みの苦しみ」があり、その各所で、胎内や子宮・赤ちゃんのイメージが紡がれ、最終的にライアンは地球に帰還、
海に落ち「羊水」の中でもがき、地球の重力の中で、歩きはじめの赤ちゃんの様にタドタドしく立ち上がる様は、あくまでも、人間として宇宙に対峙し、人間として帰還するという、『2001年・・・』に対しての別の答えを提示してくれている。
ちなみに、『2001年・・・』のディスカバリー号は、精子の形を模している。
猪突猛進の宇宙への向かい方である^^;
途中で、漂流の冒頭をナビゲートしてくれた存在としてマットがいて、ジョージ・クルー二―がいい仕事をしてくれているが、別離を挟んで、最後に幻影として現われる。
これも、スターゲイトの向こうで、ボーマン船長が出会ったボーマン船長の過去と未来の姿と対を為すだろう。
空き家となった宇宙ステーションの中には、多くの浮遊物が浮かんでいて、ライアンの涙や、燃える油の描写に唸らせられたが、それ以上に、何度も、『2001年…』で表現された浮遊するボールペンが見られたのは感動した。
あれ、確か、ボールペンをガラスに張り付けて、浮かんでいるように見せていたんだよね。
しかし、無重力の体感と言う点で、久し振りに、3D映画を堪能したよ^^
(2013/12/13)