☆仕事を定時で終えて、「映画を見るので帰宅が遅くなる」と母親に連絡したら、「(小5の)姪っ子が友人4人を連れて家で遊んでいる」とのこと・・・、
私はよっぽど、映画なんてやめて、コンビニでシュークリームでも買って帰って、少女たちの人気者になろうと思ったのだが、
おそらく、私が帰宅した時には、4人の少女たちは、もう遅い時間なので、それぞれの家に帰っているのが予想できたので、しょうがねぇ、と映画館に向かうことにした。
◇
松本人志監督第三弾だ。
前二作は、ひと言で言うと、駄作の連発とも言えた。
だが、やはりお笑いタレントとしての才能はピカイチであるが故に、その才能が、映画作品として良き方向に結実していることを期待して、映画館に足を運んだ。
今度は時代劇。
・・・事情があって追われる身となった、腰に鞘(さや)のみを指した侍が、とある藩で囚われ、「笑いを失った藩主の息子である若君を、30日以内に笑わせなければ切腹」という難題に挑まされ、追っかけてきていた娘や、次第に打ち解けてくる見張り番らと、日々、若君を笑わせる1アイディアを出し合い、実行していく物語。
その中で、主人公の侍としての「美学」や、娘との親子の情、次第に巻き込まれていく藩主や町民達を描く。
・・・ダメだった。
冴えなさ過ぎる主人公がギャグに挑むという「<寒さ>の中の、転じた笑い」をひたすらに指向しているのは分かる。
その、30日の行で行なわれるネタが、多少は工夫されているが、手抜きのカタログ的な紹介に過ぎず、ただの尺稼ぎにしか思えない状況に、「映画を舐めている」もしくは「映画を心得ていない」ということが分かってしまうのだ。
そもそも、時代劇にしたのも、小手先のアイディアと分かってしまう。
クライマックスの、主人公の手紙を預かった僧の読み聞かせも、アイディアの煮詰めなく、安易に消化させてしまっている。
30日の行も、途中から大仕掛けになるが、一日のうちに、そんな大きな設備の準備が出来るのかよ、との疑問が起きてくる。
物語っちゅうのは「例外」の連続なので「大きな嘘」は理解できる。
ここでは、「30日の行」の非現実性があろう。
しかし、一日ごとに、若君を笑わすための大きな設備が準備されていることについては、作品を見ていくにおいての、非常に解せない「小嘘」の存在がなおざりにされていることが分かってしまう。
この作品はなんなんだろう? と、ずーっと考えさせられた。
映画でもない、さりとて、テレビで見れるレベルにもない。
「何かを狙っている」という点において、かろうじて、「映画作品」であることが理解できる。
冒頭、山道を走ってくる主人公の姿がある。
その絵面はいい。
おそらく、松本人志の頭の中のイメージには、このシーンのほかにも多くのビジョンがあっただろう。
が、それは一枚絵でしかなく、それが、映画という「動」のプロセスの一部であることが理解できておらずに、安易に映画として撮ってしまっていることが分かる。
・・・色々と不満はあるが、主人公・野見勘十郎を演じる野見隆明が、時おり、瞳に、とても澄んだ輝きを宿すシーンが見られ、そこは非常に良かった^^
◇
さすがに、「つまらない映画を見てしまった・・・」と思いつつ、寂しいので、先日、その「エピソード0」がメチャクチャ面白かったので、見直そうと、「X−Men」の一作目と二作目を<TSUTAYA>で借りた。
おそらく、「スターウォーズ」と同じく、新(三部)作を見たら旧三部作が見たくなり、旧三部作を見たら新(三部)作が見たくなり、クルクルクルクル鑑賞がループするのだろう^^
ちなみに、私は、大量のアダルトビデオを持っているが、けして捨てない。
AV鑑賞の興味もループするのである。
それから、他人から貰った昔のAV作品は、古臭くて見てられないけど、自分が昔から持っているAV作品の鑑賞は、「自分の昔の彼女」を懐かしむかのように楽しめるよね^^v
(2011/06/14)
私はよっぽど、映画なんてやめて、コンビニでシュークリームでも買って帰って、少女たちの人気者になろうと思ったのだが、
おそらく、私が帰宅した時には、4人の少女たちは、もう遅い時間なので、それぞれの家に帰っているのが予想できたので、しょうがねぇ、と映画館に向かうことにした。
◇
松本人志監督第三弾だ。
前二作は、ひと言で言うと、駄作の連発とも言えた。
だが、やはりお笑いタレントとしての才能はピカイチであるが故に、その才能が、映画作品として良き方向に結実していることを期待して、映画館に足を運んだ。
今度は時代劇。
・・・事情があって追われる身となった、腰に鞘(さや)のみを指した侍が、とある藩で囚われ、「笑いを失った藩主の息子である若君を、30日以内に笑わせなければ切腹」という難題に挑まされ、追っかけてきていた娘や、次第に打ち解けてくる見張り番らと、日々、若君を笑わせる1アイディアを出し合い、実行していく物語。
その中で、主人公の侍としての「美学」や、娘との親子の情、次第に巻き込まれていく藩主や町民達を描く。
・・・ダメだった。
冴えなさ過ぎる主人公がギャグに挑むという「<寒さ>の中の、転じた笑い」をひたすらに指向しているのは分かる。
その、30日の行で行なわれるネタが、多少は工夫されているが、手抜きのカタログ的な紹介に過ぎず、ただの尺稼ぎにしか思えない状況に、「映画を舐めている」もしくは「映画を心得ていない」ということが分かってしまうのだ。
そもそも、時代劇にしたのも、小手先のアイディアと分かってしまう。
クライマックスの、主人公の手紙を預かった僧の読み聞かせも、アイディアの煮詰めなく、安易に消化させてしまっている。
30日の行も、途中から大仕掛けになるが、一日のうちに、そんな大きな設備の準備が出来るのかよ、との疑問が起きてくる。
物語っちゅうのは「例外」の連続なので「大きな嘘」は理解できる。
ここでは、「30日の行」の非現実性があろう。
しかし、一日ごとに、若君を笑わすための大きな設備が準備されていることについては、作品を見ていくにおいての、非常に解せない「小嘘」の存在がなおざりにされていることが分かってしまう。
この作品はなんなんだろう? と、ずーっと考えさせられた。
映画でもない、さりとて、テレビで見れるレベルにもない。
「何かを狙っている」という点において、かろうじて、「映画作品」であることが理解できる。
冒頭、山道を走ってくる主人公の姿がある。
その絵面はいい。
おそらく、松本人志の頭の中のイメージには、このシーンのほかにも多くのビジョンがあっただろう。
が、それは一枚絵でしかなく、それが、映画という「動」のプロセスの一部であることが理解できておらずに、安易に映画として撮ってしまっていることが分かる。
・・・色々と不満はあるが、主人公・野見勘十郎を演じる野見隆明が、時おり、瞳に、とても澄んだ輝きを宿すシーンが見られ、そこは非常に良かった^^
◇
さすがに、「つまらない映画を見てしまった・・・」と思いつつ、寂しいので、先日、その「エピソード0」がメチャクチャ面白かったので、見直そうと、「X−Men」の一作目と二作目を<TSUTAYA>で借りた。
おそらく、「スターウォーズ」と同じく、新(三部)作を見たら旧三部作が見たくなり、旧三部作を見たら新(三部)作が見たくなり、クルクルクルクル鑑賞がループするのだろう^^
ちなみに、私は、大量のアダルトビデオを持っているが、けして捨てない。
AV鑑賞の興味もループするのである。
それから、他人から貰った昔のAV作品は、古臭くて見てられないけど、自分が昔から持っているAV作品の鑑賞は、「自分の昔の彼女」を懐かしむかのように楽しめるよね^^v
(2011/06/14)