☆ごめんなさい、本日、「後編」を書き上げる時間的余裕がありませんでした。
明後日には必ず書き上げます(明日は映画感想かな)。
今日は、「中編」から「後編」の間を少々記しますね・・・。
◇
飯舘村を横断する国道12号線(原町川俣線)・・・、目的地への道のりは長かった。
この道は、比較的、車輌の行き交いがあった。
自家用車や貨物車が走っている。
パトカーや、自衛隊の車輌も多かった。
人の気配が多かったので、次第に、放射能への「恐怖感」は薄らいでいった。
◇
・・・不思議なものである。
如何なるメディア媒体も、現在の放射線数値を危険だとは語ってないのである。
私もそれは重々承知で、何ら恐怖を抱いてなかったはずなのに、大多数の国民の恐怖感が、事件の核心に近づくにつれ、私の精神にプレッシャーをかけてきていた。
もはや、そこには理屈はなく、冷徹な数値もなく、ただ、不特定多数の人間で行なわれる多数決の、恐怖を感じるチームの勝利こそが、科学の結果であると言わんばかりなのである。
どのように考えても、現在の放射能数値に恐れる要素はない。
しかし、私は、全世界注目の中心に近づき、大きな恐怖を宿し、
・・・だが、人々の中に戻り、ようやく恐怖を脱すことが出来た・・・。
◇
時おり、牧場の牛舎のような建物が見える。
飯舘村の全村避難にあたって、牧場主には「生き物」である牛(ベコ)を巡っての色んな葛藤があるようで、私も少々、感傷的な気分になった。
<石ポロ坂トンネル>ってのがあり、そのネーミングだけが面白かった(調べても名前の由来が分からない^^;)。
で、そのトンネルを過ぎた辺りから、南相馬市に入る。
この旅の、一応の目的は「伝説のコンビニ」に辿りつくことである。
それは、この南相馬市にある。
市の中心の原町は、かなりの数の商店・飲食店もあり、町としての賑わいがあったが、人の姿はまばらだった。
もっとも、私が訪れたのは、午前の七時で、まだまだ早い時間だったので、お店は開店していなかった。
震災後・原発事故直後、30キロ圏内で開いていたコンビニは「伝説のコンビニ」だけであった。
今は、幾つか営業しているらしいのだが、この時間は開店していないようだ。
一つのコンビニの前で停まって見たが、八時の開店らしい。
◇
ともあれ、私は、先ず、震災を受けたであろう海岸を、この目で見たかった。
12号線をひたすらに東に進む。
信号の交差点には、電光掲示板がついていて、「福島原発20キロ圏内には進入禁止」などの文字が流れていた。
常磐線を高架で越える。
高架があること自体が、この町の規模の大きさを示してくれていた。
県道12号線は国道6号線を越えた辺りから、県道263号線に変わる。
市立病院は大きく、近くに犬猫病院もあった。
道の突き当りには美容院があり、自衛隊と消防隊への感謝の、手書き垂れ幕が大きく掲げられていた。
突き当りを左に曲がる。
「この辺、地図では、かなり海に近いはずだよなぁ。でも、特に震災の被害が見えないのだが・・・」などと、私は独り言を呟いた。
目の前には、斜めに傾いた電柱があった。
「あれ?」と思ったら、その電柱の横に、もう一本の電柱が傾いていた。
「あ、あああ、・・・ああ」
ここからがまさに、津波による被災現場のはじまりであった・・・。
(「後編・タケノコ」に続きます 2011/05/20)
明後日には必ず書き上げます(明日は映画感想かな)。
今日は、「中編」から「後編」の間を少々記しますね・・・。
◇
飯舘村を横断する国道12号線(原町川俣線)・・・、目的地への道のりは長かった。
この道は、比較的、車輌の行き交いがあった。
自家用車や貨物車が走っている。
パトカーや、自衛隊の車輌も多かった。
人の気配が多かったので、次第に、放射能への「恐怖感」は薄らいでいった。
◇
・・・不思議なものである。
如何なるメディア媒体も、現在の放射線数値を危険だとは語ってないのである。
私もそれは重々承知で、何ら恐怖を抱いてなかったはずなのに、大多数の国民の恐怖感が、事件の核心に近づくにつれ、私の精神にプレッシャーをかけてきていた。
もはや、そこには理屈はなく、冷徹な数値もなく、ただ、不特定多数の人間で行なわれる多数決の、恐怖を感じるチームの勝利こそが、科学の結果であると言わんばかりなのである。
どのように考えても、現在の放射能数値に恐れる要素はない。
しかし、私は、全世界注目の中心に近づき、大きな恐怖を宿し、
・・・だが、人々の中に戻り、ようやく恐怖を脱すことが出来た・・・。
◇
時おり、牧場の牛舎のような建物が見える。
飯舘村の全村避難にあたって、牧場主には「生き物」である牛(ベコ)を巡っての色んな葛藤があるようで、私も少々、感傷的な気分になった。
<石ポロ坂トンネル>ってのがあり、そのネーミングだけが面白かった(調べても名前の由来が分からない^^;)。
で、そのトンネルを過ぎた辺りから、南相馬市に入る。
この旅の、一応の目的は「伝説のコンビニ」に辿りつくことである。
それは、この南相馬市にある。
市の中心の原町は、かなりの数の商店・飲食店もあり、町としての賑わいがあったが、人の姿はまばらだった。
もっとも、私が訪れたのは、午前の七時で、まだまだ早い時間だったので、お店は開店していなかった。
震災後・原発事故直後、30キロ圏内で開いていたコンビニは「伝説のコンビニ」だけであった。
今は、幾つか営業しているらしいのだが、この時間は開店していないようだ。
一つのコンビニの前で停まって見たが、八時の開店らしい。
◇
ともあれ、私は、先ず、震災を受けたであろう海岸を、この目で見たかった。
12号線をひたすらに東に進む。
信号の交差点には、電光掲示板がついていて、「福島原発20キロ圏内には進入禁止」などの文字が流れていた。
常磐線を高架で越える。
高架があること自体が、この町の規模の大きさを示してくれていた。
県道12号線は国道6号線を越えた辺りから、県道263号線に変わる。
市立病院は大きく、近くに犬猫病院もあった。
道の突き当りには美容院があり、自衛隊と消防隊への感謝の、手書き垂れ幕が大きく掲げられていた。
突き当りを左に曲がる。
「この辺、地図では、かなり海に近いはずだよなぁ。でも、特に震災の被害が見えないのだが・・・」などと、私は独り言を呟いた。
目の前には、斜めに傾いた電柱があった。
「あれ?」と思ったら、その電柱の横に、もう一本の電柱が傾いていた。
「あ、あああ、・・・ああ」
ここからがまさに、津波による被災現場のはじまりであった・・・。
(「後編・タケノコ」に続きます 2011/05/20)