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Channel: 『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭
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[東日本大震災 (福島での私の思い・48 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(インターミッション)」)]

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☆ごめんなさい、本日、「後編」を書き上げる時間的余裕がありませんでした。

 明後日には必ず書き上げます(明日は映画感想かな)。

 今日は、「中編」から「後編」の間を少々記しますね・・・。

   ◇

 飯舘村を横断する国道12号線(原町川俣線)・・・、目的地への道のりは長かった。

 この道は、比較的、車輌の行き交いがあった。

 自家用車や貨物車が走っている。

 パトカーや、自衛隊の車輌も多かった。

 人の気配が多かったので、次第に、放射能への「恐怖感」は薄らいでいった。

   ◇

 ・・・不思議なものである。

 如何なるメディア媒体も、現在の放射線数値を危険だとは語ってないのである。

 私もそれは重々承知で、何ら恐怖を抱いてなかったはずなのに、大多数の国民の恐怖感が、事件の核心に近づくにつれ、私の精神にプレッシャーをかけてきていた。

 もはや、そこには理屈はなく、冷徹な数値もなく、ただ、不特定多数の人間で行なわれる多数決の、恐怖を感じるチームの勝利こそが、科学の結果であると言わんばかりなのである。

 どのように考えても、現在の放射能数値に恐れる要素はない。

 しかし、私は、全世界注目の中心に近づき、大きな恐怖を宿し、

 ・・・だが、人々の中に戻り、ようやく恐怖を脱すことが出来た・・・。

   ◇

 時おり、牧場の牛舎のような建物が見える。

 飯舘村の全村避難にあたって、牧場主には「生き物」である牛(ベコ)を巡っての色んな葛藤があるようで、私も少々、感傷的な気分になった。

 <石ポロ坂トンネル>ってのがあり、そのネーミングだけが面白かった(調べても名前の由来が分からない^^;)。

 で、そのトンネルを過ぎた辺りから、南相馬市に入る。

 この旅の、一応の目的は「伝説のコンビニ」に辿りつくことである。

 それは、この南相馬市にある。

 市の中心の原町は、かなりの数の商店・飲食店もあり、町としての賑わいがあったが、人の姿はまばらだった。

 もっとも、私が訪れたのは、午前の七時で、まだまだ早い時間だったので、お店は開店していなかった。

 震災後・原発事故直後、30キロ圏内で開いていたコンビニは「伝説のコンビニ」だけであった。

 今は、幾つか営業しているらしいのだが、この時間は開店していないようだ。

 一つのコンビニの前で停まって見たが、八時の開店らしい。

   ◇

 ともあれ、私は、先ず、震災を受けたであろう海岸を、この目で見たかった。

 12号線をひたすらに東に進む。

 信号の交差点には、電光掲示板がついていて、「福島原発20キロ圏内には進入禁止」などの文字が流れていた。

 常磐線を高架で越える。

 高架があること自体が、この町の規模の大きさを示してくれていた。

 県道12号線は国道6号線を越えた辺りから、県道263号線に変わる。

 市立病院は大きく、近くに犬猫病院もあった。

 道の突き当りには美容院があり、自衛隊と消防隊への感謝の、手書き垂れ幕が大きく掲げられていた。

 突き当りを左に曲がる。

「この辺、地図では、かなり海に近いはずだよなぁ。でも、特に震災の被害が見えないのだが・・・」などと、私は独り言を呟いた。

 目の前には、斜めに傾いた電柱があった。

「あれ?」と思ったら、その電柱の横に、もう一本の電柱が傾いていた。

「あ、あああ、・・・ああ」



 ここからがまさに、津波による被災現場のはじまりであった・・・。

                                                   (「後編・タケノコ」に続きます 2011/05/20)

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