☆私は、自分が現場の責任者を任せられたことが何度もあったので、「リーダー」と言うものについて、何度も考えさせられてきたし、今まで何度も「リーダー」と言うものについてエントリーしてきた。
また、ちょいと書いてみようと思う。
◇
上司(リーダー)が変わったことは既に記した。
今までの上司も、私が責任者に一番あってはならないと考える、一部の部下との「癒着(この会社においては精神的な面)」がなかった(つまり、配下の者への効率的な平等)ので、なかなか好感を持っていたものだが、
4月の中旬、給料日締めの変わり目の日から、新しいリーダーが配置転換されてきた。
この方は、今まで、近接する他の部署のリーダーだったが、今回、私の働く部署にやってきた。
簡単に言うと、倉庫作業の表玄関、メインとも言えよう<出荷>の部署だ。
<出荷>の部署は、倉庫作業の全ての部署と密接に絡む大事な部署であるし、お客さんと直接顔を合わす部署でもあり、そのリーダーたるや現場の統括者的な意味合いもある(もちろん、大きな会社なので、その責任者に過重な負荷が掛かってしまうわけではない)。
私はシニカルな男であり、それまで、その新リーダーを知っていたが、イメージ的には、そんなに高い評価で見ていなかった。
人員を小まめに動かしていたが、効果があるようには思えず、何もしないで成り行きに任せる他のリーダーと結果的に同じに思えた。
だったら、メンバーの集中力を阻害する「人員回し」はないほうが良いと考えていた。
事務方の上司とよく言い合いしていたが、その言い方がややエキセントリックなのも嫌だった。
でも、頭の回転は早いように思えた。
だから、私の部署のリーダーになり、チャキチャキと指示を出していったけど、私は、「右の物を左に」「これまでのやり方を逆にしただけ」のイメージしか抱いていなかった。
つまり、見掛けは変われども、実質はこれまでと変わらない。
まあ、新しい上司なので、従いましょうともさ! 程度の認識であった。
・・・だが、新リーダーは、新しいやり方をドンドン推進していった。
先ず、組織の情報伝達のピラミッド形式の厳守や、
その各所のサブリーダーの責任の所在を明確にした。
私にも役割が与えられた。
その役割を任せられた以上は、私は、それを責任持って遂行しなくてはならない。
面倒だが、任命された以上はやらなくちゃならない。
そんな具合に、あやふやだった役割を、部署の目立つ人材に割り振っていった。
面白いのが、役割を任命された人物のほとんどが、私を含め、必ずしも新リーダーに好印象を持っているとは言えない人材だった・・・。
だが、上記のような手法は、かつて、私も責任者の時に読んだものだけど、幾つかのリーダー論を読めば書いてあることだ。
他にも、リーダー・マニュアルに忠実な方式を丁寧になぞっていたので、私は、「この人、マニュアル人間か?」などと、やはりシニカルに見つめていた。
「もしドラ(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)に影響されたか?^^;」
などとも思って、お手並み拝見をしていた。
・・・が、結果は早かった。
一週間が過ぎると、明らかに効率が良くなっているのだ。
だから、私も、薄々と認めざるを得なくなった。
この人は、統括的役割のリーダーは現場に居続けられっこないことを、他人の目を気にせずに実行できていた。
現場リーダーは、現場の指示系統ピラミッドの頂点で適切な指示を出し続けてればいいことを認識していた。
そこが、私のリーダー時と違った。
私は、どうしても現場で体を動かすことに拘った。
そこが私の小者振りだし、貧乏性だ。
また、私は、部下の能力を信用することが出来なかった。
全て、自分で手を加えなくては気が済まなかった。
頭はいいと思うが、ある一定の規模の現場以上は機能させられなかっただろう・・・。
◇
・・・さて、話を新リーダーに戻す。
現場は効率的に機能していた。
私だけに集中していた残業は、分散され、私は全く稼げなくなった^^;
しかし、まあ、全体を思えば、それはしょうがないことだ^^
そして、暇なときは、バイトは早上がりで帰らされていたものだが、それが極力なくなった。
バイトと言っても、常勤である。
暇だからと言って、「ハイ、本日はサヨナラ」が続いては生活が成り立たないだろう。
作業のつながらない時間は、他の日に予定されていた課内安全ミーティングの前倒しや、3S活動がフレキシブルに行なわれた。
それは、新所長の「スピードより品質重視」に則っているのだろう。
でも、私は、これについては、ちょいと不安だ。
震災後で、物量は減っている。
数百人の従業員の働く職場である。
明らかに人件費がかさむ様な気がして、それは数ヵ月後に、かなり大きなダメージになるのではないかと心配している・・・。
休憩時間など、いつもの仲間と話しているのだが、小百合さんなどは、「なんか、その日しのぎの仕事にモチベーションが生まれてきたよね^^」などと言っていた。
新リーダーになってから、多くの新しい手法がいい方向に機能していた。
私は、「改革」を掲げた民主党の実力と失敗を、政権交代以前から看破し得ていた。
そもそも、「改革」と言う言葉自体が胡散臭いので嫌いだった。
だが、私の職場の新リーダーの「改革」はうまくいっていた。
何故か?
簡単である。
人間は、100%の「無私」にはなれないが、新リーダーは、見た目はけして良くないが、その心は清く、「無私」のパーセンテージがかなり高かった。
言い換えれば、全体(会社)のスムーズな進行を自分の喜びと出来るタイプの人間だったのだ。
これは、自民党と「なあなあ」だった集票組織(企業)に、自民党に成り代わって、更に酷い癒着関係でおさまった民主党のお粗末さとは全く逆ベクトルの思考・指向・志向・嗜好・・・、であった。
そこは、全く以て、私も共感できるポイントであった。
多くのリーダーが認識していると思うが、リーダーとは孤独なものなのである。
『もしドラ』&『ドラッカー マネジメント(エッセンシャル版)』 2巻セットクリエーター情報なしダイヤモンド社
◇
・・・だが、そんなリーダーの足を引っ張ろうとするヤカラも出現するもので・・・。
(続く 2011/05/09)
また、ちょいと書いてみようと思う。
◇
上司(リーダー)が変わったことは既に記した。
今までの上司も、私が責任者に一番あってはならないと考える、一部の部下との「癒着(この会社においては精神的な面)」がなかった(つまり、配下の者への効率的な平等)ので、なかなか好感を持っていたものだが、
4月の中旬、給料日締めの変わり目の日から、新しいリーダーが配置転換されてきた。
この方は、今まで、近接する他の部署のリーダーだったが、今回、私の働く部署にやってきた。
簡単に言うと、倉庫作業の表玄関、メインとも言えよう<出荷>の部署だ。
<出荷>の部署は、倉庫作業の全ての部署と密接に絡む大事な部署であるし、お客さんと直接顔を合わす部署でもあり、そのリーダーたるや現場の統括者的な意味合いもある(もちろん、大きな会社なので、その責任者に過重な負荷が掛かってしまうわけではない)。
私はシニカルな男であり、それまで、その新リーダーを知っていたが、イメージ的には、そんなに高い評価で見ていなかった。
人員を小まめに動かしていたが、効果があるようには思えず、何もしないで成り行きに任せる他のリーダーと結果的に同じに思えた。
だったら、メンバーの集中力を阻害する「人員回し」はないほうが良いと考えていた。
事務方の上司とよく言い合いしていたが、その言い方がややエキセントリックなのも嫌だった。
でも、頭の回転は早いように思えた。
だから、私の部署のリーダーになり、チャキチャキと指示を出していったけど、私は、「右の物を左に」「これまでのやり方を逆にしただけ」のイメージしか抱いていなかった。
つまり、見掛けは変われども、実質はこれまでと変わらない。
まあ、新しい上司なので、従いましょうともさ! 程度の認識であった。
・・・だが、新リーダーは、新しいやり方をドンドン推進していった。
先ず、組織の情報伝達のピラミッド形式の厳守や、
その各所のサブリーダーの責任の所在を明確にした。
私にも役割が与えられた。
その役割を任せられた以上は、私は、それを責任持って遂行しなくてはならない。
面倒だが、任命された以上はやらなくちゃならない。
そんな具合に、あやふやだった役割を、部署の目立つ人材に割り振っていった。
面白いのが、役割を任命された人物のほとんどが、私を含め、必ずしも新リーダーに好印象を持っているとは言えない人材だった・・・。
だが、上記のような手法は、かつて、私も責任者の時に読んだものだけど、幾つかのリーダー論を読めば書いてあることだ。
他にも、リーダー・マニュアルに忠実な方式を丁寧になぞっていたので、私は、「この人、マニュアル人間か?」などと、やはりシニカルに見つめていた。
「もしドラ(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)に影響されたか?^^;」
などとも思って、お手並み拝見をしていた。
・・・が、結果は早かった。
一週間が過ぎると、明らかに効率が良くなっているのだ。
だから、私も、薄々と認めざるを得なくなった。
この人は、統括的役割のリーダーは現場に居続けられっこないことを、他人の目を気にせずに実行できていた。
現場リーダーは、現場の指示系統ピラミッドの頂点で適切な指示を出し続けてればいいことを認識していた。
そこが、私のリーダー時と違った。
私は、どうしても現場で体を動かすことに拘った。
そこが私の小者振りだし、貧乏性だ。
また、私は、部下の能力を信用することが出来なかった。
全て、自分で手を加えなくては気が済まなかった。
頭はいいと思うが、ある一定の規模の現場以上は機能させられなかっただろう・・・。
◇
・・・さて、話を新リーダーに戻す。
現場は効率的に機能していた。
私だけに集中していた残業は、分散され、私は全く稼げなくなった^^;
しかし、まあ、全体を思えば、それはしょうがないことだ^^
そして、暇なときは、バイトは早上がりで帰らされていたものだが、それが極力なくなった。
バイトと言っても、常勤である。
暇だからと言って、「ハイ、本日はサヨナラ」が続いては生活が成り立たないだろう。
作業のつながらない時間は、他の日に予定されていた課内安全ミーティングの前倒しや、3S活動がフレキシブルに行なわれた。
それは、新所長の「スピードより品質重視」に則っているのだろう。
でも、私は、これについては、ちょいと不安だ。
震災後で、物量は減っている。
数百人の従業員の働く職場である。
明らかに人件費がかさむ様な気がして、それは数ヵ月後に、かなり大きなダメージになるのではないかと心配している・・・。
休憩時間など、いつもの仲間と話しているのだが、小百合さんなどは、「なんか、その日しのぎの仕事にモチベーションが生まれてきたよね^^」などと言っていた。
新リーダーになってから、多くの新しい手法がいい方向に機能していた。
私は、「改革」を掲げた民主党の実力と失敗を、政権交代以前から看破し得ていた。
そもそも、「改革」と言う言葉自体が胡散臭いので嫌いだった。
だが、私の職場の新リーダーの「改革」はうまくいっていた。
何故か?
簡単である。
人間は、100%の「無私」にはなれないが、新リーダーは、見た目はけして良くないが、その心は清く、「無私」のパーセンテージがかなり高かった。
言い換えれば、全体(会社)のスムーズな進行を自分の喜びと出来るタイプの人間だったのだ。
これは、自民党と「なあなあ」だった集票組織(企業)に、自民党に成り代わって、更に酷い癒着関係でおさまった民主党のお粗末さとは全く逆ベクトルの思考・指向・志向・嗜好・・・、であった。
そこは、全く以て、私も共感できるポイントであった。
多くのリーダーが認識していると思うが、リーダーとは孤独なものなのである。
『もしドラ』&『ドラッカー マネジメント(エッセンシャル版)』 2巻セットクリエーター情報なしダイヤモンド社
◇
・・・だが、そんなリーダーの足を引っ張ろうとするヤカラも出現するもので・・・。
(続く 2011/05/09)