☆忙しい・・・。
足早に語ります。
今日は本職でなく、バイトで、相模原の古淵に行きました。
ゴールデン・ウィークなので、町には家族で出かけている幼女がいっぱいで、眺めていて幸せでした。
暖かい天気で、おじいちゃんに抱かれているくびれた手足が可愛い赤ちゃんもいました^^
鹿島神社に行き着きました。
いつもならば、家族の健康や生活の向上・日本の繁栄を祈るのだが、
今日はさすがに、「そろそろ結婚させてくれぃ」と念じた^^
さて、駅前の区画に、ビン・ラディンの隠れ家のように大きな土地の屋敷があった。
歩いていると、そこから、犬が吠えてきた。
大きな敷地に放し飼いにされているトイ・プードルだ。
私は、この犬を見ると、その目が面白くて、いつも笑ってしまう^^
で、その家の周回するように道を歩いていたら、敷地内を吠えながらついてくる。
壁があるのだが、隙間から私を見て、吠えながらついてついてくる。
面白いし、可愛い^^
私は、そいつを写真に撮りたく、格子の囲いに戻った。
しかし、そいつは、私が歩いて行ってると思い込んでいて、敷地内を周回の道に沿って進んでいた。
バカである^^
でも、愛すべきバカである^^
「おい! おい!」
私が何度も呼ぶと、やっとこっちに気付いて、駆け戻ってきた。
恥ずかしがる様子も無い。
「恥じらいを知らぬヤツだぜ!」
私はなおも吠える<ココア>にシャッターを切った。
<ココア>とは、私が咄嗟に名づけた^^;
・・・作業が終わりに近づいた。
古淵駅前に戻っていくと、とある保育園にこのような看板が!
看板の上に、風車がいっぱい回っているのは、深い意味があるのだろうか?
◇
先日、映画『100,000年後の安全』を観た。
いや、昨夜、彼女と見たのは、この作品じゃないぞ^^;
彼女とは、仲良く『高校デビュー』を見て笑った^^(感想は近日)
・・・さて、映画『100,000年後の安全』は、いちお、反原発の内容である。
評判が良いようなので、私の気持ちに影響が出るかなと素直な気持ちでも観た。
100,000年後の安全 - goo 映画
<・・・原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。(作品資料より)・・・>
だそうだ。
しかし、くだらなかった。
何ら具体的な表現を用いず、延々と「超ド級の危険物」として、放射性廃棄物の恐怖を煽り続けていた。
もう、「危険」は前提で、それについて語るつもりはない様だった
フィンランドの孤島に作られる「オンカロ」と呼ばれる放射性廃棄物最終処理施設の「あり方」について、関係者が素人みたいな問答を繰り返す。
この施設は22世紀に完成するそうで、その地下深くへ掘り進む発破工の作業が交互に描かれる。
メチャクチャである。
なんで、延々と発破工の作業を見せられなくちゃならないのか?
つまり、この作品は、現時点では、語るべき「気持ち」だけはあるが、見せるべきものはない状況なのである。
トンネルは、現在、誰が歩いても何ら害のないトンネルに過ぎないのだが、あたかも、そこが放射能で充満しているかのようなこけおどしのイメージを被せている。
私は呆れたと言うか、飽きて、少し寝た^^;
しかし、アート系の作品を手がけてきた、この作品の監督は、論理的でないが、なんか、妙に見てて心地良い映像をこさえている。
インタビューを受ける者たちの表情や手振り見振り、トンネルの非日常空間の描写、章立てされた作品の、それぞれの章のダーツの標的のような絵柄と警告のような効果音、「内容がない」のに、なんか面白いのであった。
だから、この作品を評価する多くのバカな人は、この作品に騙されてしまうのだろう。
また、「10万年」と言うキーワードに、私が子供の頃に見た茨城は水戸の歴史館の庭に、石碑のように存在していた<タイムカプセル>に感じたような、未来とつながる物への「畏怖」みたいなものは全編を通して漲らせていた。
「オンカロ」と言うネーミングにも(「秘された場所」の意らしい)、カリスマがある。
とにかく、この作品には、欧米人の放射能への「言い知れぬ恐怖」が充満している。
私は、一般の欧米人の知能指数は、あまり高くないと感じている。
いまだに、自国の字さえ読めない者もいるらしいし、
672円の買物をする時に、気を利かして1000円札と172円を渡したりすると、その利便を計算できないのが外国人である。
放射能の恐怖も具体的に解明しようとさえしない。
具体的に考えたら、十万年間に思いを馳せようなどとは思うまい。
だから、十万年後の世界を想像すること自体も異常だが、それに明快な答えを出せないのも異常だ。
作中、十万年前のネアンデルタール人も理解できないのだから、十万年後の人間の考え方など分からないと言うのだ。
私に言わせたら、「お前ら、根本的に狂ってるわ!」である。
答えは簡単なのである。
私などは、少なくとも、このようなイメージを起こせる。
「人類は、200年以内に、放射能の恐怖を科学で克服できる」
「オンカロ」の10万年間に対し、下らない想像をするよりも、
科学が放射能を研究し尽くし、大気中での無効化か、身体的な無効化を想像する方が、自然のことであろう。
こんな作品を有り難がって鑑賞する人が多いのには驚く。
反原発の人に言いたいのは、仮に、全ての原発がなくなっても、放射性廃棄物は、もう、充分すぎるほど、世界中に存在してしまっているからね^^;
例えば、こんなんさえある。
《防護服など放射性廃棄物大量発生 先見えぬ原発ごみ処分 (産経 2011/05/03)》
<東京電力福島第1原発の事故対応で、現場で発生したゴミの処理が深刻な問題として浮上している。水素爆発による瓦礫(がれき)のほか、高い放射線量を防ぐための使い捨て装備など、厳重管理が求められる放射性廃棄物が大量発生しているが、処分の見通しは立っていない。
■先例
遠隔操作の重機を使った撤去作業が本格化している大量の瓦礫。参考になるのが、日本で初めて商用原発の廃炉が進められている日本原子力発電・東海原発(茨城県東海村)の例だ。
同原発で解体に伴うコンクリートや金属などの廃棄物の総量は約20万トン。このうち放射性廃棄物となるものは約12%、2万3500トンと見込まれている。
廃棄物を減量するため、可能な限り焼却、切断、破砕などの処理を施し、専用ドラム缶に入れて貯蔵建屋で厳重保管する。東海原発での実績は、平成22年末までで計510トン、ドラム缶約1460本分にのぼり、原電も「ノウハウは福島第1原発に十分生かせる」と自信をみせる。
■毎時900ミリシーベルトも
だが事前に核燃料を取り出して作業が行われた東海原発と違い、今回問題となっているのは、福島第1原発の瓦礫などが発する高い放射線量だ。
福島第1原発で回収された瓦礫からは、おおむね毎時100〜200ミリシーベルトの放射線が出ており、中には毎時900ミリシーベルトと高線量のものもある。
瓦礫はコンテナに詰められ、敷地内のグラウンドに“野ざらし”にされているが、コンテナから1メートル離れた場所の線量でさえ、毎時1〜2ミリシーベルトという。
国際原子力機関(IAEA)の基準では、年間0・01ミリシーベルト以上の放射線を出せば放射性廃棄物として扱うとされているが、「高レベルの放射性廃棄物と、そうでないものが、一体どれくらいの量になるのか見当がつかない」(東電)。
近畿大原子力研究所の杉山亘講師は「放射線レベルの高低にかかわらず、福島第1原発の瓦礫は放射性廃棄物として扱い、しっかりと管理する必要がある」と、放射線量レベルによって区分しようとする東電の考え方に懸念を示す。
■使い捨て装備
作業員が身につける防護服やマスクなど、復旧作業に伴って大量に出される装備も放射性廃棄物になる。
通常、防護服は専用のランドリー施設で洗濯して再利用するか、放射線量が高い場合は焼却し、灰を放射性廃棄物として処分する。
だが、今回の東日本大震災の影響で、専用のランドリー施設などが使えず、防護服は“使い捨て”。毎日、数百着の防護服がポリ袋に詰められ、敷地内の倉庫に積み上げられている。4月末時点で約4万着に達したという。
ほかにも、東電社員や作業員らが排出する食料品の容器など生活ゴミや、排泄(はいせつ)物も低レベルの放射性廃棄物扱いになるという。
東電は「現在は特定の場所でしっかり管理しているが、処分方法のメドが立たない。保管場所にも限界がくる」と、問題の深刻さを認めている。(原子力取材班)>
・・・良かったですね。
反原発の方は、これで、まだまだヒステリーを継続できるよ^^ 良かったね^^
私ァ、寝る・・・。
(2011/05/04)
足早に語ります。
今日は本職でなく、バイトで、相模原の古淵に行きました。
ゴールデン・ウィークなので、町には家族で出かけている幼女がいっぱいで、眺めていて幸せでした。
暖かい天気で、おじいちゃんに抱かれているくびれた手足が可愛い赤ちゃんもいました^^
鹿島神社に行き着きました。
いつもならば、家族の健康や生活の向上・日本の繁栄を祈るのだが、
今日はさすがに、「そろそろ結婚させてくれぃ」と念じた^^
さて、駅前の区画に、ビン・ラディンの隠れ家のように大きな土地の屋敷があった。
歩いていると、そこから、犬が吠えてきた。
大きな敷地に放し飼いにされているトイ・プードルだ。
私は、この犬を見ると、その目が面白くて、いつも笑ってしまう^^
で、その家の周回するように道を歩いていたら、敷地内を吠えながらついてくる。
壁があるのだが、隙間から私を見て、吠えながらついてついてくる。
面白いし、可愛い^^
私は、そいつを写真に撮りたく、格子の囲いに戻った。
しかし、そいつは、私が歩いて行ってると思い込んでいて、敷地内を周回の道に沿って進んでいた。
バカである^^
でも、愛すべきバカである^^
「おい! おい!」
私が何度も呼ぶと、やっとこっちに気付いて、駆け戻ってきた。
恥ずかしがる様子も無い。
「恥じらいを知らぬヤツだぜ!」
私はなおも吠える<ココア>にシャッターを切った。
<ココア>とは、私が咄嗟に名づけた^^;
・・・作業が終わりに近づいた。
古淵駅前に戻っていくと、とある保育園にこのような看板が!
看板の上に、風車がいっぱい回っているのは、深い意味があるのだろうか?
◇
先日、映画『100,000年後の安全』を観た。
いや、昨夜、彼女と見たのは、この作品じゃないぞ^^;
彼女とは、仲良く『高校デビュー』を見て笑った^^(感想は近日)
・・・さて、映画『100,000年後の安全』は、いちお、反原発の内容である。
評判が良いようなので、私の気持ちに影響が出るかなと素直な気持ちでも観た。
100,000年後の安全 - goo 映画
<・・・原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられている。これは、放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。(作品資料より)・・・>
だそうだ。
しかし、くだらなかった。
何ら具体的な表現を用いず、延々と「超ド級の危険物」として、放射性廃棄物の恐怖を煽り続けていた。
もう、「危険」は前提で、それについて語るつもりはない様だった
フィンランドの孤島に作られる「オンカロ」と呼ばれる放射性廃棄物最終処理施設の「あり方」について、関係者が素人みたいな問答を繰り返す。
この施設は22世紀に完成するそうで、その地下深くへ掘り進む発破工の作業が交互に描かれる。
メチャクチャである。
なんで、延々と発破工の作業を見せられなくちゃならないのか?
つまり、この作品は、現時点では、語るべき「気持ち」だけはあるが、見せるべきものはない状況なのである。
トンネルは、現在、誰が歩いても何ら害のないトンネルに過ぎないのだが、あたかも、そこが放射能で充満しているかのようなこけおどしのイメージを被せている。
私は呆れたと言うか、飽きて、少し寝た^^;
しかし、アート系の作品を手がけてきた、この作品の監督は、論理的でないが、なんか、妙に見てて心地良い映像をこさえている。
インタビューを受ける者たちの表情や手振り見振り、トンネルの非日常空間の描写、章立てされた作品の、それぞれの章のダーツの標的のような絵柄と警告のような効果音、「内容がない」のに、なんか面白いのであった。
だから、この作品を評価する多くのバカな人は、この作品に騙されてしまうのだろう。
また、「10万年」と言うキーワードに、私が子供の頃に見た茨城は水戸の歴史館の庭に、石碑のように存在していた<タイムカプセル>に感じたような、未来とつながる物への「畏怖」みたいなものは全編を通して漲らせていた。
「オンカロ」と言うネーミングにも(「秘された場所」の意らしい)、カリスマがある。
とにかく、この作品には、欧米人の放射能への「言い知れぬ恐怖」が充満している。
私は、一般の欧米人の知能指数は、あまり高くないと感じている。
いまだに、自国の字さえ読めない者もいるらしいし、
672円の買物をする時に、気を利かして1000円札と172円を渡したりすると、その利便を計算できないのが外国人である。
放射能の恐怖も具体的に解明しようとさえしない。
具体的に考えたら、十万年間に思いを馳せようなどとは思うまい。
だから、十万年後の世界を想像すること自体も異常だが、それに明快な答えを出せないのも異常だ。
作中、十万年前のネアンデルタール人も理解できないのだから、十万年後の人間の考え方など分からないと言うのだ。
私に言わせたら、「お前ら、根本的に狂ってるわ!」である。
答えは簡単なのである。
私などは、少なくとも、このようなイメージを起こせる。
「人類は、200年以内に、放射能の恐怖を科学で克服できる」
「オンカロ」の10万年間に対し、下らない想像をするよりも、
科学が放射能を研究し尽くし、大気中での無効化か、身体的な無効化を想像する方が、自然のことであろう。
こんな作品を有り難がって鑑賞する人が多いのには驚く。
反原発の人に言いたいのは、仮に、全ての原発がなくなっても、放射性廃棄物は、もう、充分すぎるほど、世界中に存在してしまっているからね^^;
例えば、こんなんさえある。
《防護服など放射性廃棄物大量発生 先見えぬ原発ごみ処分 (産経 2011/05/03)》
<東京電力福島第1原発の事故対応で、現場で発生したゴミの処理が深刻な問題として浮上している。水素爆発による瓦礫(がれき)のほか、高い放射線量を防ぐための使い捨て装備など、厳重管理が求められる放射性廃棄物が大量発生しているが、処分の見通しは立っていない。
■先例
遠隔操作の重機を使った撤去作業が本格化している大量の瓦礫。参考になるのが、日本で初めて商用原発の廃炉が進められている日本原子力発電・東海原発(茨城県東海村)の例だ。
同原発で解体に伴うコンクリートや金属などの廃棄物の総量は約20万トン。このうち放射性廃棄物となるものは約12%、2万3500トンと見込まれている。
廃棄物を減量するため、可能な限り焼却、切断、破砕などの処理を施し、専用ドラム缶に入れて貯蔵建屋で厳重保管する。東海原発での実績は、平成22年末までで計510トン、ドラム缶約1460本分にのぼり、原電も「ノウハウは福島第1原発に十分生かせる」と自信をみせる。
■毎時900ミリシーベルトも
だが事前に核燃料を取り出して作業が行われた東海原発と違い、今回問題となっているのは、福島第1原発の瓦礫などが発する高い放射線量だ。
福島第1原発で回収された瓦礫からは、おおむね毎時100〜200ミリシーベルトの放射線が出ており、中には毎時900ミリシーベルトと高線量のものもある。
瓦礫はコンテナに詰められ、敷地内のグラウンドに“野ざらし”にされているが、コンテナから1メートル離れた場所の線量でさえ、毎時1〜2ミリシーベルトという。
国際原子力機関(IAEA)の基準では、年間0・01ミリシーベルト以上の放射線を出せば放射性廃棄物として扱うとされているが、「高レベルの放射性廃棄物と、そうでないものが、一体どれくらいの量になるのか見当がつかない」(東電)。
近畿大原子力研究所の杉山亘講師は「放射線レベルの高低にかかわらず、福島第1原発の瓦礫は放射性廃棄物として扱い、しっかりと管理する必要がある」と、放射線量レベルによって区分しようとする東電の考え方に懸念を示す。
■使い捨て装備
作業員が身につける防護服やマスクなど、復旧作業に伴って大量に出される装備も放射性廃棄物になる。
通常、防護服は専用のランドリー施設で洗濯して再利用するか、放射線量が高い場合は焼却し、灰を放射性廃棄物として処分する。
だが、今回の東日本大震災の影響で、専用のランドリー施設などが使えず、防護服は“使い捨て”。毎日、数百着の防護服がポリ袋に詰められ、敷地内の倉庫に積み上げられている。4月末時点で約4万着に達したという。
ほかにも、東電社員や作業員らが排出する食料品の容器など生活ゴミや、排泄(はいせつ)物も低レベルの放射性廃棄物扱いになるという。
東電は「現在は特定の場所でしっかり管理しているが、処分方法のメドが立たない。保管場所にも限界がくる」と、問題の深刻さを認めている。(原子力取材班)>
・・・良かったですね。
反原発の方は、これで、まだまだヒステリーを継続できるよ^^ 良かったね^^
私ァ、寝る・・・。
(2011/05/04)