☆「ヱヴァ新劇:Q」のサウンドトラックが、アマゾンから届いた。
Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0サントラキングレコード
「ヱヴァ:破」でのサントラの発売時には、そのあまりの面白さに一週間に5回も観てしまった後だったのだが、今回は初日に二回観ただけなので、音楽にそれほどの思い入れは起こらなかった。
・・・のだが、購入予約はしていた^^;
「ヱヴァ:破」のサントラ初回プレス版には、ボーナスディスクが付いていて、
それは、採用されなかったもう一つの物語に沿ったサントラであり、
五度も「ヱヴァ:破」を見た私には、もう一つの「ヱヴァ:破」の物語の可能性が、実に鮮明に見て取れたものだ。
それは、一つのパラレルワールドを示していることに他ならない。
私は、自分自身、「ヱヴァ:Q」のサントラにも思い入れを持ちたく思い、三観目にチャレンジした。
シネコンの大きなスクリーンで、客入りは、1/10位だった。
公開されてから二週間経つし、それにしてはなかなかの入りだ。
三観目の印象を記しておく。
先ず、シンジ君だが、かなり精神的に追い込まれる。
これは、庵野監督の方向性なのだと思う。
「破」までの盛り上がりは、いったんリセットされる。
それでも、旧シリーズに比べると、その、物語としての完成度は高い。
追い詰め方の整合性がしっかりとした骨格をもっているのだ。
だが、破綻した旧シリーズほどの爆発力はない。
これは、全ての作家に言えることだが、例えば、黒澤監督の前期(用心棒・七人侍・羅生門など)の「勢い」は、後期には見られず、しかし、大きな「安定感」(乱・影武者など)があるのと同じだ・・・。
私の中では今、「旧エヴァ劇場版」の「まごころを、君に」の荒削りな、庵野監督の情緒むき出しの展開が、俄然 評価を高めている。
あの救いようの無さは、いっそ清々しいものがあった。
だが、今回の作品において、その屈折は、段階を追った絶望感でしかなかった。
例えると、「生理的に嫌われる」のと「過ちを犯し嫌われる」・・・、その違いと言えば分かりやすいだろう。
それは庵野監督自身が分かっていて、だからこそ、カヲル君に「贖罪」「可能性」という言葉を使わせている。
「過ちを犯し嫌われ」た者は、その後の行いで、汚名を返上できるのだな。
また、私は、今回のシンジ君に非常に強さを感じた。
それは、私たちが『ヱヴァ:破』のシンジ君の成長を見ていたからなのかも知れないが、物語上、シンジ君が、それを経験しているとしていないのとでは、今回の作中行動では、かなりの違いが出てしまっていたのではないかと思うのだ。
かなり苦悩しているが、それでいて、そんな自分を肯定する言葉を語れるまでに、シンジ君は成長しているのだった・・・。
アスカも、すっかり大人になっていて、意外にもマリといいパートナーとなっているし。
・・・すいません、眠いので、今夜は寝ます。
今もウツラウツラしているので、ちゃんとした文章を書けているか、心配ですわ^^;
(次回のためのメモ書き)・・・今作での連弾…、『ベティブルー』を思い出す。
・・・14年後のエヴァ世界を描いた作品だが、多くのファンが14年後のキャラの変化にとまどう。
さて、個々のキャラの立場になって考えると、果たして、そのいずれの変化も、なかなか間違っていないのではなかろうか・・・。
(2012/12/12)
Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0サントラキングレコード
「ヱヴァ:破」でのサントラの発売時には、そのあまりの面白さに一週間に5回も観てしまった後だったのだが、今回は初日に二回観ただけなので、音楽にそれほどの思い入れは起こらなかった。
・・・のだが、購入予約はしていた^^;
「ヱヴァ:破」のサントラ初回プレス版には、ボーナスディスクが付いていて、
それは、採用されなかったもう一つの物語に沿ったサントラであり、
五度も「ヱヴァ:破」を見た私には、もう一つの「ヱヴァ:破」の物語の可能性が、実に鮮明に見て取れたものだ。
それは、一つのパラレルワールドを示していることに他ならない。
私は、自分自身、「ヱヴァ:Q」のサントラにも思い入れを持ちたく思い、三観目にチャレンジした。
シネコンの大きなスクリーンで、客入りは、1/10位だった。
公開されてから二週間経つし、それにしてはなかなかの入りだ。
三観目の印象を記しておく。
先ず、シンジ君だが、かなり精神的に追い込まれる。
これは、庵野監督の方向性なのだと思う。
「破」までの盛り上がりは、いったんリセットされる。
それでも、旧シリーズに比べると、その、物語としての完成度は高い。
追い詰め方の整合性がしっかりとした骨格をもっているのだ。
だが、破綻した旧シリーズほどの爆発力はない。
これは、全ての作家に言えることだが、例えば、黒澤監督の前期(用心棒・七人侍・羅生門など)の「勢い」は、後期には見られず、しかし、大きな「安定感」(乱・影武者など)があるのと同じだ・・・。
私の中では今、「旧エヴァ劇場版」の「まごころを、君に」の荒削りな、庵野監督の情緒むき出しの展開が、俄然 評価を高めている。
あの救いようの無さは、いっそ清々しいものがあった。
だが、今回の作品において、その屈折は、段階を追った絶望感でしかなかった。
例えると、「生理的に嫌われる」のと「過ちを犯し嫌われる」・・・、その違いと言えば分かりやすいだろう。
それは庵野監督自身が分かっていて、だからこそ、カヲル君に「贖罪」「可能性」という言葉を使わせている。
「過ちを犯し嫌われ」た者は、その後の行いで、汚名を返上できるのだな。
また、私は、今回のシンジ君に非常に強さを感じた。
それは、私たちが『ヱヴァ:破』のシンジ君の成長を見ていたからなのかも知れないが、物語上、シンジ君が、それを経験しているとしていないのとでは、今回の作中行動では、かなりの違いが出てしまっていたのではないかと思うのだ。
かなり苦悩しているが、それでいて、そんな自分を肯定する言葉を語れるまでに、シンジ君は成長しているのだった・・・。
アスカも、すっかり大人になっていて、意外にもマリといいパートナーとなっているし。
・・・すいません、眠いので、今夜は寝ます。
今もウツラウツラしているので、ちゃんとした文章を書けているか、心配ですわ^^;
(次回のためのメモ書き)・・・今作での連弾…、『ベティブルー』を思い出す。
・・・14年後のエヴァ世界を描いた作品だが、多くのファンが14年後のキャラの変化にとまどう。
さて、個々のキャラの立場になって考えると、果たして、そのいずれの変化も、なかなか間違っていないのではなかろうか・・・。
(2012/12/12)