☆朝、会社の駐車場で産経新聞を読んでいたら、怒るよりも呆れた。
超簡単に説明する。
あまりにも、左翼(日教組などね)が跳梁跋扈する教育界を憂いて、15年前に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した。保守派の多くは一丸となり、この組織に集ったが、いつしか、敵の敵は味方的に、変な奴らも集ってきたし、また、中心にいた人物達も、元共産党員の反動保守であったり、元々の性根が左翼的で、偶然一つの具体例が保守的な考え方に合致していただけの人物らもいた。定期的に内紛が起こり、5年前、老害に侵食された「つくる会」から、多くの離脱者が出た。「お前らが出て行かないから、俺らが出て行くぜ!」って感じ。離脱者達は、八木秀次・元「つくる会」会長のもとに集い、「日本教育再生機構」を旗揚げした。私、ミッドナイト・蘭もその一人だ。「つくる会」の教科書の出版元はフジサンケイグループの扶桑社で、だが、内紛を経、契約のシステムに我欲を反映させる「つくる会」と距離を取ることにして、日本教育再生機構の編集する教科書の出版元となった。扶桑社はその後、教科書に特化する出版社として育鵬社を作り、扶桑社の教科書作成を継承した。もはや、「つくる会」の一部の首脳が扶桑社(育鵬社)から出版されていた教科書に所有権を主張するのはおかしかった。いや、扶桑社(育鵬社)とても、教科書の一部を書いた「つくる会」の方々へやぶさかでない思いはあった。部分的には、ほんの部分的にはその人らが執筆していたのは確かだ。ささやかな感情の問題に過ぎないが・・・。だが、それ以上に、「つくる会」は、もはや、道理をわきまえない「全て俺らのもの」的な、大陸・半島的なメンタリティを前面に押し出してきた。そう、「つくる会」の離脱者たちは、そんな、「つくる会」の日本人らしからぬ振る舞いに、そもそも愛想を尽かしていたのだ。そして、この直近の五年間、「つくる会」は、教科書作りのあらゆる局面において不始末を繰り返した。杜撰な記述、他社からの盗作に告ぐ盗作、教育再生機構への僻み・妬み・嫉みの感情から来る裁判沙汰の乱発・・・(私も、一度 訴えられている^^;)、常軌を逸した組織行動である。そういった、どんどん退会者が出る中で「つくる会」が行なった策は、全て裏目に出た。昨年の教科書採択結果も、教育再生機構の大躍進で終わった。もはや、そこには、正義の欠片もなく、ただ、会に固執する中心人物と、そこにのみ居場所を求められない、正常なバランスを失った群れが、大陸や半島、国内の左翼などとの作用・反作用の関係にのみ存在を確認するしかない組織と堕してしまっていた・・・。
それが、ここにきて、またも、怖気を振るうような頓珍漢な訴えを起こしたのだ・・・。
その人格に対し、コテンパンに愛想を尽かされて振られた男が、
女が、自分で働いて稼いだ金で買った洋服に対し、「俺とつき合っていた時に着ていた服だから俺のものだ! だから脱いで、そして返せ!」と言っているようなものだ。
「はぁ・・・」と、私はため息をつく。
竹島や尖閣諸島に対しての半島や大陸のリアクションにそっくりだが、
だが、半島(南朝鮮)や大陸(支那)には、自分らが不利になるので国際法廷には訴えないことについての変な理屈を構築する「思慮」はある。
だが、「つくる会」は、内部で、自分らの考え(の間違い)を再検討する「思慮」をもち得ず、自家ヒステリーのみを肥大させているが故に、周囲(社会の客観的な視線)を鑑みることなく、訴訟などに突っ走るのである・・・。
まあ、今の「つくる会」は、社会へ起こした非常識への反作用で存在意義を発揮しているが故に、このような愚行に至るは必然でもある。
・・・しかし、このまま、社会に無視され続ければ、なーんか、またぞろ、過去の屈辱を思い出して・掘り返して、私にまで飛び火してくるかもしれないなぁ・・・^^;
・・・と、思いつつ、残業を終えて帰宅。
私はポストに届いていた郵便物を取り出す。
なにやら、講演会のお知らせが来ていた、「あっ! 教育再生機構からかな?^^」と、私は、その場で立ち止まり、詳細を読む。
「・・・えっ!?」
・・・「つくる会」からだった・・・。
・・・なんで、なんで、かつて訴えた相手に、講演会のお誘いを送って来るんだよぉ!
ハガキ代と印刷代と手間がもったいないですよ・・・^^;
(2012/10/20)
超簡単に説明する。
あまりにも、左翼(日教組などね)が跳梁跋扈する教育界を憂いて、15年前に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した。保守派の多くは一丸となり、この組織に集ったが、いつしか、敵の敵は味方的に、変な奴らも集ってきたし、また、中心にいた人物達も、元共産党員の反動保守であったり、元々の性根が左翼的で、偶然一つの具体例が保守的な考え方に合致していただけの人物らもいた。定期的に内紛が起こり、5年前、老害に侵食された「つくる会」から、多くの離脱者が出た。「お前らが出て行かないから、俺らが出て行くぜ!」って感じ。離脱者達は、八木秀次・元「つくる会」会長のもとに集い、「日本教育再生機構」を旗揚げした。私、ミッドナイト・蘭もその一人だ。「つくる会」の教科書の出版元はフジサンケイグループの扶桑社で、だが、内紛を経、契約のシステムに我欲を反映させる「つくる会」と距離を取ることにして、日本教育再生機構の編集する教科書の出版元となった。扶桑社はその後、教科書に特化する出版社として育鵬社を作り、扶桑社の教科書作成を継承した。もはや、「つくる会」の一部の首脳が扶桑社(育鵬社)から出版されていた教科書に所有権を主張するのはおかしかった。いや、扶桑社(育鵬社)とても、教科書の一部を書いた「つくる会」の方々へやぶさかでない思いはあった。部分的には、ほんの部分的にはその人らが執筆していたのは確かだ。ささやかな感情の問題に過ぎないが・・・。だが、それ以上に、「つくる会」は、もはや、道理をわきまえない「全て俺らのもの」的な、大陸・半島的なメンタリティを前面に押し出してきた。そう、「つくる会」の離脱者たちは、そんな、「つくる会」の日本人らしからぬ振る舞いに、そもそも愛想を尽かしていたのだ。そして、この直近の五年間、「つくる会」は、教科書作りのあらゆる局面において不始末を繰り返した。杜撰な記述、他社からの盗作に告ぐ盗作、教育再生機構への僻み・妬み・嫉みの感情から来る裁判沙汰の乱発・・・(私も、一度 訴えられている^^;)、常軌を逸した組織行動である。そういった、どんどん退会者が出る中で「つくる会」が行なった策は、全て裏目に出た。昨年の教科書採択結果も、教育再生機構の大躍進で終わった。もはや、そこには、正義の欠片もなく、ただ、会に固執する中心人物と、そこにのみ居場所を求められない、正常なバランスを失った群れが、大陸や半島、国内の左翼などとの作用・反作用の関係にのみ存在を確認するしかない組織と堕してしまっていた・・・。
それが、ここにきて、またも、怖気を振るうような頓珍漢な訴えを起こしたのだ・・・。
その人格に対し、コテンパンに愛想を尽かされて振られた男が、
女が、自分で働いて稼いだ金で買った洋服に対し、「俺とつき合っていた時に着ていた服だから俺のものだ! だから脱いで、そして返せ!」と言っているようなものだ。
「はぁ・・・」と、私はため息をつく。
竹島や尖閣諸島に対しての半島や大陸のリアクションにそっくりだが、
だが、半島(南朝鮮)や大陸(支那)には、自分らが不利になるので国際法廷には訴えないことについての変な理屈を構築する「思慮」はある。
だが、「つくる会」は、内部で、自分らの考え(の間違い)を再検討する「思慮」をもち得ず、自家ヒステリーのみを肥大させているが故に、周囲(社会の客観的な視線)を鑑みることなく、訴訟などに突っ走るのである・・・。
まあ、今の「つくる会」は、社会へ起こした非常識への反作用で存在意義を発揮しているが故に、このような愚行に至るは必然でもある。
・・・しかし、このまま、社会に無視され続ければ、なーんか、またぞろ、過去の屈辱を思い出して・掘り返して、私にまで飛び火してくるかもしれないなぁ・・・^^;
・・・と、思いつつ、残業を終えて帰宅。
私はポストに届いていた郵便物を取り出す。
なにやら、講演会のお知らせが来ていた、「あっ! 教育再生機構からかな?^^」と、私は、その場で立ち止まり、詳細を読む。
「・・・えっ!?」
・・・「つくる会」からだった・・・。
・・・なんで、なんで、かつて訴えた相手に、講演会のお誘いを送って来るんだよぉ!
ハガキ代と印刷代と手間がもったいないですよ・・・^^;
(2012/10/20)