☆ワーナーマイカル系で「シネアーツ」と題し、劇場が都内だけであったり、各地の数館で限定されるのみだった作品群を期間限定で公開してくれている。
◇
今回は、見たかった作品『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー監督)』だ。
子供たちのケンカで、片方が歯を折るケガに至り、加害男子側の両親が、被害男子側の両親宅に示談交渉で訪れている。
リベラルを自称する被害側両親の穏やかな対応に、加害側のセレブ夫婦は、自分らの言い分(息子が暴力を振るうに至った経緯、など…)を語りたいのを抑えつつ、思ったよりも和やかな対面の中、双方合意の書類が作成され、面談は終わろうとしていた。
しかし、そこまでも、ささやかに、被害側の母親(ジョディ・フォスター)がチクチクと糾弾的なセリフをあらわにしていたのだが、別れ際に、加害側の二人に訊ねてしまう。
・・・「ザッカリー(加害少年)は、反省しているの?」「今回の件をどう考えているの?」「本人に謝罪させて」「私に処罰をさせて」「イーサンの顔は変形し苦しんでいる」などなど。
ジョディ・フォスターは、被害者100%を信じて疑っていないギスギスした社会意識の強い主婦を神経質にうまく演じている。
私はそもそも、ジョディ・フォスターは苦手で、今回の役もかなり不快だったが、その演技力には感心させられる。
アフリカの民族紛争についての著作もある作家役なのだが、議論がこじれるにつれて、その対象国に感情移入する様子を、人権活動家としてのジェーン・フォンダに例えられ激怒する様は、似て非なる属性にあるジョディ・フォスターにとって痛し痒しだろう。
で、被害側母親の言葉の表現に納得がいかず、「変形なんて言葉を使うべきじゃないだろ?」などと、ついボソリと言い返すのが加害側の父親で、この弁護士の父親を、『イングロリアス・バスターズ』でナチス親衛隊を演じ、物語をさらったクリストフ・ヴァルツが演じている。
薬害訴訟問題を担当していて、息子の起こした傷害の話し合いに際しても、電話が鳴り止まないで、何度も電話に出てしまい、議論を中断させる。
クリストフ・ヴァルツの演技は、私にはまだまだ新鮮で、非常に楽しめた。
その妻を、ケイト・ウィンスレットが常識的に演じていて、私には、四人が丁々発止する展開の中で、この人に一番共感した。
それは、ケイト・ウィンスレットが美しいからだけではない(ジョディに比して、やたらと綺麗に見えた^^)。
途中から、本音をぶちまけ、被害を受けた子供にも暴力を振るわれる理由があることを語ったり、夫のうるさい携帯を花瓶の水の中に沈めたりとやりたい放題だが、それこそ、その気持ちが良く分かるのだ。
この人、かなりの演技派でありつつ、近作では自ら堕胎をする主婦だったり、今作ではゲロを「ボゲ〜!」と吐いたりと色々と過酷な演技をするので感心させられる^^;
被害男児の父親はジョン・C・ライリー。
この父親も、割と、小市民的に常識的なんだが、話の中で、息子のハムスターが邪魔なので、外に捨ててきてしまったことを話してしまい、なんら罪悪感を持ってないことからくる、動物の虐待及び子供の権利無視を加害側母親から糾弾され困ってしまうのだった。
この四人、作品中、けして平等に、その善悪が計算されている訳ではない。
ただ、見る者の生活状況によって、感情移入する相手は異なるだろうことはわかる。
そして、議論はこじれにこじれ、数ラウンドに至る・・・。
◇
元は舞台劇だそうで、この四人の延々と続く 議論・口論・愚痴・世間話で上映時間が流れていく。
序盤からかなりの緊張感で面白い!
私はこれを、「スワッピング夫婦ケンカ」と呼びたい。
夫婦VS夫婦のタッグマッチかと思いきや、いつしか、夫婦間の仲間割れも起こり、
子供のケンカの示談は、いつしか、それぞれの夫婦離別へと突き進む勢いだ・・・。
やはり、双方の連れ添いの「あられもない本性」に直面させられる図式と言うのは「スワッピング」としての本義であろうよ・・・。
エピローグのおおらかさも含めて、素晴らしい作品だと思う。
即座に再見したいくらいだ^^v
(2012/05/19)
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今回は、見たかった作品『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー監督)』だ。
子供たちのケンカで、片方が歯を折るケガに至り、加害男子側の両親が、被害男子側の両親宅に示談交渉で訪れている。
リベラルを自称する被害側両親の穏やかな対応に、加害側のセレブ夫婦は、自分らの言い分(息子が暴力を振るうに至った経緯、など…)を語りたいのを抑えつつ、思ったよりも和やかな対面の中、双方合意の書類が作成され、面談は終わろうとしていた。
しかし、そこまでも、ささやかに、被害側の母親(ジョディ・フォスター)がチクチクと糾弾的なセリフをあらわにしていたのだが、別れ際に、加害側の二人に訊ねてしまう。
・・・「ザッカリー(加害少年)は、反省しているの?」「今回の件をどう考えているの?」「本人に謝罪させて」「私に処罰をさせて」「イーサンの顔は変形し苦しんでいる」などなど。
ジョディ・フォスターは、被害者100%を信じて疑っていないギスギスした社会意識の強い主婦を神経質にうまく演じている。
私はそもそも、ジョディ・フォスターは苦手で、今回の役もかなり不快だったが、その演技力には感心させられる。
アフリカの民族紛争についての著作もある作家役なのだが、議論がこじれるにつれて、その対象国に感情移入する様子を、人権活動家としてのジェーン・フォンダに例えられ激怒する様は、似て非なる属性にあるジョディ・フォスターにとって痛し痒しだろう。
で、被害側母親の言葉の表現に納得がいかず、「変形なんて言葉を使うべきじゃないだろ?」などと、ついボソリと言い返すのが加害側の父親で、この弁護士の父親を、『イングロリアス・バスターズ』でナチス親衛隊を演じ、物語をさらったクリストフ・ヴァルツが演じている。
薬害訴訟問題を担当していて、息子の起こした傷害の話し合いに際しても、電話が鳴り止まないで、何度も電話に出てしまい、議論を中断させる。
クリストフ・ヴァルツの演技は、私にはまだまだ新鮮で、非常に楽しめた。
その妻を、ケイト・ウィンスレットが常識的に演じていて、私には、四人が丁々発止する展開の中で、この人に一番共感した。
それは、ケイト・ウィンスレットが美しいからだけではない(ジョディに比して、やたらと綺麗に見えた^^)。
途中から、本音をぶちまけ、被害を受けた子供にも暴力を振るわれる理由があることを語ったり、夫のうるさい携帯を花瓶の水の中に沈めたりとやりたい放題だが、それこそ、その気持ちが良く分かるのだ。
この人、かなりの演技派でありつつ、近作では自ら堕胎をする主婦だったり、今作ではゲロを「ボゲ〜!」と吐いたりと色々と過酷な演技をするので感心させられる^^;
被害男児の父親はジョン・C・ライリー。
この父親も、割と、小市民的に常識的なんだが、話の中で、息子のハムスターが邪魔なので、外に捨ててきてしまったことを話してしまい、なんら罪悪感を持ってないことからくる、動物の虐待及び子供の権利無視を加害側母親から糾弾され困ってしまうのだった。
この四人、作品中、けして平等に、その善悪が計算されている訳ではない。
ただ、見る者の生活状況によって、感情移入する相手は異なるだろうことはわかる。
そして、議論はこじれにこじれ、数ラウンドに至る・・・。
◇
元は舞台劇だそうで、この四人の延々と続く 議論・口論・愚痴・世間話で上映時間が流れていく。
序盤からかなりの緊張感で面白い!
私はこれを、「スワッピング夫婦ケンカ」と呼びたい。
夫婦VS夫婦のタッグマッチかと思いきや、いつしか、夫婦間の仲間割れも起こり、
子供のケンカの示談は、いつしか、それぞれの夫婦離別へと突き進む勢いだ・・・。
やはり、双方の連れ添いの「あられもない本性」に直面させられる図式と言うのは「スワッピング」としての本義であろうよ・・・。
エピローグのおおらかさも含めて、素晴らしい作品だと思う。
即座に再見したいくらいだ^^v
(2012/05/19)