☆(前編からの続き)・・・「4コマ漫画」的なサイレント映画の展開であるが、役者の演技は総じて素晴らしかった。
主演の二人・・・。
時代に乗り遅れるスター、ジョージ・ヴァレンティンを演じたジャン・デュジャルダンの優しい「作り笑顔」・・・、
新進のスター女優ペピー・ミラーを演じたベレニス・ベジョの真摯な涙・・・、ともに素晴らしかった。
演技陣が、この作品を、「普遍的なもの」としての評価を確固たるものにしてくれていた。
かろうじて、か・・・。
作品中、「サイレント映画中のサイレント映画」の時代が終わりを告げる。
トーキーの登場で、これにより、サイレント映画のスター ジョージの退潮が始まる。
ここは物語上の起伏であり、物語的に必要な要素だろう。
そして、当然ながら、サイレント映画故に、トーキーの表現なれど、声は聞こえない。
そもそも、サイレント映画の中で、サイレント映画を語るのが、そもそも、構造的にちょいと難しいこと。
まあ、こまでは良い。
しかし、その後、人気の下降する中で悩むジョージ・ヴァレンティンは、酒に酔う中で、自分だけが声の出ない幻想を見る。
ここでは、ジョージ以外の外界の音が出るのだ。
サイレント映画ではないのだ。
つまり、ここで、昨今の映画技術の発達を、ささやかな生活の音を強調する中で、感じさせようとしたのだろう。
とても効果があった。
サイレント映画での、音楽以外の生活音が出ると言う、普通の作品での「当たり前」を、「当たり前」とは別に実感させてくれる凄い効果だ。
だが、それによって、この作品は「サイレント映画」ではなくなった。
サイレント映画中に、メタ表現を用いた「キワモノ作品」になりかねない危険をはらんでいる。
そして、エンディングにおいても、サイレント作品為らざる展開を見せる。
面白い・・・、面白いが、それは、あまりにも「1アイディア映画」的な小手先展開にも思えた。
「どうだい、最新の技術を用い、こんな効果を生むことも出来るよ」てな感じ。
それはそれで分かる。
だが、この作品が、作品世界を壊す、安易な技術導入をしているとも思えてしまう・・・。
一緒に見た彼女は、この作品を「恐いシーンが多かったね」と評した。
確かに、ジョージ・ヴァレンティンが人気を減退させていく様は、心理作用を生む音響がクローズアップもされ、白黒の画面も手伝い、イメージ的に恐怖を感じただろう。
また、ジョージ・ヴァレンティンの持っていた置物「見ざる言わざる聞かざる」の三匹の猿の強調にも恐怖を感じたと思う。
思えば、私には、ここでの「見ざる言わざる聞かざる」の置物の強調は、サイレント→トーキー→カラー→3D、なんて、一種のメディア論へのつながりと、何らかの主張を見るのだが、
・・・今日は眠いので、この辺でやめておきます・・・^^;
(2012/04/11)
主演の二人・・・。
時代に乗り遅れるスター、ジョージ・ヴァレンティンを演じたジャン・デュジャルダンの優しい「作り笑顔」・・・、
新進のスター女優ペピー・ミラーを演じたベレニス・ベジョの真摯な涙・・・、ともに素晴らしかった。
演技陣が、この作品を、「普遍的なもの」としての評価を確固たるものにしてくれていた。
かろうじて、か・・・。
作品中、「サイレント映画中のサイレント映画」の時代が終わりを告げる。
トーキーの登場で、これにより、サイレント映画のスター ジョージの退潮が始まる。
ここは物語上の起伏であり、物語的に必要な要素だろう。
そして、当然ながら、サイレント映画故に、トーキーの表現なれど、声は聞こえない。
そもそも、サイレント映画の中で、サイレント映画を語るのが、そもそも、構造的にちょいと難しいこと。
まあ、こまでは良い。
しかし、その後、人気の下降する中で悩むジョージ・ヴァレンティンは、酒に酔う中で、自分だけが声の出ない幻想を見る。
ここでは、ジョージ以外の外界の音が出るのだ。
サイレント映画ではないのだ。
つまり、ここで、昨今の映画技術の発達を、ささやかな生活の音を強調する中で、感じさせようとしたのだろう。
とても効果があった。
サイレント映画での、音楽以外の生活音が出ると言う、普通の作品での「当たり前」を、「当たり前」とは別に実感させてくれる凄い効果だ。
だが、それによって、この作品は「サイレント映画」ではなくなった。
サイレント映画中に、メタ表現を用いた「キワモノ作品」になりかねない危険をはらんでいる。
そして、エンディングにおいても、サイレント作品為らざる展開を見せる。
面白い・・・、面白いが、それは、あまりにも「1アイディア映画」的な小手先展開にも思えた。
「どうだい、最新の技術を用い、こんな効果を生むことも出来るよ」てな感じ。
それはそれで分かる。
だが、この作品が、作品世界を壊す、安易な技術導入をしているとも思えてしまう・・・。
一緒に見た彼女は、この作品を「恐いシーンが多かったね」と評した。
確かに、ジョージ・ヴァレンティンが人気を減退させていく様は、心理作用を生む音響がクローズアップもされ、白黒の画面も手伝い、イメージ的に恐怖を感じただろう。
また、ジョージ・ヴァレンティンの持っていた置物「見ざる言わざる聞かざる」の三匹の猿の強調にも恐怖を感じたと思う。
思えば、私には、ここでの「見ざる言わざる聞かざる」の置物の強調は、サイレント→トーキー→カラー→3D、なんて、一種のメディア論へのつながりと、何らかの主張を見るのだが、
・・・今日は眠いので、この辺でやめておきます・・・^^;
(2012/04/11)