☆・・・書いた日:2011/06/05
文中時間:2011/05/15
『・・・☆南相馬の海岸線を散策し、荒涼とした泥土の野原の中で、放射能の浜風に吹かれつつ、その中に「希望」を見い出し、私は、車に戻り、南相馬市内を走った。
市街地には、津波の影響はない。
そして、南相馬市は、警戒区域境界線及び圏内なのに、不思議と放射能が少ない地域でもある。
地形的な問題であろう。
町の中心部は道が狭く、個人商店などが並んでいたが、早い時間なので開店していないし、そもそも、多くは避難しているのかも。
区画整理などが為されていない町の風景は、「昭和」をかすかに思い出させる。
東北は、古き良き時代を思い出させる。
ダムを巡っていた時、緑深き山奥に近代的な設備を見い出すと、一瞬、驚かされるのだが、東北の自然は、それさえも大自然の一要素に取り込んでしまっている。
県道62号線を西に進んでいると、「遺留品展示場」の立て看板があった。
下世話な興味本位の感情において、私は少し触手が動いた。
しかし、私の旅の目的は、そこにはないので、素通りした。
……そして、見つけた!
東京電力福島第1原子力発電所から25キロメートル圏内で、震災後に初めて店を開いていた「伝説のコンビニ」・<セブン・イレブン 原町西町店>だ。
感動はない、普通に存在していた。
それは、あたかも、「幸福の青い鳥」が、実は、一番身近に存在していたと言う事にも似ているような、似ていないようなさりげなさだ^^;
駐車場に車は多く、多くのお客さんが来ていた。
もしかして、午前8時が開店だったのかな。
店の前には、女の子が「一人たむろ」して携帯を打っていた。
最近、女の子に流行っている、艶めかしい模様つきの黒いストッキングを履いているのだが、嘗め回すように、下から上に視線を上げていくと、顔がスッピンで興が冷めた。
いつもは化粧しているだろう眉なしの顔は、欠落感がつのるのだ。
そこら辺の認識が、東京の女とは違う「詰めの甘さ」であろう。
ゴミ箱の中の袋を取り替えている女性店員がいた。
「いらっしゃいませ~♪」と元気がいい。
私は、店内に入る。
普通の光景。
マガジンコーナーでは、コンビニ売りの「カイジ」を読んでいるニート風もいる。
いちお、店内を一周するも、特に変わったものはない。
品薄感もない。
私は、新聞スタンドから産経を取ろうとしたら、産経がない
産経の販売エリアではないのだろう。
で、福島民報を手にした。
それから、品数豊富な弁当コーナーでは、<3つのヒミツ!極上ロール>を選んだ。
私は、セブンイレブンの紙コップのレギュラーコーヒー<バリスターズ・カフェ>を常飲している。
だが、このコーヒー機を設置しているセブンイレブン店舗は少ない。
私が通勤中に立ち寄る<セブン・イレブン 片倉南店>にはあり、いつも飲んでいる。
ある日、違うセブンイレブンに行き、「紙コップのレギュラーコーヒーはないのか?」と聞いたら、店員に「セブンイレブンではやってませんね~」と言われ、私は心の中で、「セブンイレブン全体じゃないだろ!? この店舗ではやっていないだけだろッ!!」と毒づいた。
……しかし、さすがは「伝説のコンビニ」!!
<原町西店>にはありました^^
Lサイズを購入。
レジは二つで、二人の店員さんが切り盛りしていた。
片方は、ここの店長さんでしょう。
ニュースで、その顔を見たことあります^^
もう片方は、スマートな初老の男性がやっていた。私は、こちらで会計してもらった。
先ず、電子マネー<nanaco>に千円チャージして、支払いをした。
合計金額がちょうど400円で、なんか嬉しかった。
私は、この旅の目的「<伝説のコンビニ>での買物」を果たし、ご満悦で店を出た。
店の外では、まだ、女性店員がゴミ袋を取り替えていて、「有り難う御座いました!」と元気に上品に言った。
おそらく、オーナー店長の奥さんなのかな?
……うん、で、だ。
この奥さんと、オーナーと、私の会計をしたロマンスグレーが、泥沼の三角関係にあったと仮定してみるのはいかがだろうか?
……震災後。
オーナー 「やむを得ない。避難するぞ」
奥さん 「私は残ります。お客さんの為に、店を開くべきです」
オーナー 「とは言ってもなぁ……」
ロマンス 「私も、奥方さんと残って店を開いていたいと思います」
オーナー 「なに! (さては、俺が避難した後に、よろしくやるつもりだな!)……じゃ、じゃあ、俺も残るぞ」
奥さん 「よ、良かった^^」
ロマンス 「で、では、早速、開店の準備をしましょう」
……これが、開店の真相だ!
……な訳ないだろッ!!! スイマセン
だいたい、私は、コンビニの店員に可愛い子がいたら、いつも、その子をデートに誘うパターンを妄想したりする。
コンビニって、男の妄想さえも満たしてくれる最高の場所だ!^ ^
さあ、私は「伝説のコンビニ」を口ずさみながら、南相馬の町を後にするのだった。』
◇
……かつて、狙撃されたケネディ大統領の脳を、奥さんがなんとかしようとかき集めていた姿は衝撃的だった。
失うしかなかった者は、震災にしても、ウクライナにしても、その日常の断片をかき集めるしかない。
(2022/03/11)