☆・・・もう、いてもたってもいられないので、日本最速で観に行く。
最近のディズニーは、その方向性が行き過ぎていて怖い、と何度も言っているが、『トイストーリー』は、また違った意味で怖い。
それは、人の見ていないトコで生きているオモチャの存在であり(行き着く果てはチャッキー^_^;)、
持ち主によって魔改造される人形たちであったり、
と、そこまでは、まあ、いい。
だが、『2』あたりから、持ち主に必要とされなくなったオモチャ、が語られるようになり、見ている私たち人間も、客観的に見ていられなくなる。
そこには、社会において必要とされなくなった自分たち、の未来像が語られるからだ。
必要とされなくなった存在は、『3』において、溶鉱炉のシーンで極まる。
私はゾッとしつつ、その後の、やや和らいだ展開に安堵した。
そこには、『カーズ3』でも語られた「引退」にも似た、オモチャたちの持ち主の、オモチャたちからの「卒業」が描かれるのだった。
そこには、新しい持ち主の「入学」があった。
さて、完璧に終わっていたはずの『トイストーリー』、更なる物語がはじまる。
オモチャでない存在(使い捨てフォーク)が、持ち主の想い一つでかけがいのないオモチャとされ、
また、『1』でお嬢様のアイコンであった人形が、最近のディズニーのテーマ「男女同権」によって「自立した女性」と変貌を遂げていたりする(そのテーマのやり過ぎは、私は、悪平等へ至る道とも思っている^_^;)。
そんな中で、ウッディはどんな決断をするのか?
それは、私たちの未来の選択と重なる。
未来には、希望とともに、絶望もある。
だから、怖い。
(2019/07/12)