☆・・・「競技ディベート」と言うものがある。
それは議論の形を取り、簡単に言うと「討論の説得力を競い合う競技」である。
ここでは、特に、議論のテクニックが競われ、例えば、そうだな、安保法制が反対でも、自分が安保法制肯定派に振り分けられれば、そちらの側に立った主張をしなくてはならない。
私は、そういったもの(ディベート)が嫌いで、自分の主義と正義感に合致したサイドでないとモチベーションが消滅するタイプである(私は安保法制には賛成!)。
政治とは、実社会に影響を与えるものである。
実社会を幸せに導くものである。
それぞれの政治家の主義・主張・正義感が多様なのはわかる。
だが、より多くの人が幸せになる「現実事象」はある。
より多くの人が幸せになる「現実事象」が、政治では多数派になれる。
自民党には多くの不備はあれど、プラマイでプラス(幸せ)がより上にあるから、長年 与党でいられる。
だが、たまに政治を「競技ディベート」とはき違えている政治家がいる。
政治を「競技ディベート」とはき違えている有権者がいる。
内実(政策)度外視で、政治における「競技ディベート」を続ける候補者がいて、それに騙されるバカ有権者がいる。
かつて、それを繰り返していたのが小沢一郎である。
それで、自分が中心にいられる多数派工作ばかりを延々と続けていた・・・。
そして、今、それを継承して、もはや大衆は騙され得ないだろうにはじめて、なかばうまくいっている愛弟子に小池百合子がいる。
もはや、そこには政策はない。
より多くの人が幸せになる「現実事象」は、ない。
ただ、ただ、聴衆を騙すテクニックを駆使しているだけだ。
ディベートのテクニック上位では、かつての小泉純一郎がいた。
なんか知んないけど、その口調は妙な説得力を持ち、偏った話を自信満々で言うものだから、聞いている者たちは「そんなものか」と納得させられちゃうのだ。
蓮舫もうまかった。
ひたすらに、よく通る声で活舌豊かに語るものだから、ムチャクチャな言いぐさも、聞いている者の頭にクリアーに聞こえるのである。
小池百合子も、かなり活舌が良い。
それは大きな武器であるが、ギスギスなれども若さのある蓮舫に対し、小池百合子の老いはビハインドである。
いや、小池百合子には、若さなくても若狭ありってか!^^;
かつて、「あー、うー」と言うドモリで物真似されていた大平正芳総理だが、なんとなくイメージ悪く、ディベートになると勝利できないタイプだっただろう。
だが、その言葉を文章に起こすと、記者などの添削がいらないほど、文法的に完璧だったそうだ。
「戦後政界指折りの知性派」との評もあるとのこと。
国民の幸せは、こういう人物から生まれるのかも・・・。
・・・もう出掛ける時間だ。
田中角栄のことについて書く余裕がない。
要は、政治詐欺のテクニックに騙されるな! ってこと!!
(2017/10/07)