映画『ハドソン川の奇跡』予告編
☆・・・邦題がダサく感じて、傑作揃いのイーストウッド作品だが、それほど乗り気の鑑賞ではなかった。
のだが、う~む、やっぱり傑作でした。
イーストウッドの作品には、ちゅうか、世の中の物語というものは、ほとんど「勝負の構造」とともにある(恋愛ものとて「勝負」である)。
要は、イーストウッドは、勝負をうまく見せることに神がかっている(当たり外れあるが、スタローンも凄い)。
実話を描いた『ハドソン川の奇跡』は、そのあらすじだけならば、『世界まる見えテレビ特捜部』や『奇跡体験アンビリーバブル』の番組中で20分くらいで充分に語れよう。
旅客機事故から、乗客全員を生還に導いた機長のサリー、時代のヒーロー扱いとなるが、事故調査委員会は、そのもっとリスクのない解決策があったはずだ、機長のやり方はことを荒立てただけの犯罪的な行為だと糾弾してくるのだった・・・。
だが、映画とは、そこに深い人間の情動を込め、芸術的なのか職人芸なのか判別がつけられないが、絶妙の、時系列を前後させるモンタージュでクライマックスの「勝利」にカタルシスを起こさせる。
この作品は、そのカタルシスが非常に大きい。
そこに至る過程は、クライマックスの公聴会へ、極上の法廷ミステリーとしても楽しめる。
似たような題材のデンゼル・ワシントン主演の『フライト』と比べ、きっちり白黒つけてくれるのでわかりやすい。
また、この作品では、「事務方による論理のお仕着せを強いられる、経験知から得た決断を実行した現場作業者の苦悩」という、世の中の現場作業者が抱く根源的なテーマが描かれている。
もちろん、社会には、傍若無人な現場に振り回される事務方もいるが、この作品の事例では、前者が正しく、皆を納得させる展開となっている。
ふと思ったのだが、イーストウッドの、劇的な状況を淡々と描いて盛り上げる作風は吉村昭の小説に近いような気がする。
(2016/09/27)