☆・・・昨日も一昨日も、暇と予想されつつ、ちゃんと盛況となるのが有り難かった。
昨夜など、午後10時に「うー、暇だにゃー、まあ、早仕舞いして、サイゼで飲むか」などと思っていたら、登録されているけど、覚えのない方からの電話で、「これから、ちょいと団体で行く」とのこと^^
来店すると、「ああ、この方だったか^^」と記憶がよみがえる。
私、それにてホクホク。
常連のお一人様のお客さんもチラホラと来店し、話題は、誘拐監禁され行方不明だった埼玉県朝霞市の女子中学生が2年ぶりに保護された事件の話になる。
命に別状なく帰ってきたけど、これから、あの女の子は、マスコミによるセカンドレイプ、サードレイプで苦しむことになる。
文春も新潮も、明日発売号では記事を載せるのかな。
今は、あの女の子は、帰還した喜びの渦中にあれど、すぐに事件報道の些細なことがフラッシュバックやトラウマとなって突き刺さっていくかも知れない。
事件報道は大事だが、その詳細の報道は、被害者を傷つけることも多い。
子供と言うのは精神的に柔軟であり、何ごともなかったかのように回復するかもしれないが、反対に、心の根っこの部分に傷をおって生きていくことになるかも知れない。
私は、この女の子について、これまで、たびたびFacebookで情報提供を訴える、女の子の顔写真付きのタイムラインを見てきた。
そのたびに、私は、嫌な気分にさせられた。
Facebookと言うのは、氷水を被るキャンペーンや、一連のSEALDsのデモ告知など、愚かさの喧伝が、能天気にされることが多かった。
私は、この女の子の、失踪の情報提供のタイムラインを良くないと思った。
状況は3つ考えられた。
先ずは、この情報提供タイムラインが活きる状況、つまり、女の子が自発的に家出し、どこかで誰かと生活している、と言う場合だ。
しかし、それにしては、この女の子は若過ぎた。
わらにも縋る思いの両親だが、そんなあっけらかんと家出するような娘ではないのはわかっているからこその情報提供依頼なのだろうから。
次に、既に何者かによって亡きものにされている状況だ。
それだと、情報提供のタイムラインが狭義では意味を為さない。
・・・そして、最後。
私は、可能性の帰結として、これしかないと考えていた。
外界から隔離・断絶された場所での監禁。
これの場合も、情報提供のタイムラインが狭義では意味を為さないと考えていた。
いや、それはおろか、助かった後、女の子の名前も写真もタイムリーには出てこないけど、すぐに検索され、下世話な興味とともに社会にさらされてしまうことになるぞ、と。
シェアしている人の、想像力の貧困にも、当時、暗澹たる思いにさせられた。
お前ら、この子の写真をコピー拡散させているんだぞ! と。
なんで、長期的な視野でものを見れないんだよ! と。
命に別状なく、女の子は帰って来た。
これから、本人と家族は、この高度情報社会、もとい低度情報化社会に傷つけられるだろう。
これは、もう、誰にも止められない激しい津波みたいなものだ。
だけど、私は、なんとかして希望を見出したい。
被害者の女の子が美しい子であることが希望となる。
どんなに傷つけられようが、「美は揺るがない」。
いつか、本当に本当に強靭な精神と身体の、とてつもなく包容力のある男と恋愛できるだろう。
その男一人で社会をイメージできるほどの器の男だ。
その男が言うのだ。
「ハハハ^^ なーに、気にすんな、よくある事故だ! これからは安心しろ!」
しばらくはちょっと辛いけど、未来を夢見ていってください。
◇ ◇ ◇
(付録)
[神戸の女児殺害遺棄事件](2014/09/24)
・・・う~、かような、子供が酷い殺害され方をする事件が起きると、我が家に地デジを通していないことに安堵もする。
少なくとも、テレビニュースを見ないで済むから。
でも、ワイドショーなど見なくても、私の心は張り裂けそうだ。
ともあれ、先のことを考えたい。
全ての子供の身体に、GPSを埋め込むのが、予防の第一だろう。
それで、常に、子供の状況を把握する。
腕とかだと、犯罪者にあらかじめGPSを切除されたりする可能性があるので、身体の中心に仕込んで欲しい。
子供の人権云々を言う人がいるかも知れないが、子供の人権は、両親兄弟と仲良く暮らすことに勝るものではない。
それから、少なくとも、性犯罪前科者の行動にも厳重な制限を加え、やっぱり、その身体にもGPSを埋め込んで、行動を常に監視したい。
まあ、それでも、加害者が、逃げることなど考えもせずに、「やぶれかぶれ」で「捨て鉢」な行動を取ったら、命は一瞬で奪われてしまうんだよなぁ!
私はカンボジアに10回行き、10回記念で、とりあえず、行くのをやめたのですが、最初に行ったときは1993年のUNTAC(カンボジア暫定統治機構)撤退直後で、非常に危険な時期でもありました。
未だ、カンボジア虐殺の狂気の政体ポル・ポト派の残党が、カンボジア各地に存在していたのです。
ただ、そのとき思ったのが、
「本当に怖いのは、あらかじめ備えのできる狂気の組織じゃないな」と言うことでして、
「今、こうして、俺を遺跡案内している男が、森の奥深くで豹変し、俺を殺害し、金品を奪う…、と言う可能性こそが、真に恐ろしいことなんじゃないか?」だったのです。
私が言いたいのは、現代日本の視点で見れば、
今、シリアでテロ活動に勤しんでいる、あらかじめ対応策の取れる「イスラム国」と言うテロ組織よりも、
神戸の少女を殺害せしめた犯人のほうが、地球レベルでのテロ(恐怖)をまき散らしている「悪魔」と言えるんじゃないかと・・・。(2014/09/24)
◇ ◇ ◇
私は常に先見の明がありますな・・・。
現在の日本では、テロ組織よりも、個人レベルの犯罪者のほうが危険なのである。
(2016/03/29)