☆・・・ウドスと初めて会ったのは20年くらい前、私が成田空港勤務だった頃だ(30歳くらい)。
私が、正職のほかに、会社に内緒で蕎麦屋でバイトしていた時、彼が後からバイトで入ってきた。
和食の料亭で働いていたが辞めて、とりあえず、蕎麦屋の厨房で働くことにしたのだそうだ。
なんか、とにかく、スピード重視の調理をしていた。
面白い顔をしていて、最初からギャグが冴えていて、新参者なのに、俺らのコミュニティにグイグイ入ってきた。...
高校生の女の子たちのバイトや、あんちゃんどもを惹きつけて、私や、私の親友の今は亡きN君も巻き込んで、バイトの後は、成田山でかくれんぼしたり、おじゃが池で肝試ししたり、ラブホのロビーを見学に行ったり、イベントがなくてもファミレスでダベり続ける青春。
彼の盛り上げのおかげで、私は数年を女子高生とつきあうことができた^^
ああ、みんなでタイに行ったこともあった。
彼はモテたが、童貞だったので、ある一定のレベルからの女の扱いがわからないようで、私が暗躍できた、うひひ^^
その後、私は東京に戻る。
今は亡きN君(二十歳くらい)の東京進出に続いて、ウドス(二十歳未満)も東京に来た。
二人には、東京での接触はなかったが、なんか若き力を発散させたくて、高円寺界隈で小劇団に入り、それぞれ頭角を現わすのだった。
ウドスも、この頃、モテまくり、お姉さんがたに囲まれ、「オトナ」になったようだ^^
そして、いちお、東京に「ウドス」のマーキングを施し、彼は地元・富里に帰る。
そこからの動向が、私には少しわからないのだが、彼は、有名ラーメン店での修行を開始したそうだ。
その有名ラーメン店では、最初は入社を拒絶されたそうだが、食い下がり、数年が経ち、その有名ラーメン店の本店の店長になっていたそうだ。
その苦労は偲ばれる・・・。
そう言えば、蕎麦屋でも、一度、クビになりかけたのだが、ニコニコ笑いながら出社し続けるので、クビの話がなくなったのだ^^;
そして、今回、独立し、東金に店を出した。
昨日、弟と甥っ子と「らぁめん屋 うどす」に向かう。
弟は飲食業界に携わり、もう長い。
飲食店に向ける目も厳しい。
私はと言うと、ウドスに気づかれないように行き、食い終えて、トイレのトイレットペーパーを全部 強奪して帰ろうと思った。
が、席に座り、厨房のウドスと目が合うと、ウドス、三度見して、「ああ、よしやさん・・・^^」と気づいちゃうのだった。
広いキャパの店、たくさんの若い従業員、多彩なメニュー、続々と入ってくるお客さん・・・、感動した。
厨房では、ナンバー2のイケメン君と、一つのラーメン容器に四本の手を伸ばし、シャカシャカと調理している。
「スピード重視」だ!!!
お客さんが入ると、「らっしゃい!」と威勢もいい。
ウドスのフェイスブックによると、「まだまだ経営は苦戦」とのことだが、異常に多数の人脈に恵まれている、この男に対し、私は「少しくらい、苦労してくれなきゃ^^」と思うのだった。
バイトの娘の一人が、私のかつての女子高生の彼女のごとき童顔でもあった・・・。
テーブルに、ラーメンが運ばれてきた。
問題は、・・・味だぜ!!!
2杯づつは食す所存だが、先ずは、弟は塩、甥っ子は醤油、私は背脂・煮干しで濃厚な「ギドラ」っちゅうのを頼んでいた。
いっぱいトッピングしてくれていた。
見栄えは、いずれも美しい。
餃子もサービスしてくれた。
さて、弟が実食。
「あっ、これ、うまい!」
甥っ子も食う。
「ふがふが!」
私、「うん、うまい」。
それぞれの、スープを交換して飲んでみる。
シンプルな醤油や塩は繊細で、ギドラは濃厚なうまさ!
味の硬軟の使い分けがお見事!!
すぐに完食!
2杯目に!
私は「こってり醤油背脂」、弟は「超ギドラ」、甥っ子はヘタレで2杯目は食えなかった^^;
弟は繊細なものから濃厚へ、うまいシフトチェンジ!
私は、濃厚から、繊細濃厚に、失敗の流れだ^^;
が、その上品な背脂に、舌の鈍りなく、おいしく食べた。
そこへウドスが挨拶に来た。
昔のギャグマンの面影が店ではなくて、腕の筋張った「男」の風格。
「家族が5人で来ても、それぞれ違う味を決定版的に食べさせられる店にしているんだ^^ まだまだ、増やすよ!」
あたい 「へーっ、ラーメンのデパートだね^^」
弟 「塩の繊細さが素晴らしいね」
「塩は難しくて、まだまだ味が一定しなくて、試行錯誤の面があります^^;」
弟 「このお店は、もうすぐに、有名になるでしょうね」
・・・私たちは満足し、店を後にするのだった。
2杯づつ食べたってのに、もちろんおなか一杯ではあるが、満腹の嫌気は起こらない・・・、そう言った味の抑制さが、このお店のラーメンにはあった。
(2015/10/13)