☆・・・私は、大学で教職過程を受講していたこともあり、また、この年齢になると、これまでの仕事の中で、例えば、数十人と言う請負現場の責任者などになり、人の指導を考えさせられることもしばしばあった。
お店では、仲良くなったお客さんに、意見することもあるし^^;
そんな中で思うのが、悪いほうに流れている人物・悪い状況の人物を、いかにして、良いほうへ向かう手助けをするか、という問題がある。...
もちろん、そこには、受動者の、現状への漠然とした、「このままではいけないんじゃないか」という疑問があり、「自分を変えたい」という不満を持っていることが前提だ。
いや、そんな前提もいらないのかもしれない、ただ、ちょっぴり、自分を変えてくれる人を信じる素直さだけでもいい。
・・・もちろん、私は、そんな状況の中で、自分の力不足を痛感して生きてきた。
この作品、企画物のようでいて、主人公に起こった変革が、自力・他力、ともに段階を追って丹念に描かれていて、クライマックスはもちろん、話の要所要所で私は泣かされた。
普通の可愛いタレントにしか思ってなかった有村架純が、全くツッコミを入れられない完ぺきな演技でおバカなギャルを演じていた。
おバカなギャルの決断と変革が伝わってきた。
主人公さやかには、親譲りの素直さと意志の強さがあった。
転機は、仲間をかばい、喫煙の罪を一人で受けて無期停学になったことに始まる。
エスカレーター式に大学まで行けて、あとは適当な男と結婚…、という図式に乱れが生じたとき、さやかは「この先・未来」を考えさせられる。
かくして、母親に連れられて、とある学習塾に向かう。
そこで、さやかは良き指導者と出会い、自分が今まで知らなかった世界を知る。
さやかは辛い勉学の生活に入り、だが、「未来なき楽な生活」に舞い戻ることはなかった。
人間というのは、「幻影の安楽の生活」から脱することが非常に難しい生き物だ。
だが、さやかは挫けない。
さやかというドン底偏差値の頑張りは、次第に、家族を変え、親友を変え、指導者さえも変え、小さな世界を変えてゆく。
さやかが慶応に受かれば、いつの日か、大きな世界も変わっていくだろう、さて・・・!
私は、このようなスポ根展開が大好きである。
受験テーマでは、『受験のシンデレラ』なども、ビデオ屋でレンタルして是非 観てください。
金儲け主義の塾講師が、末期ガンに侵され、そんな中で知り合った貧しい少女に、自分の受験テクニックの全てを尽くして東大合格に導く物語。
また、全然関係ないんだけど(いや、ちょっとは関係ある)、私が最も感動した短歌を挙げておきます。
黒板に 書かれたことが すべてなら
白いチョークを ひとつください
作者の名は、当時女子高生の樋口リカさんだそうだ。
途端に、私は、とてつもないドラマが、「バーン!」と頭に広がり、感動した。
女学生が、何らかの苦難にぶつかったのだろう。
それは、彼女の、初めての、<人生における障害>であったのかも・・・。
それまで、何不自由なく生活してきて、おそらく、大それたことなどではなく、生活の中でのささやかな願望は、常に達成してしかるべきだと、信じて疑ってこなかった<夢見る乙女>の終焉のときだったのかも知れない。
2004/05/02の産経新聞にこの短歌が載せられ、評されていた。
評者の福島泰樹氏が、その評で語ってくれている。
『・・・(この歌を)唇にのせた途端、鮮烈な感動が体を走った。作者に会うべく車を飛ばした。校長室に入って来たのは、セーラー服の清楚な少女だった。
大学に入り、演劇をやりたい。しかし家の事情で、許してもらえない。思い余って先生に相談した。すると、それが君の運命だよ、という返事が返ってきた。生まれて初めて短歌を書いた・・・』
この女の子は、その後、この歌が福島泰樹氏の目にとまり、多くのメディアで紹介され、娘の演劇への進路を許さなかった父親の心を動かしたと言う。
この歌における、この高校生の主張は、あまりにも穏やかで、無力でもある。
私は、そのせめてもの<抵抗>にホロリとさせられる。
「黒板に自分の想いを書く」、そんな、はたから見たらささやかな事が、この高校生の精一杯の<過激な反抗>なのである。
・・・おそらく、育ちがいいのであろう。暴力的な発想が微塵も感じられない。
しかし、そう言わせている心情には芯の強さが窺われ、毅然としていて、揺るぎない。
彼女の暮してきた環境から生成させられる<決断>としては、最も激烈なる思いであるだろう。
そう・・・、彼女の生活においては<限界>があり、この短歌には、この女子高生・樋口リカさんの限界バリバリの過激な思いが込められているのだ。
人の心を打たないわけがない。
清く、正しく、美しい、究極の歌である。
(2015/05/06)