☆・・・《福岡の福島応援店、放射能心配と出店中止に (2011年9月8日12時23分 読売新聞)》
<東京電力福島第一原発事故の風評被害で苦しむ福島県の農家らを支援しようと、福岡市西区の商業施設「マリノアシティ福岡」で17日に予定されていた「ふくしま応援ショップ」の開店が、中止されることになった。
出店を計画していた同市の市民グループ「ふくしまショッププロジェクト」に、「福島からトラックが福岡に来るだけでも放射性物質を拡散する」といったメールや電話が相次いだためで、同団体は新たな出店先を探すという。
同団体によると、農産品の宅配を行う「九州産直クラブ」(福岡市南区)と連携し、マリノアシティ内の農産品直売所「九州のムラ市場」の一角で開業する予定だった。生鮮食料品の取り扱いをやめ、福島県の生産者から仕入れたジャムや梅干し、乾めんなどの加工品を販売する計画で、放射線量が国の暫定基準の10分の1以下であることが確認されたものに限る方針だった。
8月26日に出店を発表したところ、同団体などに「出店するなら不買運動を起こす」など、放射能に汚染された食品が福岡に持ち込まれることを不安視するメール十数件と電話が多数寄せられたという。今後、同団体は別の出店先を探し、通信販売を検討するという。
同団体の石井洋平事務局長(31)は「出店の契約を交わしていた九州のムラ市場側から、受け入れ断念を通告された」と説明。「安全が確認されたものだけを販売する予定だっただけに残念。何とか福島の生産者を支援する方法を探したい」と話した。
これに対し、同市場は「契約は成立しておらず、双方の話し合いで白紙に戻すことになった」と反論している。>
・・・このような問題が起こると、最近、私は、こう思う。
そんなにまで、意地汚い感情をあらわにして生き続けたいのかよ、と。
きっと、煮しめた様な顔の、サヨク運動家のババァが電話かけてんだよ。
隕石でもあたって、こんなババァどもは死ねばいいと思うよ。
何なんだろう?
こうまで偏執的に不健康な精神になってまで守られなければならない「命」というのは何なんだ?
私はつくづく、戦後民主主義の、日教組体制の下での「生命至上主義」にイライラさせられる。
上記のニュースのような醜い感情を目の当たりにさせられてまで、尊重しなくてはならない「命」ってもんに反吐が出る。
◇
・・・偶然なのだろうが、仕事が定時で終わると、とある踏み切りで、いつも、福島ナンバーの<Fit>の後につくことが多い。
私は、いつも、「大変かも知れんが、頑張れや」と思い、確かに、震災の影響でこちらに来たかは分からないのだが、仮に被災者だったとして、私の住んでいる地域を頼りにして来てくれたことが嬉しいのだ。
◇
戦時中、沖縄では、米軍の上陸を前にして、多くの集団自決が起こった。
これは、米軍が村を襲ったら、死ぬよりも残酷な目に遭わせられるという強迫観念が生んだ悲劇だ。
とある家族の父親が、一人一人、自分の家族を殺していき、最後に自決しようとしたら、軍人に「はやまるな!」と止められてしまったとか、
キズが浅くて一人生き残ってしまった子供とか、更なる悲劇を生んだ。
それを聞いたとき、私の心は殺伐としたものになったものだった。
教科書改善の会主催の「沖縄戦シンポジウム」に参加したとき、昨年亡くなった中村粲氏だったかな、が、「沖縄の方々には、我々とは違った生命の観念があったのではないか」と語っていた。
私なりの解釈では、ニライカナイ(死者の魂の還る楽土)の思想が、「死が終わりではない」と言う観念を生み、それが当時の沖縄の人々の精神にあったのでは、と思った。
だが、私には、ちょっと理解し難かった。
◇
しかし、今、私には、沖縄の方の「潔さ」が少しは分かる。
◇
こんな記事もある。
《湯浅博 「放射性物質がゼロ」だなんて (2011.9.6 08:04)》
<奥秩父の山々を逍遙(しょうよう)した登山家の木暮理太郎は、最高峰の金峰山を「百貫の貫禄を具(そな)えた山の中の山である」とたたえた。その深い山容に憧れて、主に秋や冬に幾度か登ったことがある。
ありがたいことに、この名山に向かう本谷川ルートの起点に増富ラジウム鉱泉があった。疲れた身体を湯に浸し、山仲間と語り合うにはこのうえない。
増富は戦国時代には武田信玄の隠し湯と知られ、いまも「ラジウム含有量世界一」として世に名高い。ラジウムが放出する低レベルの放射線が、神経痛、肝臓障害、胃腸病に効用があるとして、昔から湯治客が引きも切らない。いや、はずだった。
「適度の放射線は、間違いなく体にいいんですが、福島第1原発事故からは、みなさん問答無用になってしまって」
当地の財団法人みずがき山ふるさと振興財団総支配人、小山芳久さんはラジウム温泉の効用を研究している。ラジウムのガス気体は生理代謝を促進させ、体内の老廃物を取り除き、自律神経系統を復調させるという。
ステロイドが毒にも薬にもなるように、放射線もまた温泉療養にもがん治療にも使われる。もとより、放射線は自然界にたくさん飛散しているから、微量なら少しも問題はないはずだ。
ところが、福島第1原発から出た放射性物質をもって、放射線すべてが邪悪な「毒」にされた。だが、レントゲン写真撮影の拒否は聞かないのに、全国のラジウム温泉では客が激減した。
そこへいくと、京都五山の送り火保存会や京都市は偉かった。8月16日の“大文字の送り火”に、大津波で倒された陸前高田市の名勝「高田松原」の松でつくった護摩木を燃やす計画を立てた。
神事にかかわる火だから、松をナタで割ってかんなをかけ、被災者が1つずつ願いを書き込んだ。表皮を削り取っているから放射性物質は出てこない。
でも、1人が「セシウムが」「ストロンチウムが」といえば、たちまち偽善の仮面がはげてしまう。利己の素顔が出てから、計画の撤回するまでが早かった。人はいつだって、きれいな口をききたがるものだ。
ところが、世論の批判を浴びると、あわてて仮面をかぶりなおした。悪いことに、2度目の護摩木は表皮つきだから、微量の放射性物質が検出された。今度は遠慮なく仮面をはいだから、陸前高田の人々には無残この上ない。
ある雑誌で、科学ジャーナリストの松永和紀さんが興味深い計算をしていた。護摩木1本の重量を1キロとして、放射性セシウムが含まれる表皮の重量を10分の1と仮定する。すると、護摩木500本にセシウムが5万6500ベクレル含まれることになる。
これらの放射性セシウムを1人ですべて吸ったとしても、被曝(ひばく)線量はなんと0・034ミリシーベルトでしかない。ちなみに、受動喫煙している女性の発がんリスクの上乗せは、2〜3%になるそうだ。こちらの方がよほど怖い。
京都の燃やさないという決定は、「放射性物質ゼロ」でないと気が済まないのと同じだろう。自然界にある放射線は世界平均で年間2・4ミリシーベルトで、日本は1・5ミリシーベルトだから、どだい無理な話なのだ。増富温泉の小山さんが「いまは問答無用ですから」と頭を抱えるはずである。
さてと、次の週末には、玉川温泉か、三朝温泉か、あるいは増富温泉がよいか。ラジウム入り温泉に行ってこよ。(ゆあさ ひろし)>
この文章を書いた湯浅記者が、あえて、「ラジウム温泉に行こうっと」と宣言していると同じ気持ちが、
私をして、四ヶ月前、福島は飯館村・浪江町・南相馬市の被災現場に赴かせた。
そもそも、科学的には、なんら危険がない、現在の警戒区域外の放射線量である。
「魔女狩り」みたいな「僻み・妬み・嫉み」のメンタリティで生き続けるならば、
常軌を逸している様に見えつつ、人間としての「生」を全うしようとして集団自決に至ってしまった沖縄の方々のほうが、よっぽど「人間」として真っ当だ(「全う」と「真っ当」は駄洒落ではない)。
◇
こんな事件もあった。
《「売上義援金」の水、実は水道水…容器は使用済み 和歌山の夫婦逮捕 (2011.7.17 12:00)》
<東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、放射性物質が拡散し水道水に対する不安が広がった。発生直後には、東北、関東地方を中心に販売用飲料水が不足した。そんな深刻な事態に便乗し、飲料水を違法にネット販売した夫婦が5月、和歌山県警に逮捕された。売り上げを義援金として被災地に送るなどとうたい、「和歌山の天然水」と称して販売。が、中身はただの水道水だったり、使用済みの容器に入っていたりと、お粗末極まりないものだった。人の善意に漬け込んだ卑劣な犯行。もちろん、売り上げは義援金として寄付されていない。(田中俊之)>
騙されたバカも悪い。
水道水を飲んで、別個に義援金を送っていれば良かっただけのことだ・・・。
(2011/09/08)
<東京電力福島第一原発事故の風評被害で苦しむ福島県の農家らを支援しようと、福岡市西区の商業施設「マリノアシティ福岡」で17日に予定されていた「ふくしま応援ショップ」の開店が、中止されることになった。
出店を計画していた同市の市民グループ「ふくしまショッププロジェクト」に、「福島からトラックが福岡に来るだけでも放射性物質を拡散する」といったメールや電話が相次いだためで、同団体は新たな出店先を探すという。
同団体によると、農産品の宅配を行う「九州産直クラブ」(福岡市南区)と連携し、マリノアシティ内の農産品直売所「九州のムラ市場」の一角で開業する予定だった。生鮮食料品の取り扱いをやめ、福島県の生産者から仕入れたジャムや梅干し、乾めんなどの加工品を販売する計画で、放射線量が国の暫定基準の10分の1以下であることが確認されたものに限る方針だった。
8月26日に出店を発表したところ、同団体などに「出店するなら不買運動を起こす」など、放射能に汚染された食品が福岡に持ち込まれることを不安視するメール十数件と電話が多数寄せられたという。今後、同団体は別の出店先を探し、通信販売を検討するという。
同団体の石井洋平事務局長(31)は「出店の契約を交わしていた九州のムラ市場側から、受け入れ断念を通告された」と説明。「安全が確認されたものだけを販売する予定だっただけに残念。何とか福島の生産者を支援する方法を探したい」と話した。
これに対し、同市場は「契約は成立しておらず、双方の話し合いで白紙に戻すことになった」と反論している。>
・・・このような問題が起こると、最近、私は、こう思う。
そんなにまで、意地汚い感情をあらわにして生き続けたいのかよ、と。
きっと、煮しめた様な顔の、サヨク運動家のババァが電話かけてんだよ。
隕石でもあたって、こんなババァどもは死ねばいいと思うよ。
何なんだろう?
こうまで偏執的に不健康な精神になってまで守られなければならない「命」というのは何なんだ?
私はつくづく、戦後民主主義の、日教組体制の下での「生命至上主義」にイライラさせられる。
上記のニュースのような醜い感情を目の当たりにさせられてまで、尊重しなくてはならない「命」ってもんに反吐が出る。
◇
・・・偶然なのだろうが、仕事が定時で終わると、とある踏み切りで、いつも、福島ナンバーの<Fit>の後につくことが多い。
私は、いつも、「大変かも知れんが、頑張れや」と思い、確かに、震災の影響でこちらに来たかは分からないのだが、仮に被災者だったとして、私の住んでいる地域を頼りにして来てくれたことが嬉しいのだ。
◇
戦時中、沖縄では、米軍の上陸を前にして、多くの集団自決が起こった。
これは、米軍が村を襲ったら、死ぬよりも残酷な目に遭わせられるという強迫観念が生んだ悲劇だ。
とある家族の父親が、一人一人、自分の家族を殺していき、最後に自決しようとしたら、軍人に「はやまるな!」と止められてしまったとか、
キズが浅くて一人生き残ってしまった子供とか、更なる悲劇を生んだ。
それを聞いたとき、私の心は殺伐としたものになったものだった。
教科書改善の会主催の「沖縄戦シンポジウム」に参加したとき、昨年亡くなった中村粲氏だったかな、が、「沖縄の方々には、我々とは違った生命の観念があったのではないか」と語っていた。
私なりの解釈では、ニライカナイ(死者の魂の還る楽土)の思想が、「死が終わりではない」と言う観念を生み、それが当時の沖縄の人々の精神にあったのでは、と思った。
だが、私には、ちょっと理解し難かった。
◇
しかし、今、私には、沖縄の方の「潔さ」が少しは分かる。
◇
こんな記事もある。
《湯浅博 「放射性物質がゼロ」だなんて (2011.9.6 08:04)》
<奥秩父の山々を逍遙(しょうよう)した登山家の木暮理太郎は、最高峰の金峰山を「百貫の貫禄を具(そな)えた山の中の山である」とたたえた。その深い山容に憧れて、主に秋や冬に幾度か登ったことがある。
ありがたいことに、この名山に向かう本谷川ルートの起点に増富ラジウム鉱泉があった。疲れた身体を湯に浸し、山仲間と語り合うにはこのうえない。
増富は戦国時代には武田信玄の隠し湯と知られ、いまも「ラジウム含有量世界一」として世に名高い。ラジウムが放出する低レベルの放射線が、神経痛、肝臓障害、胃腸病に効用があるとして、昔から湯治客が引きも切らない。いや、はずだった。
「適度の放射線は、間違いなく体にいいんですが、福島第1原発事故からは、みなさん問答無用になってしまって」
当地の財団法人みずがき山ふるさと振興財団総支配人、小山芳久さんはラジウム温泉の効用を研究している。ラジウムのガス気体は生理代謝を促進させ、体内の老廃物を取り除き、自律神経系統を復調させるという。
ステロイドが毒にも薬にもなるように、放射線もまた温泉療養にもがん治療にも使われる。もとより、放射線は自然界にたくさん飛散しているから、微量なら少しも問題はないはずだ。
ところが、福島第1原発から出た放射性物質をもって、放射線すべてが邪悪な「毒」にされた。だが、レントゲン写真撮影の拒否は聞かないのに、全国のラジウム温泉では客が激減した。
そこへいくと、京都五山の送り火保存会や京都市は偉かった。8月16日の“大文字の送り火”に、大津波で倒された陸前高田市の名勝「高田松原」の松でつくった護摩木を燃やす計画を立てた。
神事にかかわる火だから、松をナタで割ってかんなをかけ、被災者が1つずつ願いを書き込んだ。表皮を削り取っているから放射性物質は出てこない。
でも、1人が「セシウムが」「ストロンチウムが」といえば、たちまち偽善の仮面がはげてしまう。利己の素顔が出てから、計画の撤回するまでが早かった。人はいつだって、きれいな口をききたがるものだ。
ところが、世論の批判を浴びると、あわてて仮面をかぶりなおした。悪いことに、2度目の護摩木は表皮つきだから、微量の放射性物質が検出された。今度は遠慮なく仮面をはいだから、陸前高田の人々には無残この上ない。
ある雑誌で、科学ジャーナリストの松永和紀さんが興味深い計算をしていた。護摩木1本の重量を1キロとして、放射性セシウムが含まれる表皮の重量を10分の1と仮定する。すると、護摩木500本にセシウムが5万6500ベクレル含まれることになる。
これらの放射性セシウムを1人ですべて吸ったとしても、被曝(ひばく)線量はなんと0・034ミリシーベルトでしかない。ちなみに、受動喫煙している女性の発がんリスクの上乗せは、2〜3%になるそうだ。こちらの方がよほど怖い。
京都の燃やさないという決定は、「放射性物質ゼロ」でないと気が済まないのと同じだろう。自然界にある放射線は世界平均で年間2・4ミリシーベルトで、日本は1・5ミリシーベルトだから、どだい無理な話なのだ。増富温泉の小山さんが「いまは問答無用ですから」と頭を抱えるはずである。
さてと、次の週末には、玉川温泉か、三朝温泉か、あるいは増富温泉がよいか。ラジウム入り温泉に行ってこよ。(ゆあさ ひろし)>
この文章を書いた湯浅記者が、あえて、「ラジウム温泉に行こうっと」と宣言していると同じ気持ちが、
私をして、四ヶ月前、福島は飯館村・浪江町・南相馬市の被災現場に赴かせた。
そもそも、科学的には、なんら危険がない、現在の警戒区域外の放射線量である。
「魔女狩り」みたいな「僻み・妬み・嫉み」のメンタリティで生き続けるならば、
常軌を逸している様に見えつつ、人間としての「生」を全うしようとして集団自決に至ってしまった沖縄の方々のほうが、よっぽど「人間」として真っ当だ(「全う」と「真っ当」は駄洒落ではない)。
◇
こんな事件もあった。
《「売上義援金」の水、実は水道水…容器は使用済み 和歌山の夫婦逮捕 (2011.7.17 12:00)》
<東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、放射性物質が拡散し水道水に対する不安が広がった。発生直後には、東北、関東地方を中心に販売用飲料水が不足した。そんな深刻な事態に便乗し、飲料水を違法にネット販売した夫婦が5月、和歌山県警に逮捕された。売り上げを義援金として被災地に送るなどとうたい、「和歌山の天然水」と称して販売。が、中身はただの水道水だったり、使用済みの容器に入っていたりと、お粗末極まりないものだった。人の善意に漬け込んだ卑劣な犯行。もちろん、売り上げは義援金として寄付されていない。(田中俊之)>
騙されたバカも悪い。
水道水を飲んで、別個に義援金を送っていれば良かっただけのことだ・・・。
(2011/09/08)